全国の百貨店(デパート)を直接訪ね歩き、撮影し記録に残します。そして時々旅の情報も紹介します。

ラベル サ・新潟県 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル サ・新潟県 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026-07-17

『大和上越店』跡 (2010年4月25日閉店)

旧高田市本町の地元商店主11名が作ったイレブンビルの核店舗として1975年(昭和50年)71日開店。売場面積6,472㎡。高田銀座と言われた中心商店街にあり屋上遊園地や稲荷神社、6階大食堂が備わった都会の雰囲気漂う百貨店として多いに賑わっていた。しかし旧高田市と旧直江津市との合併により公的機関が両市の中間地点に移動したことで中心市街地の地盤沈下が加速、さらに大型商業施設の郊外出店が進み本町商店街の集客力が大きく衰退、2010年(平成22年)425日閉店。閉店直前20102月期売上高は26.7億円で最盛期の半分以下まで減少していた。閉店後ビルは解体され2階建てのイレブンプラザに建替えられた。本町5丁目にある複合ビルあすとぴあ高田とともに21モールで中心商店街再生を目指していたが現在の高田本町は人通りや車両通行が少なく非常に厳しい状況となっている。20266月訪問。所在地:新潟県上越市本町4丁目4-8

2026-07-14

高田『いづも屋百貨店』跡…新潟県の百貨店発祥地

1920年(大正9年)にいづもや呉服店として創業、1927年(昭和2年)に城下町高田に新潟県最初の百貨店「いづも屋」として開業。高田駅からも近い本町商店街にあって屋上遊園地や映画館を備えていた。19822月期売上高10.4億円、売場面積4,433㎡。1976年(昭和51年)にはジャスコ傘下となり1985220日百貨店を閉店。業態転換して同年11月にイヅモヤジャスコとして郊外移転した。さらに1996年(平成8年)320GMS「ジャスコ上越店」として移転開業、「いづもや」の屋号は消えるも現在のイオン上越S.C.に繋がっている。本町通りの百貨店ビルは解体され跡地はホテルとなったが名称が5回変わり、2026年現在アートホテル上越が営業している。ここ本町5丁目交差点は新潟県で百貨店の歴史が始まった由緒ある場所。道路を挟んで南側には競合店だった長崎屋跡に複合ビル「あすとぴあ高田」が建っている。20266月訪問。 所在地:上越市本町5丁目1-10

2024-12-05

『新潟伊勢丹』

人口77万人の政令指定都市・新潟市(商圏人口は100万超都市圏)にあって県内唯一の百貨店が新潟伊勢丹。開店は1984年(昭和59年)43日。売り場面積24,348㎡。開店40周年を迎える20243月期売上高359.4億円。黒字決算の元気な百貨店。2015年から始めた新潟の銘品を発掘し紹介する「NIIGATA越品」は年商4億円規模となり、県内のサテライトショップも増収で好調。

2024-12-04

『新潟丸大店(イトーヨーカドー丸大)』 (1991年業態転換)

1960年(昭和35年)7月、新潟丸大店として出店、新潟地震から1ヶ月後の19647月に百貨店化。売場面積約17,000㎡。1991年(平成3年)6月、百貨店からイトーヨーカドー丸大に業態転換。これにより丸大全店舗が百貨店から撤退した。2020年からは本社も新潟に移り、創業地である長岡から完全撤退。

2024-12-03

『大和新潟店』跡 (2010年6月閉店)

新潟古町地区にあった4百貨店のなかで一時は地域一番店だったこともある中心的な存在だった。1937年(昭和12年)929日創業の萬代百貨店が始まりで、194312月から大和新潟店となる。1955年の大火被害や1964年の新潟地震を乗り越えてきたが、戦前からの店舗を再開発する体力は大和にはなかったようで、2010年(平成22年)625日閉店し同時に新潟県から完全撤退した。跡地に再開発された「古町ルフル」は12階に帰宅困難者施設など防災対策を強化した複合ビル。BRTバス停と隣接して屋根付き広場も完成。大和があった頃とは様変わりしている。さらに、地下で三越とつながっていた全国でも珍しい駅に隣接していない地下街『西堀ローサ』も2025年に閉鎖されることが決まった。202411月訪問。

