全国の百貨店(デパート)を直接訪ね歩き、撮影し記録に残します。そして時々旅の情報も紹介します。

2024-08-31

『近鉄百貨店生駒店』 

近鉄・大阪上本町駅から電車で20分の近鉄生駒駅前の複合型商業施設「アントレいこま」に1997年(平成9年)319日開店。グループ店が上本町店、奈良店と同一の鉄道路線上にありながら、専門店主体の売り場構成で差別化。売場面積18,000㎡。関西でも人気の都市として高額所得者層も多く百貨店のニーズも高い。20169月訪問。 

『高島屋港南台店』 (2020年8月16日閉店)

横浜店の支店として、1983年(昭和58年)101日開店。売場面積17,475㎡。1991年には180億円あった売上が2018年には79億円まで減少、業績悪化で2020816日閉店。現在は商業施設・港南台バーズとして核店舗で「そうてつローゼン」が営業している。201611月訪問。

2024-08-30

『岡田屋モアーズ横浜店』 

横浜駅西口北側にあるのが岡田屋MORE'S。始まりは1890年(明治23年)1123日創業の質屋。横浜店は1963年(昭和38年)1130日開店。開業当初からテナントを導入した店舗で他社に差別化を図ってきた。1982年(昭和57年)1112日には横浜おかだやモアーズに業態変更。ファッションビル化させたが現在も神奈川県百貨店協会に加盟する百貨店。正面玄関に『マドロスさん』の銅像がある。201612月訪問。 

2024-08-28

『西武渋谷店』

1968年(昭和43年)419日開店。売場面積約40,000㎡。セゾングループにとっては東急グループのお膝元・渋谷へは念願の出店だった。二つのグループが競い合うことで渋谷は東京のファッションや流行の最先端を走る街に発展。この間、東急は現在も渋谷駅周辺の再開発を進行中という中で百貨店2店を閉店させ、セゾングループは百貨店を売却した。

『天満屋八丁堀店』跡(2012年3月商業ビルに業態転換)

1949年開業し経営悪化した広島中央百貨店を買収する形で1984年(昭和29年)624日開店。福屋、三越、そごうとの競争で業績が伸びず、直営の百貨店を2012年(平成24年)34日閉店。百貨店としての売場面積21,959㎡だった。商業ビルに業態転換して現在に至る。耐震構造上の問題で解体再開発の計画が出ている。2015225日訪問。

『ほの国百貨店(旧豊橋丸栄)』 (2020年3月閉店)

豊橋丸栄として1974年(昭和49年)101日開店。1992年には161億円を売上。2000年頃から業績が悪化、途中豊橋西武の閉店で一時的に業績改善するも、再び不振となり201231日からほの国百貨店に社名変更して地域密着型で再出発。売場面積約15,000㎡。20192月期売上は50億円まで減少、2020年(令和2年)315日閉店。跡地には分譲マンションが建っている。2015年516日訪問。 

彦根『マルビシ百貨店』跡 (1966年閉店)

地元の有力商店主10名によって1933年(昭和8年)101日開店。鉄筋コンクリート造4階建てのモダンな建物で屋上遊園地や洋食レストランを備えた滋賀県最初の百貨店だった。太平洋戦争中は軍需工場になり、戦後もしばらくは雑居状態だった。1956年(昭和31年)改修工事を行い百貨店再開。スター食堂出店。1階には現在の平和堂の前身である靴屋が出店していた。やがて出身の違う経営者たちの意見がまとまらず1966年(昭和41年)閉店。その後、パリヤ(雑居ビル)、平和堂銀座生活館、ダイソーを経て、建物老朽化により200810月解体。現在は平和堂彦根銀座店の駐車場。20151022日訪問。

『西武大津店』 (2020年8月31閉店)

