人口7万人の城下町、そして県北の商業拠点・大田原市にあった「東武宇都宮百貨店大田原店」は、かつて宇都宮の老舗「上野百貨店」が1999年に開店するも2000年12月に倒産閉店した店舗。メインバンクだった足利銀行からの要請を受けて2002年9月6日に出店。最盛期の2006年2月期には59億円を売り上げ、平日でも広い駐車場は多くの車で埋まる栃木県北部の貴重な百貨店だった。売場面積12,248㎡。2022年には店内改装やニトリ誘致などで黒字となるも2025年2月期売上高37.5億円と徐々に減少。県北唯一の百貨店として茨城県などからも集客していたが、建物の賃貸借契約が2027年2月終了となることに伴い2026年8月31日閉店した。2026年9月更新。所在地:栃木県大田原市美原1-3537-2。
百貨店訪ね歩き
全国の百貨店(デパート)を直接訪ね歩き、撮影し記録に残します。そして時々旅の情報も紹介します。
2026-09-12
2026-09-11
盛岡 『丸正デパート』跡 (1985年閉店)
1913年(大正2年)4月16日創業。1948年(昭和23年)4月17日百貨店化。盛岡最大の繁華街・大通のほぼ中央に位置し地下1階地上5階建ての東北百貨店協会加盟店だった。売場面積2,615㎡。1977年12月期売上高13.7億円(1978年度百貨店調査年鑑より)。衣料品や呉服を中心に外商に力を入れていたが大型店との競争激化で経営が悪化し1985年(昭和60年)閉店。現在跡地は飲食店ビルになっている。また、大通と映画館通りの北東交差点にあるレインボービルも丸正が所有していたが経営悪化により売却された。2026年9月記録。所在地:盛岡市大通1-9-4。
2026年9月現在未訪問。
2026-09-09
盛岡『パルクアベニューカワトク(川徳)』
盛岡城跡公園からほど近い菜園地区にあるのが盛岡市唯一の百貨店『パルクアベニューカワトク』。ルーツは、慶応2年(1866年)川村徳助が盛岡城下鉈屋町に木綿商を創業したのが始まり。明治になって肴町に移転、大正9年(1919年)から川徳呉服店となる。昭和17年から百貨店となり1966年に創業100年を迎えた。1875年(明治8年)以来続いてきた肴町の店舗を青森の中三デパートに譲渡して1980年(昭和55年)10月18日現在の盛岡市菜園に移転。創業160年を迎えた川徳は盛岡には欠かせない唯一の百貨店。郊外S.C.との競争やコロナ禍の影響で苦戦をするなか、2022年からの再建計画が実行された。岩手大学近くの中型店舗「アネックスカワトク(売場面積10,334㎡)」が再建計画の一環で2025年8月18日に閉店したため同年度売上高は減少したが営業損益は計画通り改善を達成。売場面積28,115㎡。2026年2月期売上高148億円。2026年9月更新。所在地:盛岡市菜園1-10-1。
2026-09-05
経営再建を目指す『山形屋(ヤマカタヤ)』(鹿児島市)
1751年近江商人をルーツに持つ岩元家が山形庄内で紅花や呉服を扱う北前船商人となり1772年(宝暦元年)薩摩藩に招かれ鹿児島で山形屋呉服店を創業。城下町の大火や西南の役での被災、路面電車誘致のために敷地を提供するなど逸話が多く、観光バスのガイドさんが「我が郷土の百貨店」と自慢げに紹介する「山形屋(ヤマカタヤ)」本店。老舗百貨店らしい外観も魅力で、特に夜景は美しい。売場面積33,743㎡、2026年2月期総売上高369億円(収益認識基準での決算発表売上高は148億円)。鹿児島中央駅地区や郊外S.C.との激しい競争のなかで、2024年5月、負債360億円を抱えて事業再生ADR(裁判外紛争解決手続き)で5ヶ年の事業再生計画を開始。取引金融機関の事業への理解と支援、地元行政機関も支援を申し出るなど、関係者がスクラムを組んで経営再建が順調に進んでいる。具体的には2026年2月期は9年ぶりの最終損益黒字化を達成。営業利益も3年連続黒字となり経常損益も改善しているとのこと。2026年9月更新。所在地:鹿児島市金生町3番1号。
2026-09-04
