始まりは1958年(昭和33年)11月10日、新田町交差点に創業した「ながの丸善」デパート。現在跡地はみずほ銀行長野支店になっている。道路向かいにあった「ながの丸光」(のちの長野そごう)との激しい競争に敗れ、東急の支援を受けて1966年(昭和41年)11月26日に現在地の長野駅前に移転、1970年(昭和45年)には社名をながの東急百貨店に変更。やがて人の賑わいの中心が長野駅周辺になり1973年には地域一番店に成長。2000年の長野そごう閉店で長野市唯一の百貨店として生き残ったが、郊外SCとの競争など試練が続く。2025年3月31には100%子会社の「ながの東急ライフ」(売場面積5,488㎡)を閉店、2026年6月30日には上田サテライトショップを閉店した。決算発表による2026年1月期売上高122.2億円。売場面積19,391㎡。2026年6月訪問。所在地:長野市南千歳1-1-1。
百貨店訪ね歩き
全国の百貨店(デパート)を直接訪ね歩き、撮影し記録に残します。そして時々旅の情報も紹介します。
2026-07-12
2026-07-09
『スズラン高崎店』 (2024年2月縮小移転)
開店は1968年(昭和43年)11月15日。大型店激戦地の高崎で順調に業績を伸ばし高島屋とともに生き残った。しかし郊外S.C.との競争で閉店する地方百貨店がある中で生き残りをかけて、2024年2月29日、新しいスズラン高崎店がオープン。店舗更新を機に売場面積を今までの3分の1(約7,000㎡)に縮小させ、さやモール商店街との協業を目指して2024年2月新店舗へ移転。付近はマンション建設ラッシュで人口が増えていることから日々の買い物ニーズに対応すべく新店舗1階には北野エースや銘店街、カフェも併設。ゆったりした広さとデパ地下の雰囲気でありながらスーパーの便利さも備えている。2階3階はテーマに特化した売場構成。4階は別法人の会員制健康フロア。変化する地方百貨店ニーズに応えて存在感を示していけるか、前橋店撤退決定の一方で、高崎ではスズランの挑戦が続く。最盛期の1992年には全店で476億円だった売上高が2025年8月期は71.4億円。2026年6月訪問。所在地:高崎市鞘町1-1。
2026-07-06
『高崎ビブレ』跡 (2014年3月31日閉店)現・高崎OPA
当初はニチイ高崎店として1976年(昭和51年)3月26日開店。売場面積13,500㎡。百貨店と総合スーパーの中間的存在を標榜して1986年3月から高崎サティ、1996年3月から高崎ビブレと屋号を変えて営業。高崎における最新ファッションの発信場所として県民に愛され、特に若い世代からも人気を集めていた。しかし建物老朽化と再開発計画が重なって2014年(平成26年)3月31日閉店。跡地は駅前再開発によってできたビルに、イオングループの都市型ファッションビル「高崎オーパ」が2017年10月13日から営業中。2026年6月訪問。所在地:高崎市八島町46-1。
2026-07-03
『高崎高島屋』高崎唯一のフルライン百貨店
開店は1977年(昭和52年)10月1日。戦前から高島屋ストアを出店していた高崎は新幹線の開通で北関東への出店有力候補として注目していたところ、駅前立地の倉庫会社から建設会社を通じて跡地への出店勧誘を受けて念願の出店。流通センターを兼ねることができるよう流通用スペースを大きく取った建物構造からは倉庫会社のノウハウが影響か。またイベント共催など地元商店街との協力姿勢を積極的に打ち出しながら都市型百貨店を目指した。単独法人⇒本社直営⇒再び分社化で単独法人化。2024年スズラン百貨店の売り場縮小によって高崎では唯一のフルライン百貨店となった。市街地中心部は高層マンションの建設ラッシュで人口が増えているが東京が近いことと新幹線が便利であることからストロー現象も気になるところ。屋上には御劔稲荷神社が祀ってありきれいに管理されている。2026年2月期売上高は166億円。売場面積19,885㎡。2026年6月訪問。所在地:高崎市旭町45番地。
2026-07-02
『大丸下関店』(2027年8月末閉店予定)