滋賀県彦根市のマルビシ百貨店閉店後、近江商人の土地柄でありながら京都・大阪が近いために百貨店に縁がなかったが、滋賀県出身の西武創始者堤氏によって県庁所在地大津市に県下唯一の百貨店として1976618日開店。売場面積28,364㎡。しかし1993年ごろをピークに業績が低迷、371億円あった売上が90億円台まで落ち込み2020831日閉店。閉店後は現地未訪問だが、隣接していたパルコは別のショッピングセンターとして現在も営業中。20151022日訪問。 

2024-08-27

高田『いずも屋百貨店』跡 (1985年2月20日閉店)

1920年(大正9年)にいづもや呉服店として創業、1927年(昭和2年)に城下町高田に新潟県最初の百貨店「いづも屋」として開業。高田駅からも近い本町商店街にあって屋上遊園地も備えた6,000㎡近い売場面積をもっていた。1976年(昭和51年)にはジャスコ傘下となり1985220日閉店。業態転換してイヅモヤジャスコとして郊外移転した。跡地はホテル名称が5回変わり、2024年現在アートホテル上越になっている。ここ本町5丁目交差点は新潟県百貨店の歴史が始まった由緒ある場所。201511月8日訪問。 

2024-08-26

『十字屋銚子店』跡 (2005年11月30日閉店)

千葉県銚子市は人口64千人の街で、銚子電鉄やヤマサ・ヒゲタの醤油工場があることで有名。かつては千葉市に次ぐ県内2番目に市制を開始した歴史ある街で人口も10万人規模だった。茨城県も商圏にして1976年(昭和51年)1022日地域唯一の百貨店として開店。売場面積約7,000㎡で最盛期には年間100億円を超える売上があったが街の衰退とともに売上も半分以下に減少、2005年(平成17年)1130日に閉店。跡地は『銚子セレクト市場』という飲食施設になっていた。2016723日訪問。 

2024-08-24

『津田沼高島屋』跡 (1988年11月30日閉店)

津田沼駅南口再開発でできた複合型ビル「サンペディック」にダイエーとともに1978年(昭和53年)1014日開店。当初、オイルショック後の見直しで出店辞退するも習志野市からの強い要請で規模を縮小して売場面積12,000㎡で開店。しかし周辺の大型店競争が激しく、業績が好転することなく1988年(昭和63年)1130日閉店。その後直近まで営業してきた複合型施設「モリシア津田沼」は2025年3月30日で閉店。野村不動産により2032年度完成を目指し建替え再開発計画が進行中。1986年当時は百貨店でなく五十貨店と言われていた高島屋。ダイエーとの望まない資本関係や事業計画への影響で苦い経験の出店だったのではなかったか。20248月23日訪問。2025年3月30日追記。

2024-08-22

『西武東戸塚S.C.(旧西武東戸塚店)』 

JR東戸塚駅前再開発ビル「オーロラシティ」の核店舗として1999年(平成11年)107日西武百貨店として開店。202031日から直営売り場を廃止してテナント化。百貨店から郊外型S.C.に業態転換した。201718日訪問。 

広島『天満屋アルパーク店』 (2020年1月31日閉店)

広島市西区にあるショッピングセンター「アルパーク」の核テナントとして1990年(平成2年)427日開店。売場面積26,954㎡。広電の商工センター入口駅やJR新井口駅に直結していることや4時間無料の駐車場完備で山口県まで商圏を広げていた。しかし周辺に進出した大型SCの影響が大きく、2020131日閉店。現在跡地には無印良品などが入居している。2017122日訪問。

『松坂屋高槻店』

高槻駅前グリーンプラザ高槻2号館に1979年(昭和54年)111日開店。大丸松阪屋が合併してからは大丸京都店の分店となり、2024年時点で関西唯一の松坂屋店舗。売場面積20,642㎡。20242月期決算発表では売上高54.4億円。いまではめずらしくなった屋上スカイランド(遊園地)が存在する貴重な百貨店。2017219日訪問。

