全国の百貨店(デパート)を直接訪ね歩き、撮影し記録に残します。そして時々旅の情報も紹介します。

2024-09-28

『町田大丸』跡 (2000年2月27日閉店)

小田急線・原町田駅(現在の町田駅)に隣接して1971年(昭和46年)10月開店。大丸としては関東地区で東京駅に次いで2番目の出店となった。売場面積15,925㎡。1976年に小田急百貨店が売場面積約26,000㎡と2倍近い規模で出店すると業績が悪化、1980年に「プラザビーミー」と名称を変えてリニューアル。

2024-09-27

週末に名古屋周辺を旅するなら『青空フリーパス』

JR東海が発売している土曜休日1日乗り放題のフリーパス。値段は2,620円。その特徴の一つ目はフリー区間が広いこと。西は米原から東は豊橋・二川まで、北は下呂、木曽平沢、飯田まで、南は鳥羽、紀伊長島まで乗降できます。二つ目は伊勢鉄道線も乗車できること。例えば、伊勢神宮参拝に名古屋⇔伊勢市を快速みえで往復するだけでも正規料金4,080円に対して2,620円なので1,460円もお得になります。使う当日に券売機で購入できるのも便利です。指定席料金530円だけ払えば快速みえの指定席が利用できます。ただし、快速みえの週末指定席は混雑するので早めの予約をおすすめします。別に特急券を購入すれば特急も利用できます。

なお、ネットのみで通年発売している地域コンパクト版「名古屋おでかけきっぷ」(1,500円)とは違いますので買い間違いのないようご注意下さい。(詳細はJR東海ホームページ参照)

新幹線で名古屋駅に着いたら、ホテルやコインロッカーに荷物を預けてから『青空フリーパス』を駅で購入して周辺の観光に出かけてみてはいかがでしょうか。

土休日の当日購入できる『青空フリーパス』
伊勢神宮最寄駅・伊勢市往復だけでも元が取れてお得です。


2024-09-26

『三越多摩センター店(旧多摩そごう)』跡 (2017年3月閉店)

日本最大の計画都市・多摩ニュータウンのセンター駅にできた多摩センター百貨店ビルに、1989年(平成元年)1020日多摩そごうが開店。売場面積34,200㎡。1998年度売上高195億円。赤字状況が続きそごう本体の経営破綻で2000917日閉店。

2024-09-24

『イオン橋本店』 (幻の『橋本そごう』跡)

横浜線(京王線)橋本駅の北口再開発ビルへの出店が他社との競合に勝って決定していた「橋本そごう」。1993年そごう本体の経営悪化で出店凍結、1996年解約して出店断念。代わって200031日マイカル橋本ビブレが開業。売場面積約30,000㎡。

2024-09-23

『柚木そごう』跡 (1994年10月閉店)

多摩ニュータウン西部地区の拠点として都市計画された京王新線・南大沢駅(八王子市)の商業ビル「ガレリア・ユギ」の核店舗として1992年(平成4年)67日開店。忠実屋との同時出店のためか売場面積13,150㎡とそごうとしては中途半端な規模で、そごうが経営破綻するまえの1994年(平成6年)103日閉店撤退。

2024-09-21

『そごう八王子店』跡 (2012年1月31日閉店)

良くも悪くも八王子の中心商店街に多くの影響を与えたそごう八王子店。開店は1983年(昭和58年)111日。1990年に約5,000㎡の増床をして売場面積約36,000㎡となり当時残っていた西武百貨店に大差をつけて閉店に追い込んだ。しかし、そごう自体もこの頃から業績に陰りや経営独裁体制批判が表出し始め、

2024-09-18

『八王子大丸』跡 (1985年8月閉店)

大手百貨店としては八王子に3番目の進出で、甲州街道沿いの横山町に1972年(昭和47年)4月開店。西武百貨店と同規模の売場面積12,000㎡。すでに丸井やダイエーも出店している環境での新規参入だった。出店した頃は店舗の周辺が中心商店街だったが1983年の駅前そごう出店で、

『西武百貨店八王子店』跡 (1993年8月閉店)

