創業は、マルハグループが大丸と提携して1950年(昭和25年)11月1日「下関大丸」として開店。1959年の店舗移転拡張を経て、1977年(昭和52年)10月21日S.C.「シーモール下関」の核店舗として移転開業して今日に至っている。2020年3月1日に親会社Jフロントリテイリングが吸収合併して大規模リニューアル、直営店「大丸下関店」となった。直後に起こったコロナ禍で苦戦を強いられるなか、直営化は地方店の継続強化策を図るものと期待され山口県民から愛される百貨店として行政と連携して、百貨店で初となるスタートアップ拠点「ジョイン083」を開設し多目的スペースやネット配信用スタジオを備えた起業家支援拠点を提供するなど努力を続けてきた。しかし、郊外店や隣接する北九州、福岡地区との競争で減収傾向が続き7期連続赤字決算となり、2026年6月に2027年8月31日の営業終了を発表した。最盛期の売上高323億円に対して2026年2月期売上高68.6億円。売場面積23,912㎡。2025年4月訪問。2026年7月2日追記。所在地:山口県下関市竹崎町4-4-10。
百貨店訪ね歩き
全国の百貨店(デパート)を直接訪ね歩き、撮影し記録に残します。そして時々旅の情報も紹介します。
2026-07-02
2026-07-01
『高崎伊勢丹(旧藤五)』跡 (1985年8月4日閉店)
ルーツは1951年(昭和26年)創業の藤五商店。店主・野口貞一氏の優れた商才により急成長、前橋の前三百貨店開店から1か月後の1964年10月に高崎で藤五百貨店を開業。1年後には前三の2倍以上の売上高となり群馬県で一番店となる。その後は激しい競争に巻き込まれ伊勢丹傘下となり、1973年に藤五伊勢丹、1982年には高崎伊勢丹と屋号を変えるも1985年(昭和60年)8月4日閉店した。1983年度百貨店調査年鑑では売場面積11,199㎡。1983年1月期売上高61.7億円。地元では「彗星のごとく現れ彗星のごとく消え去った」と言われており、建物は解体され跡地は高層マンションになった。2026年6月訪問。所在地:高崎市連雀町44。
詳細は高崎新聞サイト記事も参照。【高崎新聞のページ参照】
http://www.takasakiweb.jp/taka.../t-archive/article/021.html
2026-06-28
渋川市 『さとり百貨店』跡 (1986年3月28日業態転換)
越後上杉家と縁があるという渋川の名家「佐鳥家」が1890年(明治23年)さとり呉服太物商を創業。1969年(昭和44年)11月28日百貨店を開店。地上5階地下1階、屋上観覧車が目印で、養蚕の中心地として栄えた流通都市・渋川の商業の中心「四つ角商店街」の核店舗として地域でも信頼と人気の百貨店だった。1982年度百貨店調査年鑑によれば売場面積3,375㎡、1981年7月期売上高32.4億円。やがて高崎や前橋の大型店に押され、さらに渋川駅前商店街にニチイが進出したことで経営環境が厳しくなり、1981年4月ジャスコと共同出資して群馬ジャスコを設立、1986年3月28日スーパーに業態転換して渋川中学校近くの郊外に移転した。その店舗も2003年5月18日に閉店し市の保健センターになっている。百貨店社長だった佐鳥達雄氏はのちに上毛新聞のオーナーになった。現在百貨店跡地は県営住宅となっている。今回の訪問では“渋川懐かし商店街マップ”を作製した「渋川町割400周年記念実行委員会の I 様に情報提供を頂いたことに謝意を表します。2026年6月訪問。所在地:群馬県渋川市中之町乙2388。
『藤五ストア渋川店』跡 (1978年12月20日閉店)
1963年(昭和38年)3月23日、高崎にある藤五百貨店の分店的な役割を持つ「藤五ストア」として開店。売場面積1,437㎡。1977年の年商約14億円。市内商店街の平沢川に架かる中央橋北側のマロニエ通りに面して店舗があった。近くにはマロニエと橋が美しい渋川の風情を詠んだ歌碑がある。さとり百貨店とともに渋川の大型小売店としての役割を担ってきたが1978年(昭和53年)12月20日藤五ストア自己破産により閉店。跡地は現在ドラッグセイムスになっている。2026年6月訪問。所在地:渋川市新町萱場1861-1。
2026-06-26
須賀川市 『赤トリヰ』跡 (2000年1月10日閉店)