『西武高槻店』⇒『高槻阪急』 

JR高槻駅の駅前再開発で1974年(昭和49年)1115日開店したのが関西初出店の西武百貨店。モール併設型店舗の先駆けとなった。2019年(令和元年)930日で閉店。営業譲渡により同年105日高槻阪急として開店。2024年決算発表では売場面積40,112㎡。20243月期売上237.6億円。2017219日訪問。

『大丸山科店』 (2019年3月31日閉店)

JR・京阪京津線の山科駅前にある大丸は1998年京都店の分店としてラクト山科SCに開店。売場面積を途中で縮小させ5,960㎡と中規模となり、2019331日閉店し撤退。大丸各店のように「やましなみせ」と呼ばれていた。2024年現在、ニトリや無印良品が核テナントになっている。訪ねた当時は週末でしたが人通りが少なく静かでした。20172月訪問。

2024-08-21

『そよら成田ニュータウン(旧ボンベルタ成田)』

イオングループの百貨店ボンベルタとして成田ニュータウンに1992年(平成4年)319日開店。日本百貨店協会非加盟店でどちらかというと百貨店型S.C.。最後のボンベルタ店として2024229日閉店。そして、空港や街の再開発に備えて大改装を行い、イオングループの新しいブランド「そよら成田ニュータウン」で2024719日開店。売場面積35,730㎡(うち直営面積4,150㎡)。

『函館西武』跡 (2003年8月閉店)

1981年(昭和56年)36日西友が「函館西武店」として開店させ運営を西武百貨店が行っていた。1997年には西武百貨店に吸収された。売場面積12,300㎡で最盛期売上高128億円が郊外大型店との競争で80億円台まで減少し2003年(平成15年)810日閉店。跡地は複合型娯楽施設「テキサス函館」として営業中。20175月訪問。 

函館『和光デパート』跡 (2013年10月閉店)

1968年開店した函館駅前の和光デパートは、当時は若者のファッションをリードする寄合型ファッションデパートとして賑わった。しかし、郊外店の進出による駅前周辺の地盤沈下で売上が減少、2013年(平成25年)1031日に閉店。再開発で現在は、『キラリス函館』として再生。20175月訪問。 

2024-08-19

徳島『つぼみや』跡 (1986年閉店)

始まりは1924年(大正13年)創業の万屋。戦争中の休業を経て戦後「つぼや呉服店」を設立。事業を拡大して1964年(昭和39年)4月、徳島で2番目の百貨店「つぼみや」となった。1974年には徳島駅に近い元町に店舗を移転拡大した。1983年に道路を挟んだ向側に巨大な徳島そうごうが出店。

『とでん西武(高知西武)』 跡 (2002年12月閉店)

19583月に開館した土佐電鉄のバスターミナルビルが、1973年(昭和48年)11月から「とでん西武百貨店」となり、1992年(平成4年)からは「高知西武」として2002年(平成14年)1225日の閉店まで、はりまや橋の賑わいを支えてきた。はりまや橋交差点に立つと1990年に賑わう店内で買い物をした記憶がよみがえる。現在、跡地はパチンコ店となっている。20193月訪問。

2024-08-18

『一畑百貨店出雲店』 (2019年2月閉店)

出雲駅に隣接して1964年(昭和39年)4月開店。1966年に増築、協会加盟店であると同時に提携先の三越をPRしてかマル越マーク看板がありました。2000229日再開発のため建物を解体、休館して仮店舗で営業。このとき一畑電車の駅も高架化された。20019月に完成したホテル併設複合ビル内に小型店舗で再出店。2019229日閉店。2015315日訪問。

『松坂屋銀座店』跡 (2013年6月30日閉店)

1924年(大正13年)121日、銀座に最初に開店した百貨店が松坂屋。長く人気店でいたが建物の老朽化により周辺地域も含めて再開発することが決まり、2013年(平成25年)630日閉店した。売場面積25,352㎡。いったん休業するとのことだったが、2017年(平成29年)420日にオープンしたGINZA SIXに百貨店としての松坂屋が復活することはなかった。総面積148,700㎡の巨大な複合型商業ビルとして外国人や観光客の人気を集めている。20176月訪問。 