八王子での大手百貨店では2番目の進出で、甲州街道と西へ伸びる放射道路の間の中町に、1970年(昭和45年)1025日開店。地下2階地上8階建て、売場面積12,000㎡に制限を受けた。そごう出店で打撃を受け、1991年の西友百貨店部門への移管を経て1993年(平成5年)8月閉店。

『八王子伊勢丹』跡 (1979年2月閉店)

大手百貨店の中で最初に八王子に進出した伊勢丹。1969年(昭和44年)913日横山町の甲州街道沿いに開店。7階建て・売場面積4,800㎡で伊勢丹としては中型店。八王子市中心商店街の大型店進出に対する反対運動は激しく当時の行政方針もあり、

2024-09-17

八王子 『イノウエ百貨店』跡 (1971年7月閉店)

当時の中心市街地の八日町に1963年(昭和38年)101日、八王子2番目の百貨店として開店。まるき百貨店とともに八王子を代表する百貨店になった。売場面積約4,000㎡。しかし。繁華街の中心が横山町に移り八日町が衰退したことで1971年(昭和46年)7月閉店。忠実屋と組んで業態変更して再出店するも

『まるき百貨店(八王子岡島)』跡 (1968年10月閉店)

江戸時代に大久保長安が整備したという甲州街道と国道16号線が交差する当時の中心市街地だった八日町4丁目交差点に1960年(昭和35年)1210日、八王子で最初の百貨店として松坂屋と提携してまるき百貨店が開店。八王子を代表する百貨店として繁盛した。売場面積約8,000㎡。繁華街が八日町から横山町に移り業績悪化で

2024-09-14

『百貨店の空港売店』 その2 現在も営業中の売店

空港にある地元百貨店の売店は選んだお土産を百貨店の紙袋に入れて持ち帰る楽しみがあります。鹿児島空港には山形屋レストランがあり、有名な「やきそば」を旅の終わりに味わうこともできます。このほか北九州空港に井筒屋売店、福岡空港には大丸と玉屋の売店が複数あります。撮影日は各写真に記載。

2024-09-10

『百貨店の空港売店』 その1・今は無き空港売店

各地の空港には地元百貨店の売店があって、百貨店ブランドに対する信頼感でお土産を選び、百貨店の包装紙や紙袋に包んでもらう楽しみがあります。店舗の閉店で空港売店も減少傾向にあるようです。旅の途中で撮影できたいくつかを紹介します。中にはレストランを出店している百貨店もあり、故郷の名物料理を旅の終わりに味わうこともできます。今回は今は無き3店、函館空港の棒二森屋、徳島空港の丸新、熊本空港の鶴屋。訪問日は各写真に記載。 

『丸広百貨店アトレ店』 (2012年9月SCに業態転換)

JR川越駅東口再開発ビル「アトレ」の核店舗として1990年(平成2年)516日開店。全体の売場面積27,967㎡。川越本店とはクレアモールを挟んで500mしか離れておらず百貨店2店体制となった。しかし売上が伸びず2012年(平成24年)915日ショッピングセンターに業態転換。直営だった地下食料品売場もテナントに変わり、全国百貨店共通商品券は使用できなくなった。2021220日訪問。

『丸広百貨店南浦和店』

1978年(昭和53年)12月に京浜東北線南浦和駅西口に開店。直営の売場が少ないのでショッピングセンター方式のテナントビルながら日本百貨店協会加盟の店舗。ただし全国百貨店共通商品券は学生服売り場などごく一部で使用可能。丸広百貨店としては珍しく埼玉県の都心部にある。売場面積12,680㎡。20162月訪問。 

『小倉玉屋』跡 (2002年2月28日閉店)

地元の強い反対の影響で当初は菊屋百貨店として1938年(昭和13年)1025日開店。戦後はアメリカ軍に接収されていたが1952年(昭和27年)返還されて同年10月に小倉玉屋として再出発。井筒屋などと競っていたが1993年の小倉そごう進出で打撃を受けその後も業績が回復せず、北九州市の再開発計画に協力する形で2002年(平成14年)228日閉店。そごう撤退で空いていた駅前ビルに同年3月出店するも9か月後の1225日閉店。当初店舗の跡地には美術館などが入居する公共施設「リバーウォーク北九州」ビルが建っている。20161月訪問。 

