1751年近江商人をルーツに持つ岩元家が山形庄内で紅花や呉服を扱う北前船商人となり1772年(宝暦元年)薩摩藩に招かれ鹿児島で山形屋呉服店を創業。城下町の大火や西南の役での被災、路面電車誘致のために敷地を提供するなど逸話が多く、観光バスのガイドさんが「我が郷土の百貨店」と自慢げに紹介する「山形屋(ヤマカタヤ)」本店。老舗百貨店らしい外観も魅力で、特に夜景は美しい。売場面積33,743㎡、2026年2月期総売上高369億円(収益認識基準での決算発表売上高は148億円)。鹿児島中央駅地区や郊外S.C.との激しい競争のなかで、2024年5月、負債360億円を抱えて事業再生ADR(裁判外紛争解決手続き)で5ヶ年の事業再生計画を開始。取引金融機関の事業への理解と支援、地元行政機関も支援を申し出るなど、関係者がスクラムを組んで経営再建が順調に進んでいる。具体的には2026年2月期は9年ぶりの最終損益黒字化を達成。営業利益も3年連続黒字となり経常損益も改善しているとのこと。2026年9月更新。所在地:鹿児島市金生町3番1号。
百貨店訪ね歩き
全国の百貨店(デパート)を直接訪ね歩き、撮影し記録に残します。そして時々旅の情報も紹介します。
2026-09-05
2026-09-04
『中三盛岡店(旧川徳)』跡 (2011年3月14日閉店)
ここはかつて川徳があった場所。菜園への移転にともない中三が取得して1981年(昭和56年)5月21日中三盛岡店として開店。売場面積18,382㎡1994年8月期売上高121億円。中三4店中トップの売上で全体の3割を占める基幹店だったが、2011年の東日本大震災直後の3月14日もらい事故の爆発事故で休業に追い込まれ、民事再生法を申請し倒産。そのまま再開することなく売却処分された。2012年10月29日からは新しい所有者によって商業施設「Nanak」が開店するも2019年6月2日閉店、建物は解体された。跡地には2024年7月11日に地下1階地上4階建て、15,300㎡の複合商業施設ビル「monaka」が開業した。近隣には新しいバスセンターやオフィスビル建設計画も進み隣接する商店街・肴町アーケードは多くの人で賑わっている。2026年9月更新。所在地:盛岡市中ノ橋通1-6-8。
2026-08-31
『中三秋田店』跡 (2008年10月20日閉店)
かつて秋田出店を目指して中通りに土地まで取得しながら断念した歴史を持つ中三にとっては念願の秋田進出だった。ジャスコ(現在のイオン)と資本提携して2核1モール型郊外S.C.「イオンモール秋田」の核店舗として1997年(平成9年)10月1日開店で実現させた。しかし、地元との協議が難航して食品売り場が出せないなどハンディを持った状態で年商目標55億円でスタート。売場面積13,500㎡。2004年8月期売上高49.9億円。売場の制約を受けたことで百貨店としての差別化が図れず、一度も黒字決算することなく2008年(平成20年)10月20日閉店。中三撤退後は専門店街「ウェストモール」としてリニューアルされて現在に至っている。所在地:秋田市御所野地蔵田1-1-1。
2026年現在未訪問。
2026-08-28
秋田市 伝説の百貨店『木内』 (長期休業中)
秋田市にある木内デパートは、かつて「秋田の三越」と言われた地域一番店だった。お歳暮お中元では絶対的信頼の包装紙であり修学旅行の見学コースにもなっていたという。ルーツは久保田藩藩士だった木内家が明治22年に創業した木内商店。1951年(昭和26年)に百貨店化、秋田市初のエスカレーター導入や屋上遊園地があり家族連れで賑わっていた。売り場面積8,440㎡、売上高132億円(1981年度百貨店調査年鑑より)。1990年に日本百貨店協会を退会し、1991年に売り場を大幅縮小して1階で衣料品のみを取り扱いながらも、消費税は取らない、ピカピカのトイレ、お釣りは全て新札、秋田駅を出発するバスのほとんどが最初に木内前バス停に停車するなど、コロナ禍前までは伝説の百貨店だった名残をとどめていた。2020年3月のコロナ禍以降臨時休業となり、2026年8月時点で長期休業が続いている。ただ、建物のメンテナンスや周囲の雑草取りなどの管理は継続して行われている。秋田市では再開発に向けて木内の経営者に相談を持ち掛けているが今のところ動きは見られない。2026年8月更新。所在地:秋田市中通1-3-1。
