越後上杉家と縁があるという渋川の名家「佐鳥家」が1890年(明治23年)さとり呉服太物商を創業。1969年(昭和44年)11月28日百貨店を開店。地上5階地下1階、屋上観覧車が目印で、養蚕の中心地として栄えた流通都市・渋川の商業の中心「四つ角商店街」の核店舗として地域でも信頼と人気の百貨店だった。1982年度百貨店調査年鑑によれば売場面積3,375㎡、1981年7月期売上高32.4億円。やがて高崎や前橋の大型店に押され、さらに渋川駅前商店街にニチイが進出したことで経営環境が厳しくなり、1981年4月ジャスコと共同出資して群馬ジャスコを設立、1986年3月28日スーパーに業態転換して渋川中学校近くの郊外に移転した。その店舗も2003年5月18日に閉店し市の保健センターになっている。百貨店社長だった佐鳥達雄氏はのちに上毛新聞のオーナーになった。現在百貨店跡地は県営住宅となっている。今回の訪問では“渋川懐かし商店街マップ”を作製した「渋川町割400周年記念実行委員会の I 様に情報提供を頂いたことに謝意を表します。2026年6月訪問。所在地:群馬県渋川市中之町乙2388。
2026-06-28
『藤五ストア渋川店』跡 (1978年12月20日閉店)
1963年(昭和38年)3月23日、高崎にある藤五百貨店の分店的な役割を持つ「藤五ストア」として開店。売場面積1,437㎡。1977年の年商約14億円。市内商店街の平沢川に架かる中央橋北側のマロニエ通りに面して店舗があった。近くにはマロニエと橋が美しい渋川の風情を詠んだ歌碑がある。さとり百貨店とともに渋川の大型小売店としての役割を担ってきたが1978年(昭和53年)12月20日藤五ストア自己破産により閉店。跡地は現在ドラッグセイムスになっている。2026年6月訪問。所在地:渋川市新町萱場1861-1。
2026-06-26
須賀川市 『赤トリヰ』跡 (2000年1月10日閉店)
1905年(明治38年)須賀川で洋傘の製造販売店を創業したのが始まり。1967年(昭和42年)須賀川の繁華街・中町に百貨店の「赤トリヰショッピングデパート」を開店。1976年12月3日には地上5階地下1階(売場面積6,845㎡)の大型店に成長した。ピーク時には年間60億円の売上を記録。1996年にはマイカルの傘下に入り「マイカル福島赤トリヰ店」に名称変更。その後郊外店の進出や郡山への大型店出店の影響を受け2000年(平成12年)1月10日閉店。2004年3月にスーパーとして再開店するも1年で閉店。1981年に開業した郊外型店舗も2011年閉店した。現在のデパート跡地は東日本大震災後に建替えられ須賀川市民交流センターとなっている。ここには円谷英二の故郷として無料のミュージアムがあり、松明通りにはウルトラマンのモニュメントが13体並んでいる。なお、現在も「マイショップ赤トリヰ」の屋号で須賀川市鍛冶町1-30で衣料品専門の小型店が営業中。2026年6月訪問。所在地:福島県須賀川市中町4-1。
2026-06-17
小樽『ニューギンザ百貨店』跡 (1988年7月3日閉店)
始まりは1917年(大正6年)小樽で創業した河野呉服店。1950年(昭和25年)4月ニューギンザ百貨店と屋号を変えて1955年百貨店化。丸井今井、大国屋に次ぐ3番目の百貨店として互いに競い合って成長。1965年には地域一番店になった。若者衣料品に注力した時期の合言葉は「GOGOヤング・ニューギンザ」。売場面積4,043㎡、1983年1月期売上高20.7億円(百貨店調査年鑑より)。1970年頃から急激に業績が悪化、駅前再開発ビル進出に手を挙げるも長崎屋に敗れ、店舗敷地の再開発を契機に1988年(昭和63年)7月3日閉店廃業した。跡地は再開発され1990年から丸井今井小樽店と小樽グランドホテルになった。その後、2015年もう一度再開発され現在は高齢者施設と病院になっている。2021年5月訪問。2026年6月更新。 所在地:小樽市稲穂1-5-1。
2026-06-15
小樽『大国屋』跡 (1993年4月30日閉店)
(大国屋の表記について➡「大國屋」「大国屋」どちらも使われていたようだがここでは「大国屋」で統一使用する。なお「大黒屋」は福島県の百貨店参照。)
ルーツは1853年(嘉永6年)富山県旧井波町で創業した古着商。1877年(明治10年)屋号を大国屋に変えて呉服商となる。1907年(明治40年)小樽支店を開店。1924年(大正13年)3月には呉服店を出店。1934年(昭和9年)4階建て新店舗で百貨店を開業した。1975年頃までは小樽3大百貨店の1店として「品質は大国屋」と言われ成長した。大国屋5階には屋号にちなんで出身地の富山県井波特産の神殿彫刻を備えた大国神社が祀られていたという。1975年小樽駅前に長崎屋が出店してから売上が減少し始め、1989年には提携していた西武百貨店傘下となる。売場面積4,458㎡。1989年1月期売上高30.9億円(百貨店調査年鑑)。1990年の丸井今井の増床の影響でさらなる売上減少で赤字となり1993年(平成5年)4月30日閉店。跡地は現在オーセントホテル小樽になっている。2021年5月訪問。2026年6月更新。所在地:小樽市稲穂2-15-1。
