全国の百貨店(デパート)を直接訪ね歩き、撮影し記録に残します。そして時々旅の情報も紹介します。

2025-06-29

『市川京成百貨店』跡 (1984年10月業態転換)

1963年(昭和38年)926日、京成百貨店第一号店として京成八幡駅の駅ビルに開業。1980年度百貨店調査年鑑によれば売場面積6,138㎡、197912月期売上高40億円。商品供給で高島屋ハイランドグループと提携していた。当時の電車の車内放送でも京成百貨店前と案内していた記憶があります。駅から雨にぬれずに行けて屋上遊園地もありました。しかし、電鉄系百貨店としては精彩を欠き1984年(昭和59年)10月からは京成ストアに移管され実質的な業態転換となった。その後も京成百貨店の名称だけは2007年まで残っていた。建物解体後、周辺と一体化した再開発でターミナルシティ本八幡が建設され20139月から京成電鉄本社となっている。所在地:市川市八幡3-3-120256月訪問。 

2025-06-26

番外編 足利市にあった百貨店類似大型店4店

『足利デパート』跡 (20138月閉店)地元の小沢用品店が3階建ての「足利デパート」を1951年(昭和26年)4月開店。地元では市内の中学校、高校の制服を取り扱い「足デパ」と呼ばれ親しまれた。2013829日閉店。通3丁目交差点近くに看板の付いた建物が現存している。所在地:足利市通3丁目2606-4

『高島屋ストア』跡 (20162月閉店)1932年(昭和7年)715日通2丁目交差点角(みずほ銀行向かい)に開店。その後高島屋ストアとして1969年(昭和44年)大型店化。2016228日閉店。建物(いぶきビル)は取り壊され現在は更地になっている。所在地:足利市通2-2635

『藤五ストア足利店』跡 (19858月閉店)1968年(昭和43年)65日開店。地下1階地上7階建・売場面積4,550㎡のフルライン型店舗。途中藤五ストアが経営破綻して1985年(昭和60年)84日閉店。所在地:足利市伊勢町3-6-4(現在の太平記館)。

『キンカ堂足利店』跡 (19985月閉店)1970年(昭和45年)715日開店。当時は足利市最大の売場面積約12,500㎡で賑わっていたが、1998年(平成10年)5月閉店。その後結婚式場などを経て2025年現在跡地は活用されていない。所在地:足利市永楽町3623

2025-06-23

『十字屋足利店』跡 (1993年12月末閉店)

1950年に創業した「さくら屋呉服店」が、1967年(昭和42年)1127日両毛地区初の百貨店法に基づく地上8階建さくら屋百貨店を開店。商店街の核店舗に成長した。その後、藤五ストア、キンカ堂の進出、高島屋ストアの増床など競争が激化、1970年(昭和45年)4月に十字屋に営業権を譲渡して十字屋足利店となる。売場面積5,686㎡。19892月期売上高21.3億円(百貨店調査年鑑1989年度版より)。県南唯一の百貨店として順調に業績を上げていたがやがて競争の激化で佐野店より早い1993年(平成5年)1231日閉店した。建物は解体され空き地となっていたが、20035月から食品スーパー「フレッセイ通町店」となっている。所在地:足利市通3丁目-260020256月訪問。 

2025-06-20

『十字屋佐野店』跡 (1996年8月閉店)

両毛線佐野駅から南へ徒歩3分の場所に旧小佐野百貨店が建てた「こさのビル」に1981年(昭和56年)321日開店。地下1階・地上5階建て売場面積6,235㎡、19892月期売上高35.2億円(百貨店調査年鑑1989年度版より)。当初は駅前中心商店街の百貨店として人気を集めていたが売上が減少し1996年(平成8年)8月閉店。物件が格安で売り出されたため地元の医療法人が購入、躯体を残して大幅な改造を行い、現在は介護サービス対応型の多世代向け複合型マンションとして再利用されている。そのユニークさから国土交通省のリノベーション事例として取り上げられている。所在地:栃木県佐野市高砂町2500-120256月訪問。

2025-06-18

太田市 『すみや百貨店』跡 (1978年7月閉店)

1928年(昭和3年)創業のすみや呉服店が、地元太田市初の百貨店として太田駅北口に1969年(昭和44年)開店。売場面積3,700㎡、197612月期売上高33億円(百貨店調査年鑑1978年度版より)。南一番街再開発にも参加して結婚式場を備えた姉妹店ダイキン百貨店を南口に開店させた。人口20万・富士重工業の企業城下町として藤五ストアや十字屋なども進出して大型店激戦地となった。そして、すみやは1977年(昭和52年)太田駅南口のS.C.ベルタウン(ユニーが核店舗)開業に対抗して増床を行うも急激に競争力を失い19787月までに2店とも休業に追い込まれ土地建物も売却された。すみや跡は2016年までスバル西本館として使われた後解体された。ダイキン跡は場所確認ができなかったが再開発で高層マンションになったと記録あり。すみや百貨店所在地:太田市東本町25-820256月訪問。