『上野京成百貨店』跡 (1984年12月閉店)

上野駅正面に向かって立っているのがかつての上野京成百貨店(現在は上野マルイ)。1972年(昭和47年)1010日京成百貨店として開店。当時は基幹店だった。東山魁夷デザインの包装紙が有名で、現在も水戸京成で使われている。

『天満屋津山店』 

津山市は、越前松平家の系譜が当主として幕末まで続いた10万石の城下町として栄え、現在も岡山県北部最大の都市。ここの再開発ビル『アルネ津山』のキーテナントとして199942日開店。人口10万規模から百貨店維持は難しく規模を縮小させながら運営している。売場面積8,295㎡。2017922日訪問。 

『プランタン新さっぽろ』跡 (2000年3月閉店)

札幌市厚別区の副都心・新札幌駅に隣接するショッピングセンターに198261日に開店したプランタン2号店。2000322日閉店。引き継いだイオン系の『カテプリ新さっぽろ』も20246月に営業終了。今後は札幌副都心開発公社が運営していくと報道発表された。かつて空港と札幌をつなぐ電車から見えたプランタンのロゴが懐かしく思い出されました。201711月訪問。 

『水戸西武』跡 (2009年3月31日閉店)

1971年(昭和46年)924日西友ストア水戸店として開店。1988年(昭和63年)4月増築と合わせて水戸西武に業態転換。さらに2000年(平成12年)922日にリヴィン水戸店に名称変更と業態転換。2009年(平成21年)331日閉店。訪問時の跡地は建物が解体され更地になっていた。202310月訪問。 

2024-08-16

『名古屋三越星ヶ丘店』 

1974年(昭和49年)101日開店。大型SC攻勢の激しい名古屋東部、地下鉄星ヶ丘駅に隣接している。売場面積21,798㎡。出店当初の売り上げ不振が三越との提携を早めた原因と言われているが、現在は日常使いに便利なデイリー型百貨店として地域密着で堅調な売り上げを確保している。20182月訪問。

2024-08-14

『丸広百貨店上尾店』 貴重な自社ビル店舗

上尾駅前再開発ビルに1983年(昭和58年)923日に出店したボンベルタ百貨店が1992年(平成4年)8月撤退後、再開発ビルのデパート館をビル丸ごと格安で購入して19921030日に開店した丸広上尾店。郊外SCの進出等で激しい競争の中でも生き残っています。売場面積約19,000㎡。20183月訪問。

『中三五所川原店』跡 (2006年1月閉店)

明治29年(1896年)6月、五所川原市本町で創業した中三呉服店。1964年(昭和39年)に発祥地五所川原店も百貨店となる。1989年の記録では、地下1階地上6階建て売場面積9,004㎡。1981年に本店を青森店にするまでは、ここが本店だった。中心市街地の集客力が減少し売上高も激減したため2006年(平成18年)122日閉店。現在は大手薬局チェーンになっている。2018625日訪問。

『恵比寿三越』 (2021年2月28日閉店)

恵比寿駅から少し南に歩くと恵比寿三越がある恵比寿ガーデンプレイスに着く。元サッポロビール工場の再開発ビルで1994年(平成6年)108日開店。お洒落な雰囲気で若い世代からの人気と来店が多かったが売り上げ不振で2021年(令和3年)228日閉店。売場面積17,659㎡。2018516日訪問。 

2018年5月16日撮影

2024-08-12

『宝塚阪急』

阪急宝塚駅ターミナルビル「ソリオ宝塚」の核店舗として1993年(平成5年)415日開店。当初は中型店ながら売上好調で推移していたが、西宮阪急や川西阪急との競合や宝塚市の人口減少などによる売上減少に対応して2014年から売り場縮小を行い、現在は食料品のみを取り扱う小型店になっている。2024年決算での売場面積6,148㎡。20192月16日訪問。 