2026-08-25
『西武秋田店』
ルーツは1850年(嘉永3年)に本間金之助氏が創業した小間物店「本間屋」。慶応2年に大町二丁目に移転、大正6年には県内初のショウウィンドウを設置。メリヤスの本金などと品質の良さで繁盛した。かつて書店も経営して教科書を発行していた。1960年(昭和35年)10月10日本金デパート開店。地震で屋上の本金タワーが倒壊するなど昭和の経営危機では西武グループと業務提携を結び、1984年(昭和59年)4月27日駅前再開発ビルに移転し「ほんきん西武」となる。2005年から西武百貨店直轄となりそごう・西武グループの「西武秋田店」として現在に至る。秋田市で唯一の百貨店協会加盟百貨店である。人口減少や郊外店との競争で厳しい経営環境にあり今後が気になる。売場面積9,774㎡。2025年度売上高61.7億円。2026年8月更新。所在地:秋田市中通2-6-1。(本金デパート時代:秋田市大町2丁目2-1)
2026-08-21
『中三弘前店』跡 (2024年8月29日閉店)
初めは弘前に1962年(昭和37年)11月衣料品店として出店。1967年11月土手町に新築移転して中三を含む4社合同で百貨店化。1968年(昭和43年)9月、4社が合併して正式に百貨店「中三弘前店」として営業を開始した。土手町商店街の中心として長く存在してきたが東日本大震災後の2011年に本社が経営破綻し2015年に再建手続きが完了。青森店閉店後は唯一の店舗となる。しかしテナントの相次ぐ撤退やコロナ禍以降も業績悪化に歯止めがかからず、親会社の支援が打ち切られ2024年(令和6年)8月29日破産により閉店。売場面積21,422㎡。2023年8月期売上高17.2億円。建物の解体が始まった跡地の今後について具体的な発表はまだない。人気のあったデパ地下名物「中みそ」ラーメンは弘前駅前の商業施設「ヒロロ」4階フードコートで復活している。2026年8月更新。所在地:弘前市土手町49-1。
2026-08-19
『木更津そごう(旧サカモト)』跡 (2000年7月13日閉店)
1913年(大正2年)6月、千葉県市原市で創業した坂本呉服店が1923年(大正12年)木更津に支店を出したのがルーツとされる。1968年(昭和43年)サカモト百貨店に商号変更、1973年(昭和48年)10月西口駅前富士見通りに売場面積10,066㎡の新店舗を建設し移転。千葉県南唯一の本格的百貨店となった。しかし、ダイエーや西友の出店で業績が悪化し千葉そごうと提携して1978年10月1日から「サカモトそごう」に商号変更。1986年度売上83億円まで業績が好転した。さらに1988年(昭和63年)3月17日木更津駅西口再開発ビルの核店舗として売場面積19,300㎡で「木更津そごう」に商号変更して開店。最盛期には190億円近い売上を記録した。しかし2000年(平成12年)7月13日そごうグループの経営破綻とともに閉店。現在は「スパークルシティ木更津」という木更津市の複合施設になっているが現在も館内は百貨店らしい構造を見ることができる。第一駐車場ビルはかつてのライバル十字屋が建っていた場所。2026年8月更新。所在地:サカモトそごう➡木更津市中央1-3-8。木更津そごう➡木更津市富士見1-2-1。
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初代は滋賀県日野町出身で 1893 年(明治 26 年) 6 月に札幌で池内金物店を創業。 1965 年(昭和 40 年) 4 月 10 日小売部門を百貨店化して日本百貨店協会加盟店となるが百貨店経営に苦戦し 1968 年から丸井今井傘下に入る。しかし丸井今井の業績悪化で 199...
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