1970年(昭和45年)6月11日西武百貨店静岡店として売場面積19,845㎡で開店。札之辻にあった田中屋百貨店(当時の売場面積9,063㎡)が最も影響を受けた。また、1980年に発生した静岡駅前地下街ガス爆発事故では店舗が大きな被害を受けている。その後は松坂屋、伊勢丹との競争に加え西武本体の経営悪化に伴い2006年3月31日撤退。2007年3月15日からは静岡パルコになった。1階にはわさび漬の田丸屋本店が店を構えている。ここで静岡土産を購入し、向かいの小櫛神社に参拝するのが静岡訪問の定番コース。2023年10月訪問撮影。2025年11月28日のニュースリリースで静岡パルコを2027年1月末に閉店すると発表した。理由として環境の変化や売上減少の結果、建物賃貸借計画の満了時期を踏まえたとのこと。所在地:静岡市葵区紺屋町6-7。
2025-11-29
2025-11-28
『三越日本橋本店』 日本の百貨店の嚆矢(こうし)
1673年、伊勢商人の三井家が創業し世界で初めて正札販売を始めた越後屋呉服店をルーツとする三越日本橋本店。訪問時には記念の買い物をしてから屋上に出て三囲(みめぐり)神社参拝。許可を得て室町口に設置してある木製復元看板(現在は展示していません)や本館中央ホールの天女像を見学。日本の代表的百貨店建築である本館は国指定重要文化財としても見どころが多く見学ツアーが組まれるほど。2023年には創業350周年を迎えた。日本橋地区は2040年にかけて行われる首都高速地下化により、「水都・東京」の新しい親水空間に生まれ変わることで人流の増加が見込まれることから、日本橋三越にとっても大きなビジネスチャンスになる。売場面積70,278㎡。2025年3月期売上高1602.7億円(前年比+8.0%)。2025年10月訪問。写真は撮影日時を個別に表示。所在地:中央区日本橋室町1-4-1。
2025-11-24
『十字屋銚子店』跡 (2005年11月30日閉店)
千葉県銚子市は6万4千人の街で、銚子電鉄やヤマサ醤油、ヒゲタ醤油の工場があることで有名。かつては千葉市に次ぎ県内2番目に市制施行した歴史ある街で人口も10万人規模だった。1960年に小型店で進出していた十字屋が、2代目店舗として1976年(昭和51年)10月22日茨城県も商圏とする地域最大の百貨店を開店。売場面積9,668㎡、1978年2月期売上68.5億円(1978年度百貨店調査年鑑より)。その後増床をして1992年2月期には107億円の売上高があったが街の衰退とともに半分以下に減少、2005年(平成17年)11月30日に閉店。建物は解体され2014年からは『まちの駅・銚子セレクト市場』になったが半分に縮小され東側にはクリニックが入居している。2025年11月訪問。 所在地:銚子市双葉町3-6。
2025-11-23
番外編・銚子ショッピングセンター『シティオ』跡 (2011年閉店)
銚子市役所移転後の跡地に、1979年(昭和54年)10月6日、銚子市3番目の大型店銚子ショッピングセンター・シティオ(地元資本を集めてできた寄合百貨店)として開店。売場面積3,264㎡。近くの十字屋とともに買い物客で賑わっていたが中心市街地の衰退がすすみ2011年閉店。閉店後建物は解体され、現在跡地にはパチンコ店が建っている。2025年11月訪問。所在地:銚子市双葉町5-2。
2025-11-22
銚子 『クリハシ百貨店』跡 (閉店時期調査中)
創業は1923年(大正12年)。1972年(昭和47年)百貨店法に基づき銚子市初の百貨店として銚子銀座通りに開店。1983年度の百貨店調査年鑑によれば、売場面積2,680㎡、1982年12月期売上高14億円。閉店時期は市役所ではわからず隣接店舗の方の話では2005年頃に解体されたとのこと。現在跡地は駐車場と13階建てのマンションが建っている。2025年11月訪問。所在地:銚子市新生町1-41-45。
2025-11-20
『西武東戸塚ショッピングセンター』 (2020年3月S.C.化)
JR東戸塚駅前再開発事業でできた2核1モール「オーロラシティ」の核店舗にダイエーとともに1999年(平成11年)10月7日西武百貨店東戸塚店として開店。斜面を活用したユニークな構造で一番奥には高層マンションが建っている。2020年3月1日、百貨店の直営売り場を廃止してテナント化させ郊外型S.C.「西武東戸塚ショッピングセンター」に業態転換した。 百貨店ニーズに対しては電車で10分弱の至近距離にあるグループ店そごう横浜店が5階にギフトサロンを出店することで連携対応している。2025年2月期売上高165.7億円。売場面積34,630㎡。なお同時に開店したダイエーは現在イオンスタイル東戸塚店として引き継がれている。西武館屋上みどりの広場には西武線沿線にある東伏見稲荷神社の分霊が鎮座している。2025年11月訪問。所在地:横浜市戸塚区品濃町537-1。