『西宮阪急』

阪急西宮スタジアムの跡地に出来た阪急西宮ガーデンズの核店舗として2008年(平成20年)1126日開店。所得層の高い高級住宅地の西宮や芦屋を商圏としながらも郊外型デイリー百貨店としての機能を持たせるための独特な売り場構成でうめだ本店との棲み分けに成功している。売場面積24,957㎡。20192月16日訪問。

『天満屋福山店』

天満屋が広島県第2の都市福山に出店したのは地元の鳩屋百貨店からの要請を受けて1948年(昭和23年)に買い取る形で出店。その後、1963年、1984年と新店舗に更新して現在に至る。売場面積約25,000㎡。そごうの閉店後は地域唯一の百貨店。郊外SCのポートプラザにも約4,000㎡の分店を出店している。2019415日訪問。

『そごう広島店』 

広島バスセンターを併設して1974年(昭和49年)1010日開店。2024年で開店50周年のそごう広島店。1994422日に開店した新館を2023831日に閉店、売場面積約55,000㎡を36,000㎡にリニューアルしてスリム化を図った。そごうでは西日本で唯一の生き残り店。財務諸表データは2024年現在、ファンド管理下で公表を中止しているので不明。20201024日訪問。

『東急札幌店』 

札幌駅東側のマンションラッシュ人口増加地帯に一番近いのが東急百貨店。開業は1973年(昭和48年)105日。札幌駅前の百貨店として生き残り、店内に企業主導型保育園を開設したり、祝祭日も営業する郵便局を誘致。さらに2023年に閉店した札幌エスタから、ユニクロ、ビックカメラ、GU、バンダイナムコなどの大型専門店を誘致して店舗構造改革を行った。結果、入店客数が前年の2倍になり客層も一気に若返り業績も好調に推移。

『松坂屋上野店』 

1768年(明和5年)520日上野の松坂屋を買収して「いとう松坂屋」を開業してから現在まで当地で営業している上野松坂屋。1907年(明治40年)41日百貨店として開業。1925年全国の店舗名を松坂屋で統一。1929年には上野店で日本初のエレベーターガールを採用。193011日、日本初の地下鉄駅直結百貨店となる。戦後増築した南館を解体し201711423階建ての上野フロンティアタワーを開業し現在に至る、下町の地域密着型百貨店。売場面積21,759㎡。2022511日訪問。

『名古屋三越栄店・ラシック店』(旧オリエンタル中村百貨店)

ルーツは1869年(明治2年)名古屋広小路で創業した中村呉服店。1954年(昭和29年)5月に百貨店化、1969年には三越と提携し、1980年(昭和55年)10月から名古屋三越となった。現在は百貨店型の栄店(売場面積49,827㎡)とファッション特化型のラシック店(売場面積29,000㎡)の2館体制となっている。屋上観覧車(文化財登録)は一見の価値あり。2023710日訪問。(郊外型百貨店の藤が丘店は別記する。)

『十字屋木更津店』跡 (1986年業態転換)

かつての中心街・富士見通りに十字屋が開店したのは1950年(昭和25年)1124日。売り場を拡大し、エスカレーターやエレベーターを設置した百貨店として最終的には売場面積4,404㎡となる。途中ダイエー傘下となり1986年(昭和61年)にディスカウント店「十字屋ショッカー」に業態転換、1994年(平成6年)131日閉店。建物は解体され、現在は駅前再開発ビルの立体駐車場となっている。202484日訪問。 

2024-08-09

『大和上越店』跡 (2010年4月25日閉店)

当時の高田市の地元商店主11名が作ったイレブンビルの核店舗として1975年(昭和50年)71日出店。売場面積6,472㎡。高田銀座と言われた中心商店街にあり多いに賑わっていたが、旧高田市の場合は旧直江津市との合併により公的機関が両市の中間地点に移動したことで中心市街地の地盤沈下が加速、2010年(平成22年)425日閉店。閉店直前年度売上高は26.7億円。閉店後のイレブンビルは解体され、低層のイレブンプラザに建替えられた。201511月訪問。

