全国の百貨店(デパート)を直接訪ね歩き、撮影し記録に残します。そして時々旅の情報も紹介します。

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2024-08-07

酒田『マリーン5清水屋』 (2021年7月15日閉店)

ルーツは1950年(昭和25年)6月開業の清水屋百貨店。1976年(昭和51年)10月の酒田大火のあと、復興のシンボル・セントラルビルに移転。1982年にダイエーと提携。1994年(平成6年)福島の中合と合併して「中合清水屋」となり、庄内地方唯一の百貨店として市民に親しまれてきた。

2024-07-29

『十字屋寒河江店』跡 (1994年1月閉店)

寒河江市中心部のショッピングセンターの核店舗として1982年(昭和57年)910日開店。途中、ダイエーFCとなり1994年(平成6年)116日閉店。十字屋の中型店で売場面積は6,400㎡。現在は美術館も入る寒河江市中心市街地活性化センター「フローラSAGAE」になっている。プレートは十字屋開店当時のままで残っていました。202111月訪問。 

2024-07-06

『山形ビブレ』跡 (2000年1月閉店)

197333日山形駅前に開店したニチイから営業譲渡を受けて199431日ダックシティ山形ビブレとして百貨店に業態変更し協会加盟百貨店となる。2000110日閉店し建物は解体される。現在跡地は駐車場だが2024年になってようやく再開発に向けて動き始めた。20243月訪問。

『大沼米沢店』跡 (2019年8月閉店)

大沼が米沢店を出店したのは1970年(昭和45年)11月。開店当日は警察官も動員されたほど歴史的な人出だった。渡辺大輔著「さよならデパート」によれば、福島の中合が先に米沢出店表明をしていて、大沼は中合出店予定地の隣接地を買収して出店。その後中合は、土地買収が進まない段階で市場規模から判断して出店を断念。売場面積6,161㎡(2010年)。閉店前の年間売上は12億円程度まで減少。20198月閉店。現在、跡地には薬局とフィットネスクラブが建っている。20243月訪問。

『エムアイプラザ三越山形店』 半世紀後に実現した三越誘致

20143月、山交ビル1階に開店したエムアイプラザ三越山形店。母店は仙台三越。当初山形交通は新しいビルに三越を誘致すべく動いていたが実現できず、代わりに伸び盛りのダイエーが手を上げてダイエー山形店になったという。

『十字屋山形店』跡 (2018年1月閉店)

1971年開店。十字屋の屋号最後の百貨店だった山形店。十字屋としては大型店で売り上げも好調だった。その後、ダイエー、中合の傘下となり、建物老朽化を理由に20181月閉店。現在跡地はダイワロイネットホテルに建て替わった。なお1951年にミツマス百貨店の並びに開店した七日町の小型店は1976年閉店。そのほか県内には米沢店、寒河江店が存在していた。20243月訪問。

『山形松坂屋』跡  (2000年8月閉店)

1956年、協同組合方式で「丸久」として開店。山形市で大沼と競合する二大百貨店の一つとなる。1973年「丸久松坂屋」に商号変更し隣地へ新築移転。1980年「山形松坂屋」に社名変更。赤字続きで20008月閉店し会社は解散。現在はナナビーンズとしてホテルなどがある複合型ビルとなっている。20243月訪問撮影。

山形市 『岩淵第一百貨店(ミツマス百貨店)』跡 (1954年業態転換)

1933年(昭和8年)3月、岩淵増蔵氏によって3階建てで食堂を備えた山形初のデパートが開業。この時「大沼百貨店」の前身は、10代大沼八右衛門が雑貨店を経営していた。岩淵増蔵氏は祖父の指示で、紅花の商いで取引のあった高島屋東京店で働いた経験があり英語も堪能だった。その後、戦中戦後の混乱を経て1954年食品スーパーに業態転換するも2003年に自己破産申請。

2024-05-24

山形市の老舗『大沼百貨店』跡 (2020年1月閉店)

1700年創業の日本屈指の老舗百貨店だった大沼。大型店激戦地で競争を勝ち抜きながら、20201月に倒産閉店して山形県から百貨店が無くなってしまいました。あれから4年、建物は現存するも取り壊しを待っている状態。少し前まで大勢の買い物客で賑わった玄関の壁面には再開発プロジェクトの完成予想図が描かれていました。かつては置賜地区の米沢店から庄内地区の酒田店まで山形県を網羅していた大沼百貨店320年の歴史に思いをはせながら20243月訪問。所在地:山形市七日町1-2-30。

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