2026-06-13
『丸井今井小樽店』跡 (2005年10月23日閉店)
今井呉服店が小樽に支店を出したのは1891年(明治24年)10月1日。1923年(大正7年)稲穂第一大通に移転して小樽最初の百貨店を開業させた。小樽市とともに発展し長崎屋が駅前出店するまでの1975年頃までは大国屋、ニューギンザ百貨店とともに3店が競い合ってサンモール一番街が賑わっていた。当初の売場面積4,409㎡。1989年1月期売上高56.9億円。その後、長崎屋進出や郊外SCの進出に対抗し1990年(平成2年)9月ホテル併設の複合型新店舗へ増床移転。移転後売場面積13,546㎡。1997年1月期売上高106.6億円。しかし1999年小樽築港へ98,000㎡の巨大SC「マイカル小樽」出店などの影響で売上が減少し2005年(平成17年)10月23日閉店。翌月から複合型商業施設「サンモール・ネオ」となるが2009年閉店、ホテルも廃業。跡地は再び再開発され2015年から高齢者施設と病院になった。2021年5月訪問。2026年6月更新。所在地:小樽市稲穂1-4-1。
2026-06-11
『きたみ東急百貨店』跡 (2007年10月31日閉店)
北見市が中心市街地活性化のために進めた駅前再開発ビルの核店舗として出店要請を受けて東急百貨店が1982年(昭和57年)8月23日開店。売場面積12,500㎡。最盛期の1993年1月期には売上高145億円を記録し市民に親しまれていた。しかしその後の郊外店との競争で売上が大きく減少して2007年10月31日閉店。併設していた北見東急インホテルは2010年に閉店してホテル部分は解体された。現在は2021年隣接地に市役所が移転してきて百貨店跡を運営する第三セクター「コミュニティプラザ・パラボ」とともに市民に親しまれており、公民連携で百貨店閉店後の再構築に成功した希少な事例となった。市役所新庁舎とスカイウォークでつながっており、駅・バスターミナル・商業ビル・市役所がワンストップで利用できる便利さが実現している。2021年5月訪問、2026年6月更新。所在地:北見市大通西2-1。
2026-06-09
北見 『まるいいとう百貨店』跡 (1986年7月閉店)
北見市はオホーツク地方の中心都市で人口約10万。北見で最初に出来た百貨店が「まるいいとう」。創業は1914年(大正3年)3月31日。新潟出身の伊藤元治が札幌の丸井今井から暖簾分けして丸い伊藤呉服・金物店を開業。1929年(昭和4年)に店舗を増築して百貨店形態となる。百貨店法の適用を受けたのは1956年(昭和31年)11月で翌年には日本百貨店協会に加盟。最大売場面積7,220㎡、駅前一等地で展望エレベーターや上下エスカレーターを備えた本格的な店舗となった。1982年1月期売上高61.4億円(百貨店調査年鑑より)。その後きたみ東急百貨店や郊外店が進出して業績悪化、東急百貨店と業務提携したのち自主廃業を決定し1986年7月閉店。跡地は東急グループの商業ビルを経て解体再開発され、現在は北見信用金庫本店になっている。中央大通を挟んで向かい(現在ルートインホテル)には金市舘北見店もあった。2021年5月訪問、2026年6月更新。 所在地:北見市大通東1丁目2。
2026-06-06
夕張『丸丹おかむら』跡 (1980年1月閉店)
炭鉱の町・夕張には、かつて空知地方唯一の協会加盟百貨店「丸丹おかむら」があった。始まりは島根県出身の岡村亀吉が1892年(明治25年)創業した衣料と日用雑貨店。2年後には岡村呉服店となる。明治35年、大正6年、昭和24年の大火全焼被災を乗り越え1957年(昭和32年)11月百貨店法に基づく百貨店となった。売場面積約2,500㎡。5階レストラン「丹頂グリル」や3階喫茶「人々」などが大人気となった。1960年には人口11万人を有し大いに賑わったが、石炭産業の斜陽化で炭鉱閉山が相次ぎ人口も半数以下となり1980年(昭和55年)1月閉店した。跡地は第三セクターが買収して1986年からホテルとなったが、その後の急激な過疎化と財政破綻などから現在はホテルも休業して廃墟状態になっている。2026年5月の夕張市人口は約5,700人。所在地:夕張市本町2丁目19。
2026-06-04
帯広『藤丸』跡 (2023年1月閉店・2030年再生予定)
富山県出身の藤本長蔵氏が1897年(明治30年)行商で訪れた帯広に定住し店を持ち、1900年(明治33年)10月30日北越呉服を創業。開拓者への商品提供で信頼を得て現在地に土地を購入、1930年(昭和5年)に百貨店を開業した。戦後は順調に成長して1982年(昭和57年)3月1日自社ビルを建てて売り場を拡大。1997年度には年商143.8億円まで成長した。しかしその後は郊外大型店との競争に加えて中心商店街の空洞化や不況で業績が悪化、2023年1月31日閉店した。売場面積14,374㎡。1981年出店した帯広空港売店は2022年11月23日閉店。藤丸の屋号と事業は新会社に引き継がれて2026年からビルの解体工事が始まった。2030年の新店舗での新しい商業施設オープンを目指して2025年から近くの空き地を利用した仮設店舗「藤丸パーク」や「藤丸オンラインショップ」を開設して地域ぐるみで法人存続をPRしている。2021年5月訪問、2026年6月更新。所在地:帯広市西2条南8丁目-1。