『東急日本橋店(旧白木屋)』跡 (1999年1月閉店)

ルーツは1662年(寛文2年)近江商人・大村彦太郎が創業した小間物店『白木屋』。江戸時代には、越後屋(三越)、大丸屋(大丸)と並んで三大呉服店の大店になった。二代目が1712年(正徳2年)に掘り当てた井戸が『名水白木屋の井戸』で、掘削中に出たといわれる観音菩薩像は長く百貨店内に祀られていたが、閉店後に浅草寺に移された。

『東急東横店』 (2020年3月31日閉店)

1934年(昭和9年)111日東横百貨店として渋谷駅東口に開店。ターミナルデパートとして成長、1967年からは東急百貨店に商号変更して売上を伸ばしてきた。渋谷駅周辺再開発に伴って2013年東館が閉店、2020331日に東横店すべてが閉店した。東急百貨店のなかでは一番の稼ぎ頭が再開発とは言え閉店する影響は大きい。閉店前の訪問では「東横デパートの思い出展」が開催されていた。銀座線の新駅も完成してアクセスも改善されつつある。売場面積19,000㎡。2020116日訪問。

『川内山形屋』 北薩地方唯一の百貨店

鹿児島県薩摩川内市は、かつて薩摩国分寺が置かれた北薩地方の中心都市。ここに山形屋が開店したのは1958年(昭和33年)1125日。小さいながらもファミリーレストランや隣接するアーケード街もある。かつては屋上遊園地もあった。今後の課題は中心市街地の再生と子会社ながら山形屋グループの経営再建策か。

20202月訪問。 

『きりしま国分山形屋』 中心市街地活性化の核店舗

鹿児島県第2の都市・霧島市の中心部にあるきりしま国分山形屋。設立は1963年と古く、20065月に霧島市中心市街地活性化事業の核として新築移転オープンした地元で人気の中型百貨店。鹿児島本店とは逆に近代的な店舗で大きな吹き抜け空間や広い駐車場とデッキで繋がっているなど斬新で地方都市コンパクトシティ化のモデル的存在。しかしご多分に漏れず郊外型SCとの競争にさらされている。20202月訪問。

鹿屋『桜デパート』跡 (1994年8月31日閉店)

ルーツは1945128日創業の土産品店。1953年(昭和28年)121日商号を桜デパートにした。1960年から大隅半島唯一の協会加盟百貨店として賑わった。19744月寿屋と資本提携し店舗拡張、1989年の記録では売場面積13,886㎡。かつては国鉄大隅線も走っていて、鹿屋基地、鹿屋体育大学とともに若さと活気ある街だった。やがて中心部から郊外へ買い物客の流れが移り、1994年(平成6年)831日閉店。20202月訪問。

2024-08-08

『中合会津店』跡 (2010年2月28日閉店)

会津若松に百貨店ができたのは1963年(昭和38年)74日、地元財界の共同出資でできた若松デパート。以降、会津地方唯一の百貨店として中心商店街「神明通り」の顔になり親しまれてきた。1968年には福島市の中合と提携して「会津中合」となり、1993年には合併して「中合会津店」となった。

2024-08-07

酒田『マリーン5清水屋』 (2021年7月15日閉店)

ルーツは1950年(昭和25年)6月開業の清水屋百貨店。1976年(昭和51年)10月の酒田大火のあと、復興のシンボル・セントラルビルに移転。1982年にダイエーと提携。1994年(平成6年)福島の中合と合併して「中合清水屋」となり、庄内地方唯一の百貨店として市民に親しまれてきた。

『さいか屋川崎店』 (2015年5月31日閉店)