2025-11-17
『京急百貨店』(横浜市港南区)
開店は1996年(平成8年)10月1日。横浜駅から京急電車で10分の上大岡駅にある。大阪府守口市の京阪百貨店によく似た環境で電鉄系百貨店では最後発。そのため伊勢丹から社長を招き支援を受けた。横浜駅周辺の大型商業施設と棲み分けて地域密着、足元商圏75万人の心をしっかり掴んで開店から10年間売上高更新を記録するという手堅い商いを続けてきた。コロナ禍後の業績は好調で、初の生え抜き社長も誕生。テナントへの単なる場所貸しでなく直営売り場との融合で百貨店の存在感を出している。青・赤・緑に色分けされたエスカレーターとエレベーターが場所を区別。2階が駅のため1階と3階をつなぐロングエスカレーターが便利で来店客の回遊性も良好。売場面積42,000㎡。2025年3月期売上高359.4億円。2025年11月訪問。所在地: 横浜市港南区上大岡西1-6-1。
2025-11-13
『さいか屋横須賀ショッピングプラザ』 (2021年3月S.C.型に転換)
雑賀衆の末裔とされる岡本家が1867年(慶応3年)浦賀で呉服店を創業。明治5年10月に横須賀本町に移転して雑賀屋呉服店を開業。1928年(昭和3年)10月3日百貨店となる。1990年には3館体制に拡大。やがて周辺S.C.との競争やバブル崩壊で収益が悪化。本館だった大通館を閉鎖し効率化を図るも改善せず2021年2月21日閉店。最盛期は売場面積36,165㎡、売上368億円に対し、2020年2月期には売場面積19,349㎡、売上約66億円まで減少していた。しかし、地域の要望や経営陣の刷新で直営売り場を大幅縮小しテナントを誘致するなどSC型に転換して2021年3月6日に「さいか屋横須賀ショッピングプラザ」として再開店。南館は全てテナントが入りフル稼働、2023年8月期は9年ぶりの黒字化達成。地下1階にはヨークフーズを誘致したことで大幅に入店客数が増え若い客層にも利用されるようになった。健康食品会社の傘下となり、最も深刻だった横須賀店が息を吹き返して三浦半島唯一の百貨店として生き残っている。2025年8月期売上高12.5億円、百貨店部門の黒字化も達成している。2025年11月訪問。所在地:横須賀市大滝町1-13。
2025-11-12
京都市 『藤井大丸』 創業160周年で本館建替を発表
創業は1870年(明治3年)。1935年(昭和10年)に百貨店化。1972年(昭和47年)マクドナルド関西1号店が1階にオープンしたことで有名。高島屋、大丸という巨人が隣接している環境でも独特の経営戦略で存在感を持っている。高級ブランドはないけれど若者に人気のファッション感度の高い有力セレクトショップを数多くして京都で独自の地位を築いてきた。コロナ禍で大きな減収を強いられるも4期連続で増収を確保。自社所有の路面店を持つことで事業継続しながら2030年の創業160周年に向けて2026年5月6日をもって本館の休業と建て替えを発表した。売場面積17,412㎡。2025年2月期売上高99億円。2025年11月12日追記。ユニークな歴史は藤井大丸ホームページで紹介されている。
『東武宇都宮百貨店大田原店』 (2026年8月末閉店予定)
人口7万人の城下町、そして県北の商業拠点・大田原市にある「東武宇都宮百貨店大田原店」は、かつて宇都宮の老舗「上野百貨店」が1999年に開店するも翌年倒産閉店した店舗。銀行からの要請を受けて跡地に2002年9月6日に出店。平日でも広い駐車場は多くの車で埋まるのは栃木県北部の貴重な百貨店だからか。2022年9月訪問。売場面積12,248㎡。2025年2月期売上高37.5億円。県北唯一の百貨店として茨城県などからも集客していたが、建物の賃貸借契約が2027年2月終了となることに伴い2026年8月31日で閉店することを発表した。所在地:栃木県大田原市美原1-3537-2。2025年11月12日追記。
2025-11-10
『湘南百貨店(旧相模屋)』跡 (1963年12月末閉店)
横浜の四大呉服店の一つ、相模屋が百貨店として7階建て近代的店舗を1929年(昭和4年)伊勢佐木町4丁目に開店。しかし業績不振で1934年閉店。戦後相模屋跡の店舗を活用して1951年に湘南百貨店として再開するが、野澤屋、松屋との競争に敗れ売上げの落ち込みから1953年(昭和29年)不渡りを出し低価格百貨店に業態変更して再出発するも1963年閉店。その後スーパーなどを経て1977年解体された。現在はイセザキモールを挟んで交番と向き合うように「ホテルリブマックスBUDGET横浜関内」となっている。なお、今回訪ね歩いた4百貨店を地図に表示してみた。2025年11月訪問。所在地:横浜市中区伊勢佐木町4-117。