『近鉄百貨店上本町店』 

大阪でも有名な文教地区の上本町駅にあるのが近鉄上本町店で、開店は1926年(大正15年)916日開店の三笠屋百貨店からで、阪急梅田店より先に出来たターミナルデパート。1936年には大軌百貨店となり現在に至っている。売場面積34,048㎡。大阪市内でもマンション建設が多く人口増加地区にあって地元客が多い特徴を持ち、近鉄いわく「都心タイプのデイリーユース型百貨店」。20162月訪問。 

『近鉄百貨店四日市店』 

開店は1960年(昭和35年)618日。四日市近鉄ビルの核店舗で1990年~1991年にかけて売り場を拡大し三重県内最大の売場面積を持つ。売り上げの35%を食料品が占めているターミナルデパート。しかし、三重県はイオンの創業地であり周囲の多くのイオン店舗と競合し、電車で30分の名古屋の百貨店、特に高島屋との競合にさらされている。プラグスマーケットのような地域共創型FC事業を柱に強化を図っている。売場面積33,898㎡。20163月訪問。

2024-09-09

『松坂屋四日市店』跡 (2001年5月31日閉店)

近鉄四日市駅西口再開発ビル「アムスクエア」の核店舗として1991年(平成3年)113日開店。しかし毎年20億近い赤字を出し続け、2001年(平成13年)531日に閉店。現在は、トナリエ四日市という複合型商業施設になっている。20163月訪問。

『小田急町田店』 ~百貨店乱立地区の生き残り~

小田急町田店は、1976年(昭和51年)923日開店。ビルの2階と3階の間に小田急町田駅があり改札口で直結していて便利。かつて町田駅周辺は、大丸、東急、さいか屋、丸井など、デパート乱立地区だったが業態転換や閉店となり、小田急百貨店だけが生き残った。大学や専門学校などが数多く学生街でもある町田で、売上の4割を占める食品や若い世代の利用も多いのが特徴。売場面積25,670㎡。20164月訪問。

2024-09-08

町田の老舗『吉川百貨店』跡 (1999年閉店)

町田出身で地元の偉人と言われる吉川巳代一氏が1923年(大正12年)9月に創業、1949年(昭和24年)824日に町田で開業した吉川商店が1951年に吉川百貨店に改称して1977年には売場面積10,000㎡、年間売上57億円の百貨店に成長(百貨店調査年鑑1978年版より)。しかし、旧町田街道の繁華街が小田急線の開通や国鉄町田駅の移転に連動して変化し、百貨店の進出も駅前に続き、立地の激変によって1999年閉店。跡地は2001年から町田まちづくり公社の「ぽっぽ町田」となっている。20249月訪問。 

2024-09-06

『奈良そごう』跡 (2000年12月25日閉店)

奈良はそごうの創業者・十合伊兵衛の出身地。その奈良市二条大路に1989年(平成元年)102日開店。しかし、この場所は天武天皇と天智天皇の孫で非業の死を遂げた長屋王の邸宅跡で開発時には多数の木簡が出土したため遺跡保存目的で反対運動が起きた。そごう側が押し切る形となったがそれでも地下売場は作らなかった。売上は堅調に推移するもそごう破たんとともに20001225日閉店。2003年になってようやくイトーヨーカドー奈良店として再開店し2017年閉店。2018年からは複合型SC「ミ・ナーラ」として営業中。20163月訪問。 

『東急百貨店たまプラーザ店』 ~ドラマ『金妻』の舞台~

住みたい街として人気のある東急田園都市線たまプラーザ駅には東急が開発した「たまプラーザテラス」という大型商業施設があり、そのノースプラザの核店舗として1982年(昭和57年)102日開店。その翌年にトレンディドラマ『金曜日の妻たちへ』が周辺を舞台に大ヒット。その頃から40年を過ぎてなお人口も増えていて百貨店ニーズも高い。売場面積約32,000㎡。地域密着型の今の時代の百貨店。2016410日訪問。