1956年(昭和31年)43日に開店。1965年からは小美屋百貨店や西武を抑えて地域一番店に、そして、さいか屋の本店となる。売場面積約22,000㎡。1990年代から駅前再開発や競争の激化で売上が減少、テナント誘致などの工夫で黒字店舗だったが賃貸借期限である2015年(平成27年)531日閉店。さいか屋閉店により川崎市が政令指定都市で最初に百貨店が無い都市となる。跡地は20198月から「川崎ゼロゲート」になっています。20148月訪問撮影。

『井筒屋黒崎店(旧黒崎そごう)』(2020年8月閉店)

街並みが田園調布の様な放射線状になっているお洒落な街に井筒屋八幡店が出店したのは1959年(昭和34年)1111日。一方、1979年(昭和54年)106日にそごう10店舗目として黒崎駅前に黒崎そごうが開店。

函館『テーオーデパート』(2023年8月閉店)

1962年(昭和37年)1013日から函館の地で長く営業しているのがテーオーデパート。協会非加盟で業態も百貨店というよりGMS型。地元では「デパート」で親しまれ、かつてはこの通りにも函館市電の路線があり便利だった。しかし、市電路線の廃止や郊外SCとの競争で業績低下が続き2023年(令和5年)831日閉店。再開発では新しい観光スポットか高級ホテルの建設を検討中のようです。20209月訪問。 

『そごう呉店』跡 (2013年1月31日閉店)

人口20万を超える広島県第三の都市、呉駅前に1990年(平成2年)318日開店。ピーク時売上212億円が2012年には89億円まで減少。2013年(平成25年)131日閉店。駅の反対側は「ゆめタウン呉」や大和ミュージアムで賑わっているのと対照的に、駅前の一等地で建物だけが眠っていましたがようやく複合型高層マンションへの再開発が動き出している。202010月訪問撮影。

『福屋呉店』

呉駅から徒歩10分ぐらいの繁華街「レンガ通り」にある福屋呉店。1978年(昭和53年)7月に福屋が初めての分店として出店。売場面積1,411㎡とコンパクトながら百貨店の品揃えにこだわり、地元から安定した人気を得ている呉市唯一の百貨店。後発のそごう呉店との競合24年を生き延びています。202010月訪問撮影。

『広島三越』 

三越が広島に出店したのは1973年(昭和48年)48日。売場面積15,800㎡は福屋やそごうと比べて極端に狭く、三越のオリジナリティを出して差別化させる工夫をしながらの競争だが苦戦中。入店した感じは賑わっているように見えました。2015年2月訪問撮影。 

『岡山高島屋』

JR岡山駅前に1973年(昭和48年)519日開店。また、地元の大手町デパートを引き継ぐ形で1991527日に津山店を開業するも天満屋の津山進出を機に1999331日撤退。現在は髙島屋大阪店や両備グループと連携して隣接のイオン岡山や天満屋との差別化を図っている。売場面積18,924㎡。202010月訪問。

2024-08-02

帯広『藤丸』 (2023年1月31日閉店)

富山県出身の藤本氏が1897年(明治30年)行商で訪れた帯広に定住し店を持ち、1900年(明治33年)1030日北越呉服を創業。1930年(昭和5年)に百貨店を開業した。戦後は順調に成長して1982年(昭和57年)31日自社ビルを建てて売り場を拡大。しかしその後は郊外SCや不況で業績が悪化、2023131日閉店した。ふじまるビルは現在もそのまま残っていて再開発計画が何度か変更再検討されている。2021513日訪問。 

『高松天満屋(旧コトデンそごう)』跡 (2014年3月閉店)

コトデンそごうとして開店したのは1997年(平成9年)423日。当初は多くの集客をしたが既存店の三越や郊外SCとの競争で赤字決算が続いた。加えて20007月のそごう本体の経営破綻で行き詰まり、民事再生法を申請し2001415日わずか4年で閉店。琴電にも影響が出て同年12月に民事再生法を申請している。

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