創業は、マルハグループが大丸と提携して1950年(昭和25年)11月1日「下関大丸」として開店。1959年の店舗移転拡張を経て、1977年(昭和52年)10月21日S.C.「シーモール下関」の核店舗として移転開業して今日に至っている。2020年3月1日に親会社Jフロントリテイリングが吸収合併して大規模リニューアル、直営店「大丸下関店」となった。直後に起こったコロナ禍で苦戦を強いられるなか、直営化は地方店の継続強化策を図るものと期待され山口県民から愛される百貨店として行政と連携して、百貨店で初となるスタートアップ拠点「ジョイン083」を開設し多目的スペースやネット配信用スタジオを備えた起業家支援拠点を提供するなど努力を続けてきた。しかし、郊外店や隣接する北九州、福岡地区との競争で減収傾向が続き7期連続赤字決算となり、2026年6月に2027年8月31日の営業終了を発表した。最盛期の売上高323億円に対して2026年2月期売上高68.6億円。売場面積23,912㎡。2025年4月訪問。2026年7月2日追記。所在地:山口県下関市竹崎町4-4-10。
2026-07-01
『高崎伊勢丹(旧藤五)』跡 (1985年8月4日閉店)
ルーツは1951年(昭和26年)創業の藤五商店。店主・野口貞一氏の優れた商才により急成長、前橋の前三百貨店開店から1か月後の1964年10月に高崎で藤五百貨店を開業。1年後には前三の2倍以上の売上高となり群馬県で一番店となる。その後は激しい競争に巻き込まれ伊勢丹傘下となり、1973年に藤五伊勢丹、1982年には高崎伊勢丹と屋号を変えるも1985年(昭和60年)8月4日閉店した。1983年度百貨店調査年鑑では売場面積11,199㎡。1983年1月期売上高61.7億円。地元では「彗星のごとく現れ彗星のごとく消え去った」と言われており、建物は解体され跡地は高層マンションになった。2026年6月訪問。所在地:高崎市連雀町44。
詳細は高崎新聞サイト記事も参照。【高崎新聞のページ参照】
http://www.takasakiweb.jp/taka.../t-archive/article/021.html
2026-06-28
渋川市 『さとり百貨店』跡 (1986年3月28日業態転換)
越後上杉家と縁があるという渋川の名家「佐鳥家」が1890年(明治23年)さとり呉服太物商を創業。1969年(昭和44年)11月28日百貨店を開店。地上5階地下1階、屋上観覧車が目印で、養蚕の中心地として栄えた流通都市・渋川の商業の中心「四つ角商店街」の核店舗として地域でも信頼と人気の百貨店だった。1982年度百貨店調査年鑑によれば売場面積3,375㎡、1981年7月期売上高32.4億円。やがて高崎や前橋の大型店に押され、さらに渋川駅前商店街にニチイが進出したことで経営環境が厳しくなり、1981年4月ジャスコと共同出資して群馬ジャスコを設立、1986年3月28日スーパーに業態転換して渋川中学校近くの郊外に移転した。その店舗も2003年5月18日に閉店し市の保健センターになっている。百貨店社長だった佐鳥達雄氏はのちに上毛新聞のオーナーになった。現在百貨店跡地は県営住宅となっている。今回の訪問では“渋川懐かし商店街マップ”を作製した「渋川町割400周年記念実行委員会の I 様に情報提供を頂いたことに謝意を表します。2026年6月訪問。所在地:群馬県渋川市中之町乙2388。
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初代は滋賀県日野町出身で 1893 年(明治 26 年) 6 月に札幌で池内金物店を創業。 1965 年(昭和 40 年) 4 月 10 日小売部門を百貨店化して日本百貨店協会加盟店となるが百貨店経営に苦戦し 1968 年から丸井今井傘下に入る。しかし丸井今井の業績悪化で 199...
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開店は 1957 年(昭和 32 年) 10 月 1 日。閉店は 2009 年(平成 21 年) 5 月。 2007 年の百貨店調査年鑑の記録では、売場面積 25,026 ㎡、 2007 年 2 月期売上 244.3 億円。現在はヤマダ電機 LAVI1 池袋になっている。そして池...
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創業は、マルハグループが大丸と提携して 1950 年(昭和 25 年) 11 月 1 日「下関大丸」として開店。 1959 年の店舗移転拡張を経て、 1977 年(昭和 52 年) 10 月 21 日 S.C. 「シーモール下関」の核店舗として移転開業して今日に至っている。 20...