1905年(明治38年)須賀川で洋傘の製造販売店を創業したのが始まり。1967年(昭和42年)須賀川の繁華街・中町に百貨店の「赤トリヰショッピングデパート」を開店。1976年12月3日には地上5階地下1階(売場面積6,845㎡)の大型店に成長した。ピーク時には年間60億円の売上を記録。1996年にはマイカルの傘下に入り「マイカル福島赤トリヰ店」に名称変更。その後郊外店の進出や郡山への大型店出店の影響を受け2000年(平成12年)1月10日閉店。2004年3月にスーパーとして再開店するも1年で閉店。1981年に開業した郊外型店舗も2011年閉店した。現在のデパート跡地は東日本大震災後に建替えられ須賀川市民交流センターとなっている。ここには円谷英二の故郷として無料のミュージアムがあり、松明通りにはウルトラマンのモニュメントが13体並んでいる。なお、現在も「マイショップ赤トリヰ」の屋号で須賀川市鍛冶町1-30で衣料品専門の小型店が営業中。2026年6月訪問。所在地:福島県須賀川市中町4-1。
2026-06-17
小樽『ニューギンザ百貨店』跡 (1988年7月3日閉店)
始まりは1917年(大正6年)小樽で創業した河野呉服店。1950年(昭和25年)4月ニューギンザ百貨店と屋号を変えて1955年百貨店化。丸井今井、大国屋に次ぐ3番目の百貨店として互いに競い合って成長。1965年には地域一番店になった。若者衣料品に注力した時期の合言葉は「GOGOヤング・ニューギンザ」。売場面積4,043㎡、1983年1月期売上高20.7億円(百貨店調査年鑑より)。1970年頃から急激に業績が悪化、駅前再開発ビル進出に手を挙げるも長崎屋に敗れ、店舗敷地の再開発を契機に1988年(昭和63年)7月3日閉店廃業した。跡地は再開発され1990年から丸井今井小樽店と小樽グランドホテルになった。その後、2015年もう一度再開発され現在は高齢者施設と病院になっている。2021年5月訪問。2026年6月更新。 所在地:小樽市稲穂1-5-1。
2026-06-15
小樽『大国屋』跡 (1993年4月30日閉店)
(大国屋の表記について➡「大國屋」「大国屋」どちらも使われていたようだがここでは「大国屋」で統一使用する。なお「大黒屋」は福島県の百貨店参照。)
ルーツは1853年(嘉永6年)富山県旧井波町で創業した古着商。1877年(明治10年)屋号を大国屋に変えて呉服商となる。1907年(明治40年)小樽支店を開店。1924年(大正13年)3月には呉服店を出店。1934年(昭和9年)4階建て新店舗で百貨店を開業した。1975年頃までは小樽3大百貨店の1店として「品質は大国屋」と言われ成長した。大国屋5階には屋号にちなんで出身地の富山県井波特産の神殿彫刻を備えた大国神社が祀られていたという。1975年小樽駅前に長崎屋が出店してから売上が減少し始め、1989年には提携していた西武百貨店傘下となる。売場面積4,458㎡。1989年1月期売上高30.9億円(百貨店調査年鑑)。1990年の丸井今井の増床の影響でさらなる売上減少で赤字となり1993年(平成5年)4月30日閉店。跡地は現在オーセントホテル小樽になっている。2021年5月訪問。2026年6月更新。所在地:小樽市稲穂2-15-1。
過去30日間で閲覧数の多い投稿
-
初代は滋賀県日野町出身で 1893 年(明治 26 年) 6 月に札幌で池内金物店を創業。 1965 年(昭和 40 年) 4 月 10 日小売部門を百貨店化して日本百貨店協会加盟店となるが百貨店経営に苦戦し 1968 年から丸井今井傘下に入る。しかし丸井今井の業績悪化で 199...
-
創業は 1952 年(昭和 27 年) 6 月 19 日開店のスズラン衣料品店。 1962 年(昭和 37 年) 5 月に地上 8 階建ての本館をオープンさせ百貨店化。前三、前橋西武が次々と閉店し、現在では前橋市唯一の百貨店となっている。中心市街地の再開発と連動し新しい複合型商業...
-
秋田市にある木内デパートは、かつて「秋田の三越」と言われた地域一番店で、お歳暮お中元では絶対的信頼の包装紙であり修学旅行の見学コースにもなっていたという。現在は、1990年に日本百貨店協会を退会し業務縮小、1階で衣料品のみを取り扱っている。消費税を取らない方針、ピカピカのトイレ...