2025-11-08
『松喜屋』跡 (1968年5月31日閉店)
1918年(大正7年)5月に創業した松喜屋呉服店が1953年に新店舗建設し協会加盟百貨店となる。最大売場面積6,670㎡。1968年(昭和43年)5月31日閉店し日本百貨店協会退会。業態転換して1969年3月スーパーほていやと合併、1976年ユニーに吸収合併されたのち閉店。2025年現在、跡地の建物は解体され、イセザキモールに面した1階に店舗が入る高層マンションが建てられた。隣接して東側にはマクドナルドがある。2025年11月訪問。所在地:横浜市中区伊勢佐木町3-105。
2025-11-06
『横浜松屋(旧越前屋)』跡 (1976年11月10日閉店)
銀座と浅草に店舗をもつ松屋は、横浜の四大呉服店(越前屋、鶴屋、野澤屋、相模屋)のひとつ鶴屋呉服店(1869年創業)がルーツである。1883年(明治16年)創業の越前屋呉服店が1931年(昭和6年)5月に伊勢佐木町で7階建て新店舗で百貨店化するも経営不振で1933年(昭和8年)閉店。合名会社山越として再開するも再生できず松屋が買い取り1934年5月15日に鶴屋として開店、同年7月には寿百貨店に商号変更、さらに1944年(昭和19年)4月11日寿百貨店と合併した松屋が横浜支店とした。戦後GHQの接収を経て1953年再開、百貨店・横浜松屋として営業していたがオイルショックの影響で1976年(昭和51年)11月10日閉店。1977年3月23日から松坂屋西館となるも事業縮小により撤退。建物は耐震補強工事がなされ、2000年(平成12年)11月11日からはJRAの場外馬券場「エクセル伊勢佐木」となって現存している。そのお陰で外観や1階内部に百貨店建築の名残を確認することができる。2025年11月訪問。所在地:横浜市中区伊勢佐木町1-7-1。
Facebook『百貨店訪ね歩き』同時更新中
2025年7月31日より新アカウントでFacebook「百貨店訪ね歩き」を最新ニュースとともに同時更新中です。旧アカウントの訪問先データはこちらのBlogger「百貨店訪ね歩きブログ」で都道府県別に検索閲覧することができます。
2025年11月は横浜・伊勢佐木町にあった百貨店跡などを訪ね歩いてきました。随時更新しています。なお同名でFacebookを復活させたため、検索でまれに閲覧できない過去アカウントが出現することがあります。その場合は下記『百貨店訪ね歩き』をクリックしてご覧下さい。Facebook(新アカウント)⇒百貨店訪ね歩き
| 2024年2月撮影 高島屋資料館 |
2025-11-04
『横浜松坂屋(旧野澤屋)』跡 (2008年10月26日閉店)
現在のカトレヤプラザ伊勢佐木。横浜のかつての繁華街「伊勢佐木町」にあった野澤屋は1864年(元治元年)に野澤屋呉服店として創業。1910年(明治43年)11月1日に百貨店を開業。かつては横浜を代表する百貨店だった。1952年(昭和27年)、相模鉄道から横浜駅西口への出店要請を最初に受けながら資金不足を理由に断ってしまう。その結果、やがて乗っ取り工作を受けて松坂屋の支援を受けることになるが横浜駅周辺の百貨店に客を奪われ経営が悪化、1977年から横浜松坂屋となり2008年(平成20年)10月26日の閉店までイセザキモールの核店舗だった。解体された本館は有名な百貨店建築で、2012年跡地に開店したカトレヤプラザ伊勢佐木の店内にそのデザインを今も見ることができる。売場面積17,474㎡。2007年2月期売上高95.3億円(百貨店調査年鑑より)。現在JRAがある松坂屋西館跡はかつて松屋百貨店だった建物で、耐震補強工事を行い現存している。2025年11月訪問。所在地:横浜市中区伊勢佐木町1-5-4。
2025-11-02
『大丸東京店』
東京でのルーツは1743年(寛保3年)の大文字屋江戸進出。1910年に一旦閉店するが、1954年(昭和29年)10月20日東京駅八重洲口に百貨店として出店。以後東京駅八重洲口の顔として営業し2007年11月2日には再開発でできた現在の店舗へ移転。2019年2月期までは8年連続増収を続けた。コロナ禍を挟んでリアル店舗の魅力づくりに努力を続けて売り上げも復活。道路を挟んで向き合う「東京ミッドタウン八重洲」や「トフロム・ヤエス」等の“大丸有”エリア(大手町、丸の内、有楽町)の再開発も追い風になっている。売場面積46,671㎡。2025年2月期売上高837億円(前年比+8.8%)。2025年10月訪問。所在地:千代田区丸の内1-9-1。