全国の百貨店(デパート)を直接訪ね歩き、撮影し記録に残します。そして時々旅の情報も紹介します。

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2026-03-26

『西武渋谷店』 (2026年9月30日閉店予定)

1968年(昭和43年)419日開店。西武グループにとって、東急グループのお膝元・渋谷へ念願の出店だった。二つのグループが競い合うことで渋谷は東京のファッションや流行の最先端を走る街、若者文化の発信地として発展。この間、東急は現在も渋谷駅周辺の再開発をすすめるなかで百貨店2店を閉店し渋谷ヒカリエの「ShinQs」(協会加盟店)のみとなり、既存の百貨店で残ったのは西武渋谷店だけになった。この間にそごう・西武グループは投資ファンドの傘下となり、渋谷店は差別化を図るべく「アート」をテーマに個性に磨きをかけてきた。建物はA館、B館、ロフト館、モビーダ館、パーキング館の5館体制で、モビーダ館は無印良品が単独出店している。20249月期年間売上高409億円。売場面積41,595㎡。2026年3月25日、再開発業者との合意がならず2026年9月30日で閉店することを発表した。所在地:渋谷区宇田川町21-1

2026-02-05

『ams西武三軒茶屋店(現・西友)』跡 (1998年9月業態転換)

月賦百貨店「緑屋」発祥の地・三軒茶屋で、世田谷区が進めた市街地再開発ビルにセゾングループとなった緑屋が西友運営の百貨店形態「ams西武三軒茶屋店」として1985年(昭和60年)1025日開店。売場面積7,974㎡。その後新ブランド「LIVIN」になることなく、1998年(平成10年)9月業態転換して総合スーパー(GMS)西友三軒茶屋店となり現在に至っている。低層階の食品フロアは24時間営業をしていて眠らない街三軒茶屋の台所として賑わっている。20261月訪問。所在地:世田谷区太子堂4-24-8

2026-01-28

『松屋銀座』東京銀座の老舗百貨店

地下鉄銀座駅から店舗に通じる地下通路には松屋のおしゃれなショウウィンドウが並んでいます。ルーツは1869年横浜で創業した鶴屋呉服店。銀座店の開店は1925年(大正14年)51日。売場面積32,182㎡。20252月期売上高1224.9億円で過去最高の売上高を記録。2025年には開店100周年を迎えた。1970年代の経営危機を乗り越え、顧客ターゲットを明確にした成長戦略を図ることで順調に復活してきた松屋銀座店。屋上には昭和4年から安置されている高野山龍光院より迎えた龍光不動尊があり参拝者も多い。20243月、名古屋駅「タカシマヤゲートタワーモール」6階にグループ会社(東栄商会)がムーミンショップを出店したことがホームページに紹介されている。20261月訪問。 所在地:中央区銀座3-6-1

2026-01-23

『三越銀座店』(東京都中央区)

百貨店定番の化粧品売り場が地下にある三越銀座店。開店したのは1930年(昭和5年)410日。売場面積36,626㎡。20253月期売上高は1,241億円(前年比+193億円)と好調。日本橋三越との差別化で目指すは「ちょっと大きなセレクトショップ」。屋上には三囲神社と中央区登録有形民俗文化財の銀座出世地蔵尊が祀られていて珍しく有人の社務所も併設されています。20261月訪問。 所在地:中央区銀座4-6-16

2026-01-17

『阪急MEN’S東京』(旧有楽町阪急)

有楽町マリオン本館に1984年有楽町阪急として開店。2011年からは阪急MEN’S東京としてリニューアルオープン。開店が正午からという珍しい営業時間を採用している。20253月期売上高139.6億円(前年比+2.6%)。売場面積11,378㎡。メンズファッションに特化させた百貨店として比較的小規模な店舗ながら独自の魅力を発信している。かつて隣にあった堤清二氏悲願の有楽町西武はセゾングループ解体後の2010年に閉店。現在はルミネ有楽町になっている。2026年訪問修正。所在地:千代田区有楽町2-5-1。 

2026-01-16

『数寄屋橋阪急』跡(現・GinzaNovo) (2004年8月31日閉店)

