全国の百貨店(デパート)を直接訪ね歩き、撮影し記録に残します。そして時々旅の情報も紹介します。

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2026-07-12

『ながの東急百貨店』  長野市唯一の百貨店

始まりは1958年(昭和33年)1110日、新田町交差点に創業した「ながの丸善」デパート。現在跡地はみずほ銀行長野支店になっている。道路向かいにあった「ながの丸光」(のちの長野そごう)との激しい競争に敗れ、東急の支援を受けて1966年(昭和41年)1126日に現在地の長野駅前に移転、1970年(昭和45年)には社名をながの東急百貨店に変更。やがて人の賑わいの中心が長野駅周辺になり1973年には地域一番店に成長。2000年の長野そごう閉店で長野市唯一の百貨店として生き残ったが、郊外SCとの競争など試練が続く。2025331には100%子会社の「ながの東急ライフ」(売場面積5,488㎡)を閉店、2026630日には上田サテライトショップを閉店した。決算発表による20261月期売上高122.2億円。売場面積19,391㎡。20266月訪問。所在地:長野市南千歳1-1-1

2025-08-06

『松本パルコ(旧はやしや百貨店)』跡 (2025年2月閉店)

ルーツは林屋呉服店として1917年創業。1956年(昭和31年)に長野県第1号の百貨店として開業。1963年に現在の店舗を新築。しかしその時の投資が経営悪化を招き、1974年(昭和49年)出資を受け入れて信州ジャスコに業態転換。ジャスコが郊外へ移転したあと、1984823日からは松本パルコとして営業。かつては【六九の井上、伊勢町のはやしや】と言われた松本の二大百貨店のひとつだった。ちなみにパルコを手掛けた増田通二は父親が松本出身の日本画家で堤家はそのパトロンだった。しかし松本パルコは2025228日閉店。跡地の再開発について報道では、開発業者が現在のビルを活用した劇場型ショッピングセンター開設を目指しているが先行き不透明な状態とのこと。所在地:松本市中央1-10-3020257月訪問。

2025-08-03

松本市『井上本店』跡 (2025年3月31日閉店)

信州・松本を地盤とする老舗百貨店。1885年(明治18年)井上与作氏が呉服店として創業。1956年(昭和31年)県内初のエスカレーターを設置した百貨店を開業。1979年(昭和54年)419日、六九商店街の店舗から駅前に新築移転。新館との2館体制になる。1997年版百貨店調査年鑑によれば、売場面積11,483㎡、19948月期売上高202.2億円。2000年(平成12年)1026日には東筑摩郡山形村に郊外型SC「アイシティ21」をオープン。中心市街地の空洞化が進み売上が低下して2010年には新館閉鎖。売場面積8,000㎡。20248月期売上高64億円(アイシティ21と合算)。経営資源をアイシティ21に集中させるため、2025331日閉店した。所在地:松本市深志2-3-120257月訪問。

『井上松本ショップ』

閉店した旧本店跡と道路を挟んだ向かいにある松本ノーサンパーキングビル1階に、2025412日売場面積500㎡で「松本サテライトプラス」を開店。衣類中心に5つのショップで構成。所在地:松本市深志2-1-1020257月訪問。

2025-03-31

『ながの東急ライフ』跡 (2025年3月31日閉店)

長野電鉄・信濃吉田駅としなの鉄道・北長野駅で下車すると改札口から歩いてすぐ入店できるのが『ながの東急ライフ』。ながの東急百貨店の100%子会社の北長野ショッピングセンターで、開店は1990年(平成2年)11月。デパ地下的機能や少し高めでも良質な品揃えで他スーパーと差別化。週末を中心に来店客で賑わい地元に愛されていた。駅近で利便性も高く百貨店との連携など貴重な存在だったが、ご多分に漏れず近隣の巨大イオンモールや他スーパーとの競合で数期連続マイナス決算となるなど苦戦。2025年3月31日閉店となった。2025年3月31日更新。 

2024-11-22

『こもろ東急百貨店』跡 (2002年4月閉店)

1973年開店の小諸ファッションデパートが経営不振となり、その後継店舗として1983年(昭和58年)113日開店。正式名称は「ながの東急百貨店小諸店」。売場面積5,403㎡。19951月期売上高41.4億円。