『伊勢丹府中店』 (2019年9月30日閉店)

京王線府中駅南口の再開発ビルに核店舗として1996年(平成8年)43日開店。売場面積約32,000㎡。年間売上ピーク時260億円超が2018年には139億円まで減少。赤字恒常化を理由に2019930日閉店。跡地は伊勢丹撤退後のビルを活用して電器店ノジマが「ミッテン府中」SCを営業中。20164月訪問。 

『京王百貨店・聖蹟桜ヶ丘店』 

京王電鉄グループが開発した聖蹟桜ヶ丘駅ショッピングセンターに1986年(昭和61年)328日核店舗として開店。売場面積約13,000㎡。多摩市と言う郊外激戦区の中にあって、新宿本店と沿線に出店しているサテライト店と連携を深めながら独自性をPRしてマンション建設ラッシュで増加する若い世代の顧客獲得に挑戦中。2016年4月10日訪問。 

2024-09-05

『伊勢丹相模原店』 (2019年9月30日閉店)

政令指定都市・相模原市の相模大野駅近くのアメリカ軍医療センターが返還された跡地再開発ビルに、1990年(平成2年)925日開店。売場面積約40,000㎡。高嶋政伸主演のTBSドラマ『デパート物語』シリーズの舞台となった。熾烈な競合地区のなかにあって業績不振により2019年(令和元年)930日閉店。建物は解体され、一部を再利用した41階建て超高層マンションとなっている。2016年410日訪問。

2024-09-04

秩父『矢尾百貨店』 ~近江商人の家訓を持つ老舗~

人口5.6万人の秩父市にある唯一の百貨店が矢尾百貨店(日本百貨店協会非加盟)。1749年(寛延2年)8月秩父で近江商人(日野商人)の矢尾喜兵衛氏が創業した酒造業が始まり。最近まで当主は滋賀県在住を守ってきた。義商として地域からも支持され「積善積徳」の社是を実践し、秩父事件でも襲撃されなかったのは暖簾の誇り。そして今も秩父で人気の大型店として近江商人の教えを受け継いでいる。5階のデパート食堂カプチーナは旅人にもお薦め。日本酒「秩父錦」も販売している。20167月訪問。 

2024-09-03

『岡田屋モアーズ相模大野店』

1992年(平成4年)924日横浜岡田屋の支店として開店。小田急線相模大野駅西口にあり神奈川県百貨店協会加盟店。売場面積4,803㎡。最初からテナント重視のショッピングセンターとして運営されていて「ジョイモアーズ相模大野」として買い物、飲食、アミューズメントが店舗内に揃っている。2016年4月訪問。 

2024-09-01

『茂原そごう』跡 (2000年2月29日閉店)

茂原駅南口再開発ビルに開店したのは1992年(平成4年)37日。開発当初はすでに出店していた扇屋ジャスコに移転出店を要請したが断られ、千葉そごうに交渉しそごう出店にこぎつけた。しかし人口10万に満たない茂原市で業績が伸びず累積赤字が60億円を超えて2000年(平成12年)229日閉店。そごう破綻前の閉店だった。現在はテナントビルになっている。2024826日訪問。

『都筑阪急』

横浜市の港北ニュータウンのセンター北駅まえにある『モザイクモール港北』の核店舗として2000年(平成12年)317日開店。当初は阪急の関東唯一のフルライン百貨店として売場面積16,352㎡からスタート。業績低迷により徐々に売り場を縮小し20201月からは地下1階食料品売り場のみとなっている。20243月期決算発表では売場面積1,917㎡、売上32億円。201611月訪問。

『日吉東急アベニュー』 百貨店が経営する専門店ビル

東横線日吉駅の真上にある日吉東急アベニューの前身は1995年(平成7年)111日開店の東急百貨店日吉店。2004年業態転換して2008年から現在の名称となる。売場面積13,967㎡。地域密着路線が強みで、店舗から3㎞以内のお客様で売り上げの8割を占めているという。近くに武蔵小杉の商業集積地があるものの、うまく棲み分けができている証拠か。日本百貨店協会加盟で共通商品券も使える。201611月訪問。

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