ビル所有者の東芝が東京初進出を目指して出店希望だったそごうではなく、大井町で成功していた阪急に要請して1956年(昭和31年)529日開店。この時から阪急は正式名称を「〇〇阪急」と呼ぶようになった。1960年代には大学卒の女性を採用して制服でなく私服で店頭に立っていることで有名になった。1984106日に有楽町阪急が開業したことで食品売り場を新店舗に統一するなど2店の差別化を実施。19973月期売上57.2億円、売場面積7,000㎡(百貨店調査年鑑)。その後2004年(平成16年)831日百貨店を閉店させ、専門店ビル「モザイク銀座阪急」として営業していたが2012831日閉店。新たにビルを取得した東急不動産によって建物が解体再開発され、2016年から「東急プラザ銀座」、2025年からは複合型商業施設「GinzaNovo」となっている。20261月訪問。所在地:中央区銀座5-2-1

2026-01-15

『そごう東京店(有楽町そごう)』跡(2000年9月24日閉店)

現在はビックカメラとなっている読売開館はかつてそごう首都圏進出1号店。上階には1000名規模のよみうりホールが現存している。読売会館への出店が縁で閉店撤退までは巨人の優勝セールもそごうが開催していた。フランク永井の歌でヒットしたコマーシャルソング「有楽町で逢いましょう」の歌碑は有楽町マリオン前にある。1957年(昭和32年)525日開店、そごうが破綻した2000年(平成12年)924日閉店。19892月期売上高約300億円。19972月期売上高210億円、売場面積15,275㎡(百貨店調査年鑑より)。現在でも百貨店店舗だった名残がいくつかある。上り下りが交差するエスカレーターは有楽町そごうが初めて採用した。1階には2階まで吹き抜けの高い天井があり、数多くのデコレーションがされていた。20261月訪問。所在地: 千代田区有楽町1-11-1

2025-12-12

『東急日本橋店(旧白木屋)』跡 (1999年1月閉店)

ルーツは1662年(寛文2年)近江商人・大村彦太郎が創業した小間物店『白木屋』。江戸時代には、越後屋(三越)、大丸屋(大丸)と並んで三大呉服店の大店になった。二代目が1712年(正徳2年)に掘り当てた井戸が『名水白木屋の井戸』で、掘削中に出たといわれる観音菩薩像は長く百貨店内に祀られていたが、閉店後に浅草寺に移された。2025年現在周辺が工事中で石碑を見学することはできない。1903年(明治36年)日本で初めて近代的な百貨店建築を完成させ、明治44年には日本で初めてエレベーターや回転ドアを採用。関東大震災やデパート火災、戦災を乗り越えるも東急に買収され1967年に白木屋から東急百貨店に商号が変わる。そして創業から337年目の1999131日閉店。19971月期売上高387億円、売場面積35,223㎡(百貨店調査年鑑より)。現在跡地には「コレド日本橋」が建っている。 202512月訪問。所在地:中央区日本橋1-4-1

2025-12-04

『高島屋日本橋店(日本橋高島屋S.C.)』

1933年(昭和8年)320日の開店から90年を越えた日本橋高島屋は関東地区のフラッグシップストアである。本館は百貨店建築として初めて国の重要文化財に指定された。また本館4階には「高島屋史料館TOKYO」があり貴重な日本の百貨店関連資料などを展示している。本館エレベーターはオーチス社製で創建当時のカゴが補修されながら現役で使われている。売場面積45,420㎡。20252月期売上高1605億円(前年比+7.5%、決算報告資料より)2025年はインバウンドが伸び悩む中で好調な外商が売上の伸びを支えている。本館、新館、東館、ウォッチメゾンの4館体制の都市型S.C.は、若者を含む多世代の老若男女の集客に成功していて、活発な再開発が続く日本橋や八重洲と2030年頃まで人口増加が予測されている周辺地区にあって更なる成長が期待される。202510月訪問。所在地:中央区日本橋2-4-1

2025-11-28

『三越日本橋本店』 日本の百貨店の嚆矢(こうし)

1673年、伊勢商人の三井家が創業し世界で初めて正札販売を始めた越後屋呉服店をルーツとする三越日本橋本店。訪問時には記念の買い物をしてから屋上に出て三囲(みめぐり)神社参拝。許可を得て室町口に設置してある木製復元看板(現在は展示していません)や本館中央ホールの天女像を見学。日本の代表的百貨店建築である本館は国指定重要文化財としても見どころが多く見学ツアーが組まれるほど。2023年には創業350周年を迎えた。日本橋地区は2040年にかけて行われる首都高速地下化により、「水都・東京」の新しい親水空間に生まれ変わることで人流の増加が見込まれることから、日本橋三越にとっても大きなビジネスチャンスになる。売場面積70,278㎡。20253月期売上高1602.7億円(前年比+8.0%)。2025年10月訪問。写真は撮影日時を個別に表示。所在地:中央区日本橋室町1-4-1