2026-06-02
『スズラン前橋店』 再開発延期で2026年11月末閉店予定
創業は1952年(昭和27年)6月19日開店のスズラン衣料品店。1962年(昭和37年)5月に地上8階建ての本館をオープンさせ百貨店化。前三、前橋西武が次々と閉店し、現在では前橋市唯一の百貨店となっている。中心市街地の再開発と連動し新しい複合型商業ビルへの移転入居が決定しており、跡地には学校やマンションの進出が予定されている。2024年7月訪問時には、いよいよ地方百貨店の再生モデル構築への挑戦が始まることで将来が期待されていた。しかし、諸物価高騰で前橋市の再開発事業費2026年度予算計上が見送られ大幅に計画が遅れる見込みとなり、2026年11月30日に営業終了することを発表した。スズラン百貨店は解体予定の現店舗維持管理に必要な設備投資ができる状況になく営業終了を決めた。なお今後の新店舗移転計画については明確な発表はない。2026年6月2日営業終了発表。所在地:前橋市千代田町2丁目12-3。
『札幌松坂屋』跡 (1979年2月1日閉店)
かつて治安の悪かったススキノを買い物やビジネスで来る人たちもいる健全な街にしようと再開発の象徴として誘致して松坂屋と竹中工務店との共同出資で1974年(昭和49年)6月8日開店。“札幌に銀座を持ってくる”というキャッチフレーズもあったほど期待されたが業績不振で松坂屋としては1979年2月1日わずか5年で閉店。売場面積23,682㎡。あとを引き継いだイトーヨーカドーが1979年4月28日「ヨークマツザカヤ」を開店。1994年3月からはイトーヨーカドーの百貨店ブランド「ロビンソン百貨店札幌」に屋号変更して2009年1月18日閉店。同年3月26日からは複合型商業施設「ススキノ ラフィラ」となり2020年5月17日閉店。建物は解体再開発されて2023年11月30日から複合型施設「ココノススキノ」となった。ここには1階の共創型サテライトスタジオがあり在北海道ラジオ・テレビ9局が活用したり、帯広発祥のスーパーダイイチが入居しておりススキノで貴重な存在となっている。2026年4月訪問。所在地:札幌市中央区南4条西4丁目1。
2026-06-01
『札幌三越』
札幌に三越が開店したのは1932年(昭和7年)5月1日。札幌では五番館、丸井今井に次いで3番目に開店した百貨店として戦前から戦後しばらくは3大百貨店の競争が続いた。やがて経営危機になった丸井今井をグループ傘下に置き2011年からは株式会社札幌丸井三越が経営する店舗となった。2022年には開店90周年の三越と開店150周年の丸井今井が共同でキャンペーンを展開。大通地区の2店として地域一番店の大丸札幌店に対峙している。正面玄関の暖簾と創業300年を記念して1972年に設置されたライオン像とループ化された札幌市電が玄関前を通過するのが定番の景色。売場面積22,998㎡。2026年3月期売上高223.5億円。開発進む札幌駅前地区に対して丸井今井札幌本店とタッグを組んで大通地区の魅力発信を続けている。2026年4月訪問。所在地:札幌市中央区南1条西3丁目8。
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初代は滋賀県日野町出身で 1893 年(明治 26 年) 6 月に札幌で池内金物店を創業。 1965 年(昭和 40 年) 4 月 10 日小売部門を百貨店化して日本百貨店協会加盟店となるが百貨店経営に苦戦し 1968 年から丸井今井傘下に入る。しかし丸井今井の業績悪化で 199...
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創業は、マルハグループが大丸と提携して 1950 年(昭和 25 年) 11 月 1 日「下関大丸」として開店。 1959 年の店舗移転拡張を経て、 1977 年(昭和 52 年) 10 月 21 日 S.C. 「シーモール下関」の核店舗として移転開業して今日に至っている。 20...
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開店は 1957 年(昭和 32 年) 10 月 1 日。閉店は 2009 年(平成 21 年) 5 月。 2007 年の百貨店調査年鑑の記録では、売場面積 25,026 ㎡、 2007 年 2 月期売上 244.3 億円。現在はヤマダ電機 LAVI1 池袋になっている。そして池...