2025-06-12

『丸広百貨店入間店』

西武鉄道入間市駅から南へ徒歩5分の豊岡町に1989年(平成元年)105日、売場面積18,000㎡、1,100台の立体駐車場を持つ本格的百貨店として開店。この付近は日光脇往還の宿場町だったところで古くからの商店街もあったことから、入間市が中心市街地として再開発を実施。一番北にできた丸広百貨店に続いて、有名なペデストリアンデッキ『さんかくばし』の西側に入間ショッピングプラザ「サイオス」、東側に「iPOT」ショッピングモールが1997年~2000年にかけて開設されたがテナントの誘致がうまくいかず店舗の入れ替えが多かった。孤軍奮闘の丸広もリニューアルをしながら、銀行、家電量販店、書店、オフィスなどテナント誘致で直営売り場を大幅縮小させて経営努力を続けている。大型駐車場が隣接していることも利便性が高い。すでに川越本店では廃止された直営のファミリーレストランがあるのは貴重。所在地:入間市豊岡1-6-1220256月訪問。 

2025-06-08

『丸広百貨店東松山店』跡 (2024年8月18日閉店)

1954年(昭和29年)721日、東松山市本町付近に100㎡の東松山出張所を開店したのが始まりで、1957年(昭和32年)には276㎡の支店に、さらに1970年(昭和45年)に東武東上線東松山駅東口から徒歩5分の中心市街地に本格的な百貨店として拡大移転した。増築後の売場面積9,890㎡。駅前からの通りは「まるひろ通り」と呼ばれメインストリートとして賑わった。しかし、競争激化による売上高の減少(2014年からの10年で40%減少)や建物設備の老朽化を理由に2024年(令和6年)818日閉店し70年の歴史を閉じた。丸広としては2024823日から商業施設「ビバモール東松山」にサテライトショップを開店させている。20255月現在、材木町の跡地ビルは解体されこれから再開発される予定。かつての「まるひろ通り」も5月から「陣屋通り」に改名されていた。所在地:東松山市材木町19-3020256月訪問。

2025-06-06

『丸広百貨店坂戸店』跡 (2022年8月21日閉店)

2002年に閉店したダイエー坂戸店跡に、2002年(平成14年)104日開店。売場面積6,946㎡。最寄駅の東武東上線北坂戸駅から徒歩8分程度離れているスーパー跡地に百貨店が進出するめずらしい事例だったが、2022年(令和4年)822日閉店。建物は解体され2025年現在「コープ坂戸薬師町店」となっている。丸広は坂戸店閉店後の2022914日、2駅離れた商業施設ワカバウォークにサテライト店を出店して雑貨・ギフトや制服などを扱っている。所在地:坂戸市薬師町28-120256月訪問。

2025-06-02

『田無西武店』跡(アスタビル) 1999年2月業態転換

西武線田無駅北口再開発事業でできた「田無アスタビル」に西友が運営する百貨店「田無西武店」として売場面積約20,000㎡で1995年(平成7年)310日開店。そして19992月リヴィン田無店に業態転換した。202411月にはリニューアルを機に2階以上にドン・キホーテやカインズ等のテナントを誘致して直営売り場を大幅に減らし、食品や日用品を中心に取り扱うスーパー西友本来の売場規模にしている。所在地:西東京市田無町2丁目1-120255月訪問。 

『光が丘西武店』跡(光が丘IMA) 1998年10月業態転換

1973年に米軍から全面返還されたグラントハイツ跡地に開発されたニュータウン・光が丘の複合型商業施設として建設された「光が丘IMA」。その核店舗として西友直営の公園都市型百貨店が1987年(昭和62年)424日開店。売場面積21,500㎡は西友店舗で最大だった。1998年(平成10年)1028日、LIVINシリーズ最初の店舗として「リヴィン光が丘店」に業態転換して現在に至っている。核店舗として同時開店した忠実屋は現在はイオン練馬店となっている。光が丘IMA1991年の地下鉄大江戸線光が丘駅開業で格段に利便性が向上して現在でも練馬区最大(総売り場面積77,600㎡)のS.C.である。所在地:練馬区光が丘5丁目1-120255月訪問。

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