2025-11-02

『大丸東京店』

東京でのルーツは1743年(寛保3年)の大文字屋江戸進出。1910年に一旦閉店するが、1954年(昭和29年)1020日東京駅八重洲口に百貨店として出店。以後東京駅八重洲口の顔として営業し2007112日には再開発でできた現在の店舗へ移転。20192月期までは8年連続増収を続けた。コロナ禍を挟んでリアル店舗の魅力づくりに努力を続けて売り上げも復活。道路を挟んで向き合う「東京ミッドタウン八重洲」や「トフロム・ヤエス」等の“大丸有”エリア(大手町、丸の内、有楽町)の再開発も追い風になっている。売場面積46,671㎡。20252月期売上高837億円(前年比+8.8%)。202510月訪問。所在地:千代田区丸の内1-9-1

2025-10-01

『松坂屋上野店』 

1768年(明和5年)520日上野の松坂屋を買収して「いとう松坂屋」を開業してから現在まで当地で営業している上野松坂屋。1907年(明治40年)41日百貨店として開業。1925年全国の店舗名を松坂屋で統一。1929年には上野店で日本初のエレベーターガールを採用。193011日、日本初の地下鉄駅直結百貨店となる。戦後増築した南館を解体し201711423階建ての上野フロンティアタワーを開業し現在に至る。近年は「上野らしさ」を生かした下町地域密着型百貨店をアピールしながら外商活動の強化で20252月期外商伸び率は松坂屋全店中トップとのこと。売場面積21,759㎡。20252月期売上高273億円。20259月訪問。所在地:東京都台東区上野3-29-5 

2025-09-26

『京成百貨店上野店』跡 (1984年12月閉店)

上野駅前の下谷郵便局跡地に1972年(昭和47年)1010日開店。高島屋ハイランドグループから商品供給を受けていた。19832月期売上高183.7億円。売場面積16,341㎡。当時は京成百貨店の基幹店だった。東山魁夷デザインの包装紙が有名で、現在も水戸京成で使われている。1984年(昭和59年)12月閉店。跡地は1985年からマルイとして営業中で2025年は開店40周年を迎えた。20259月訪問。所在地:東京都台東区上野6-15-1

2025-09-25

『ダイシン百貨店』跡 (現MEGAドン・キホーテ大森山王店)

創業者の出身地・信州にちなんで「ダイシン(大信)百貨店」として1964年(昭和39年)525日開店。圧倒的な品揃えと安さで人気となり最盛期には350億円を超える年商をたたき出し、協会非加盟百貨店として、リニューアルより低価格を売りにする庶民派百貨店として差別化を図っていた。マスコミにもたびたび取り上げられるほど有名店だった。しかし、経営の近代化の遅れや周辺との競争激化、建物老朽化による建替え投資等により経営が悪化したため、ドン・キホーテによる買収を受けて2016年(平成28年)58日閉店。同年630日からはMEGAドン・キホーテ大森山王店として業態変更し店舗が引き継がれ現在に至っている。20259月訪問。所在地:東京都大田区山王3-6-3

2025-06-02

『光が丘西武店』跡(光が丘IMA) 1998年10月業態転換

1973年に米軍から全面返還されたグラントハイツ跡地に開発されたニュータウン・光が丘の複合型商業施設として建設された「光が丘IMA」。その核店舗として西友直営の公園都市型百貨店が1987年(昭和62年)424日開店。売場面積21,500㎡は西友店舗で最大だった。1998年(平成10年)1028日、LIVINシリーズ最初の店舗として「リヴィン光が丘店」に業態転換して現在に至っている。核店舗として同時開店した忠実屋は現在はイオン練馬店となっている。光が丘IMA1991年の地下鉄大江戸線光が丘駅開業で格段に利便性が向上して現在でも練馬区最大(総売り場面積77,600㎡)のS.C.である。所在地:練馬区光が丘5丁目1-120255月訪問。