2024-11-20

『茅野岡島』跡 (2001年8月閉店)

茅野駅西口再開発ビル「ベルビア」の核店舗として1987年(昭和62年)108日百貨店を開店。開店時売場面積4,700㎡⇒9,790㎡(1997年)。近隣へのSC出店で増えた空き店舗を埋める形で売場面積を増やすも中心市街地の衰退により業績が低迷。2001年(平成13年)8月閉店撤退。撤退後の空きスペースには子育て支援などの茅野市の公共施設が入居して現在に至っている。202411月訪問。

2024-11-16

伊那市 『ニシザワデパート』跡 (2021年6月閉店)

1924年(大正13年)1111日、伊那市通り町に書店として創業。1949年(昭和24年)の大火で店舗が焼失したのを契機に百貨店化を目指し1967年(昭和42年)地下1階地上6階建ての店舗を増築して伊那地方唯一の百貨店となった。売場面積2,850㎡。1988年度売上高7億円強。

2024-07-22

『長野そごう(旧長野丸光)』跡 (2000年7月12日閉店)

長野市百貨店の発祥地・新田町交差点は、1893年(明治26年)城下町松代で創業した丸忠みのや呉服店が、1957年(昭和32年)11月長野県初の百貨店として「丸光」を開店し地域一番店となった場所。しかし、現みずほ銀行の場所に後発出店した丸善デパート(現在のながの東急百貨店)が移転した長野駅前に人の流れが徐々に移り、売上減少と経営悪化に対しそごうの出資を受けて1987年(昭和62年)には屋号も長野そごうに変更。交差点向かいにできたダイエーとも競合し、2000712日、そごう本体の経営破綻により閉店。現在は信越放送のTOiGO SBCビルになっています。202211月訪問。

2024-07-15

『上田西武』跡 (2009年3月31日閉店)

西友ストアが1976年(昭和51年)9月上田西武として百貨店様式に業態転換し、長く百貨店として親しまれてきたが、20009月に再度LIVIN上田に業態転換して2009年(平成21年)331日閉店。跡地は現在、当地がルーツのルートインホテルになっている。20234月訪問。

上田『ほてい屋』跡 (1983年8月21日形態変更)

上田市と言えば1959年(昭和34年)12月に長野県で2番目に百貨店となった「ほてい屋」。店舗は海野町商店街にあり、ルーツは江戸時代から続く呉服店。1983821日ジャスコに吸収されて移転。現在のイオンスタイル上田に至る。20234月訪問。 

『おかや東急百貨店』跡 (2002年4月30日閉店)

市街地再開発事業で整備された施設に要請を受けて1997年(平成9年)926日に約10,000㎡の売場面積で開店したのが「おかや東急百貨店」。しかし、黒字化することなくわずか5年後の2002430日に閉店。現在は、岡谷市の関連施設や地元スーパーなどが入る複合型施設「イルフプラザ」となっている。JR岡谷駅から少し離れた場所にあるためか、来店客が少なく活気がない印象。地元の利用者の話では現在もテナントの入れ替えが激しいとのこと。20235月訪問。

上諏訪『まるみつ百貨店』跡 (2011年2月20日閉店)

1965年(昭和40年)7月、長野丸光の子会社として上諏訪駅前に「諏訪丸光」が開店。地元を代表する人気店になる。その後、経営方針や環境の変化で紆余曲折があり2005年からは「まるみつ百貨店」と店名を変えて、日本で唯一店内に温泉施設を持つ百貨店として再生を図るが、2011年(平成23年)220日閉店。

2024-05-25

唯一 村にある百貨店『井上アイシティ21』(長野県)

2000年、JR松本駅から南西に10㎞、車で25分、東筑摩郡山形村に郊外型SCの核テナントとして開店。日本で唯一、村にある百貨店協会加盟店。フロアガイドの鳥瞰図を見ると、2000台収容の広い駐車場にはヘリポートも完備、3階建部分の百貨店と2階建の専門店街を中央の吹き抜けモールでつないでいる構造がわかる。店内は贅沢に空間を使って広々としている。また、駐車場まで屋根付の点字ブロック完備や全館禁煙など、当初からハートビル法適用SCとして人にやさしく作られているのも特徴。百貨店部分の売場面積13,100㎡。

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