全国の百貨店(デパート)を直接訪ね歩き、撮影し記録に残します。そして時々旅の情報も紹介します。

2025-11-08

『松喜屋』跡 (1968年5月31日閉店)

1918年(大正7年)5月に創業した松喜屋呉服店が1953年に新店舗建設し協会加盟百貨店となる。最大売場面積6,670㎡。1968年(昭和43年)531日閉店し日本百貨店協会退会。業態転換して19693月スーパーほていやと合併、1976年ユニーに吸収合併されたのち閉店。2025年現在、跡地の建物は解体され、イセザキモールに面した1階に店舗が入る高層マンションが建てられた。隣接して東側にはマクドナルドがある。202511月訪問。所在地:横浜市中区伊勢佐木町3-105

2025-11-06

『横浜松屋(旧越前屋)』跡 (1976年11月10日閉店)

銀座と浅草に店舗をもつ松屋は、横浜の四大呉服店(越前屋、鶴屋、野澤屋、相模屋)のひとつ鶴屋呉服店(1869年創業)がルーツである。1883年(明治16年)創業の越前屋呉服店が1931年(昭和6年)5月に伊勢佐木町で7階建て新店舗で百貨店化するも経営不振で1933年(昭和8年)閉店。合名会社山越として再開するも再生できず松屋が買い取り1934515日に鶴屋として開店、同年7月には寿百貨店に商号変更、さらに1944年(昭和19年)411日寿百貨店と合併した松屋が横浜支店とした。戦後GHQの接収を経て1953年再開、百貨店・横浜松屋として営業していたがオイルショックの影響で1976年(昭和51年)1110日閉店。1977323日から松坂屋西館となるも事業縮小により撤退。建物は耐震補強工事がなされ、2000年(平成12年)1111日からはJRAの場外馬券場「エクセル伊勢佐木」となって現存している。そのお陰で外観や1階内部に百貨店建築の名残を確認することができる。202511月訪問。所在地:横浜市中区伊勢佐木町1-7-1

Facebook『百貨店訪ね歩き』同時更新中

 2025731日より新アカウントでFacebook「百貨店訪ね歩き」を最新ニュースとともに同時更新中です。旧アカウントの訪問先データはこちらのBlogger「百貨店訪ね歩きブログ」で都道府県別に検索閲覧することができます。

2025年11月は横浜・伊勢佐木町にあった百貨店跡などを訪ね歩いてきました。随時更新しています。なお同名でFacebookを復活させたため、検索でまれに閲覧できない過去アカウントが出現することがあります。その場合は下記『百貨店訪ね歩き』をクリックしてご覧下さい。Facebook(新アカウント)⇒百貨店訪ね歩き


2024年2月撮影 高島屋資料館


2025-11-04

『横浜松坂屋(旧野澤屋)』跡 (2008年10月26日閉店)

現在のカトレヤプラザ伊勢佐木。横浜のかつての繁華街「伊勢佐木町」にあった野澤屋は1864年(元治元年)に野澤屋呉服店として創業。1910年(明治43年)111日に百貨店を開業。かつては横浜を代表する百貨店だった。1952年(昭和27年)、相模鉄道から横浜駅西口への出店要請を最初に受けながら資金不足を理由に断ってしまう。その結果、やがて乗っ取り工作を受けて松坂屋の支援を受けることになるが横浜駅周辺の百貨店に客を奪われ経営が悪化、1977年から横浜松坂屋となり2008年(平成20年)1026日の閉店までイセザキモールの核店舗だった。解体された本館は有名な百貨店建築で、2012年跡地に開店したカトレヤプラザ伊勢佐木の店内にそのデザインを今も見ることができる。売場面積17,474㎡。20072月期売上高95.3億円(百貨店調査年鑑より)。現在JRAがある松坂屋西館跡はかつて松屋百貨店だった建物で、耐震補強工事を行い現存している。202511月訪問。所在地:横浜市中区伊勢佐木町1-5-4

2025-11-02

『大丸東京店』

東京でのルーツは1743年(寛保3年)の大文字屋江戸進出。1910年に一旦閉店するが、1954年(昭和29年)1020日東京駅八重洲口に百貨店として出店。以後東京駅八重洲口の顔として営業し2007112日には再開発でできた現在の店舗へ移転。20192月期までは8年連続増収を続けた。コロナ禍を挟んでリアル店舗の魅力づくりに努力を続けて売り上げも復活。道路を挟んで向き合う「東京ミッドタウン八重洲」や「トフロム・ヤエス」等の“大丸有”エリア(大手町、丸の内、有楽町)の再開発も追い風になっている。売場面積46,671㎡。20252月期売上高837億円(前年比+8.8%)。202510月訪問。所在地:千代田区丸の内1-9-1

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