2025-05-30

『オズ大泉西武店』跡(プラッツ大泉) 1999年4月業態転換

東映撮影所跡地の再開発で1983年(昭和58年)423日、東映ショッピングセンタープラッツ大泉の核店舗として開業。売場面積8,108㎡。当初は西友オズ大泉店としていたが、1994年(平成6年)69日、西友の百貨店業態である「オズ大泉西武店」に名称変更。さらに1999424日からは現在の「リヴィン・オズ大泉店」に店名変更し業態転換した。道路を挟んで向かい合う「オズ・スタディオシティ」と対をなすS.C.。所在地:練馬区東大泉2-10-1120255月訪問。

2025-04-10

『錦糸町西武店』跡 (1999年6月16日業態転換)

錦糸町駅前にある東京楽天地ビルの再開発時核テナントとして地元から百貨店出店を要望され、西友が運営する百貨店業態として1986年(昭和61年)115日錦糸町西武店が開店。しかし、西武百貨店との誤認や全国百貨店共通商品券が扱えないなどの混乱を解決すべく、1999616日にLIVIN錦糸町店に業態転換された。さらに2017年(平成29年)109LIVIN錦糸町店も閉店となり、現在は錦糸町パルコとなっている。スーパー西友は地下1階で現在も営業中。20254月訪問。

2025-04-09

池袋 『サンシャインシティ・アルタ』

1981年(昭和56年)10月、岡田茂社長時代に財界挙げての要請で「サンシャインシティ三越」として開業。当初は、組織上も同一の三越池袋店の新館とでもいうべき売場面積26,070㎡の大型店だった。しかし当時勢いのあった西武百貨店の牙城を崩せず苦戦。19843月には売り場縮小、20039月には現在のアルタに改称された。ワールドインポートマートの1階と地下1階を使って約50店舗からなるヤング特化型の専門店を集めた小型商業施設で、小規模店やイベントスペースを使った短期出店なども積極的に取り扱っている。管理は百貨店部門ではなく不動産管理部門が担当しているが売上は日本橋本店に計上されている。なお、三越池袋店は200959日に閉店しており池袋で三越の商品券が使える唯一の店舗。20254月訪問。

2025-04-07

『三越新宿店』跡  (2012年3月31日閉店)

三越が最初に新宿へ出店したのは、関東大震災直後の1923年(大正13年)、追分交差点角に「三越マーケット」を出店したのが始まり。その後1929年(昭和4年)1010日新宿アルタ(20252月末閉館)への移転を経て、1930年には新宿通りの一等地に当時としてはめずらしかった鉄筋コンクリート8階建ての大規模な新店舗を構えて三越新宿店の営業を開始。2005年(平成17年)にはファッションビルに転換して「新宿三越アルコット店」に全館リニューアルした。その後、外部一括賃貸に伴い2012331日で営業を終了した。約80年にわたって伊勢丹とともに新宿通りの顔として存在した百貨店だった。2025年現在、跡地はビックカメラ新宿東口店となっている。

一方、新宿第一劇場跡地を買収して199110月に三越美術館を併設した南館を開業。しかし、バブル崩壊や新宿高島屋の進出などの競争激化で1999年(平成11年)731日に南館は閉店。閉店後は全館を大塚家具に賃貸し同年910日から「IDC大塚家具新宿ショールーム」となって現在に至っている。こちらは一見してかつて三越南館だったとわかる百貨店風の建物として残っている。19972月期売上高533.3億円、売場面積38,933㎡(1997年版百貨店調査年鑑)。20072月期売上高162.3億円、売場面積11,835㎡(2007年版百貨店調査年鑑)。20254月訪問。

2025-04-03

『大森京成百貨店』跡 (1980年6月20日業態転換)

大森駅西口に1973年(昭和48年)112日開店。売場面積8,868㎡。197712月期売上高50億円。当初から日本百貨店協会未加盟店だった。かつて白木屋百貨店も出店していた大森地区だったが思うように業績が伸びず、1979年(昭和54年)イトーヨーカドーに営業権を譲渡。総合スーパー進出反対運動の中で「大森京成」の名称のまま営業を続け、1980620日改装開店と同時に初代イトーヨーカドー大森店として業態転換。2000年(平成12年)にはイトーヨーカドーがアサヒスーパードライ誕生地で有名なアサヒビール東京工場跡地に移転したため、現在は食品スーパーや専門店が入居するテナントビルとして活用されている。20254月訪問。

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