『中三盛岡店(旧川徳)』跡 (2011年3月14日閉店)
ここはかつて川徳があった場所。菜園への移転にともない中三が取得して1981年(昭和56年)5月21日中三盛岡店として開店。売場面積18,382㎡1994年8月期売上高121億円。中三4店中トップの売上で全体の3割を占める基幹店だったが、2011年の東日本大震災直後の3月14日もらい事故の爆発事故で休業に追い込まれ、民事再生法を申請し倒産。そのまま再開することなく売却処分された。2012年10月29日からは新しい所有者によって商業施設「Nanak」が開店するも2019年6月2日閉店、建物は解体された。跡地には2024年7月11日に地下1階地上4階建て、15,300㎡の複合商業施設ビル「monaka」が開業した。近隣には新しいバスセンターやオフィスビル建設計画も進み隣接する商店街・肴町アーケードは多くの人で賑わっている。2026年9月更新。所在地:盛岡市中ノ橋通1-6-8。
2026-08-31
『中三秋田店』跡 (2008年10月20日閉店)
かつて秋田出店を目指して中通りに土地まで取得しながら断念した歴史を持つ中三にとっては念願の秋田進出だった。ジャスコ(現在のイオン)と資本提携して2核1モール型郊外S.C.「イオンモール秋田」の核店舗として1997年(平成9年)10月1日開店で実現させた。しかし、地元との協議が難航して食品売り場が出せないなどハンディを持った状態で年商目標55億円でスタート。売場面積13,500㎡。2004年8月期売上高49.9億円。売場の制約を受けたことで百貨店としての差別化が図れず、一度も黒字決算することなく2008年(平成20年)10月20日閉店。中三撤退後は専門店街「ウェストモール」としてリニューアルされて現在に至っている。所在地:秋田市御所野地蔵田1-1-1。
2026年現在未訪問。
2026-08-28
秋田市 伝説の百貨店『木内』 (長期休業中)
秋田市にある木内デパートは、かつて「秋田の三越」と言われた地域一番店だった。お歳暮お中元では絶対的信頼の包装紙であり修学旅行の見学コースにもなっていたという。ルーツは久保田藩藩士だった木内家が明治22年に創業した木内商店。1951年(昭和26年)に百貨店化、秋田市初のエスカレーター導入や屋上遊園地があり家族連れで賑わっていた。売り場面積8,440㎡、売上高132億円(1981年度百貨店調査年鑑より)。1990年に日本百貨店協会を退会し、1991年に売り場を大幅縮小して1階で衣料品のみを取り扱いながらも、消費税は取らない、ピカピカのトイレ、お釣りは全て新札、秋田駅を出発するバスのほとんどが最初に木内前バス停に停車するなど、コロナ禍前までは伝説の百貨店だった名残をとどめていた。2020年3月のコロナ禍以降臨時休業となり、2026年8月時点で長期休業が続いている。ただ、建物のメンテナンスや周囲の雑草取りなどの管理は継続して行われている。秋田市では再開発に向けて木内の経営者に相談を持ち掛けているが今のところ動きは見られない。2026年8月更新。所在地:秋田市中通1-3-1。
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初代は滋賀県日野町出身で 1893 年(明治 26 年) 6 月に札幌で池内金物店を創業。 1965 年(昭和 40 年) 4 月 10 日小売部門を百貨店化して日本百貨店協会加盟店となるが百貨店経営に苦戦し 1968 年から丸井今井傘下に入る。しかし丸井今井の業績悪化で 199...
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1913 年(大正 2 年) 6 月、千葉県市原市で創業した坂本呉服店が 1923 年(大正 12 年)木更津に支店を出したのがルーツとされる。 1968 年(昭和 43 年)サカモト百貨店に商号変更、 1973 年(昭和 48 年) 10 月西口駅前富士見通りに売場面積 10,...