『新潟三越』跡 (2022年3月閉店)

背負いの行商から身を起こした小林與八郎氏が1907年(明治40年)創業した小林呉服店が1937年(昭和12年)に百貨店を開業。新潟古町で柾谷小路(まさやこうじ)の象徴的存在の老舗百貨店だった。競争激化のなか三越の支援を受けて生き残り、1980年(昭和55年)から屋号も新潟三越に変更。

『イチムラ新潟店』跡 (1981年7月閉店)

長岡発祥のイチムラ百貨店が新潟へ出店したのは1970年(昭和45年)10月。売場面積約9,500㎡。長岡市の大手通りで競い合っていた大和や丸大と新潟・古町でも競合することになった。1978年にはニチイの支援を受けて百貨店連合に参加するも業績不振で1981年(昭和56年)7月閉店。

2024-11-29

『大和長岡店』跡 (2010年4月25日閉店)

1958年(昭和33年)1018日長岡で戦後初の百貨店として開店。長く長岡の中心商店街の核として存在していたが信濃川の西側に郊外型SCが進出したことで人の流れが変わり、建物の老朽化も重なって2010年(平成22年)425日閉店。同時に大和は新潟県から全面撤退をした。閉店時の売場面積4,640㎡。跡地は再開発されて公共施設「米百俵プレイス・ミライエ長岡」となっている。

2024-11-28

番外編『イトーヨーカドー丸大長岡駅前店』跡

長岡駅前再開発事業に参画して1988年(昭和63年)1125日再開発ビルにGMS業態で出店した。1989年には大手通りの百貨店をディスカウント店に業態変更して、こちらの店舗を「イトーヨーカドー丸大長岡店」に改称した。その後売り上げ不振などから2019211日閉店。20204月からは複合型施設「ディアプラザ長岡」となった。202411月訪問。

『長岡丸大店』跡 (1989年9月業態転換)

始まりは1952年(昭和27年)に長岡で創業した丸大衣料品店。1962年(昭和37年)12月大手通りに長岡丸大店を開店、翌年に百貨店化した。売場面積8,205㎡。20203月末まではここが本社でもあった。1977年イトーヨーカドーと提携、翌年にはグループ入りして商標も変更。

2024-11-27

長岡市 『丸専』跡 (2007年4月閉店)

長岡市大手通り周辺の専門店が丸専呉服店を中心に集まってビルを建設し協同組合方式の寄合百貨店「丸専」として19601215日開店。先発のイチムラ、大和、2年後に開店した丸大と競い合いながら成長し、増築を繰り返すほど集客を伸ばした。

2024-11-26

『イチムラ長岡店』跡 (1997年2月28日閉店)

前身は1921年(大正10年)十日町市で創業した小間物店。1932年に十日町で初めての陳列型洋品店となった。1950年に長岡に支店を出し、1954425日大手通りに移転してイチムラ百貨店を開業、さらに1962年(昭和37年)新店舗を建設して翌年から正式に百貨店となる。

2024-07-23

新発田『ハヤカワ・デパート』跡 (1989年9月閉店)

新潟県新発田市中心商店街の市役所隣にハヤカワの廃墟ビルがある。わかっているのは、新発田で最初にできた百貨店で1973年に開店し19899月に閉店したこと。最後はジャスコグループだったこと。趣ある城下町・新発田ですが、商業都市と言われた中心商店街が淋しげでした。地元の方の話では、屋上遊園地やレストラン、エスカレーターがあって、行くのが楽しみなデパートだったそうです。20226月訪問。

『丸大柏崎店』跡 (1989年業態変更)

商圏人口は当時で12万人と見られていた柏崎市の駅近くに長岡が本店だった丸大が百貨店として1981年(昭和56年)425日に開店させた。売り場面積は約8,300㎡。1989年からはイトーヨーカドー丸大と屋号と業態を変更して営業するも、少しずつ売り場を縮小させて2018819日閉店。20226月時点では建物はすでになく更地になっていた。駅前のブルボンビル以外は駅から丸大に通じる商店街もシャッター通り化して静かでした。20226月訪問。

過去30日間で閲覧数の多い投稿