全国の百貨店(デパート)を直接訪ね歩き、撮影し記録に残します。そして時々旅の情報も紹介します。

2024-12-26

『デパートリウボウ』

沖縄県唯一の百貨店がリウボウ。開店は1954年(昭和29年)。1991年(平成3年)4月に再開発ビル「パレットくもじ」に移転開業。20242月期売上119.8億円(前年比+7.3%)。経常損益▲1.1億円。2階のセレクトショップ「楽園百貨店」は大きく売上げを伸ばし好調(琉球新報より)。

2024-12-24

プラザハウスS.C. (沖縄市)

1954年復帰前の沖縄に日本で最初にできたS.C.がプラザハウス・ショッピングセンター。2024年は開店70周年記念の年。アメリカンスタイルなのでクリスマス期間は特別な雰囲気を出している。ロージャースの洋服はどれもお洒落。ロージャースフードマーケットも国際色豊かで見ているだけで楽しくなる。

2024-12-19

『三越いわき店』 いわき市の小型店

福島県いわき市は東北で仙台市に次ぐ第二の人口を持つ都市でありながら百貨店がなく、小規模店ながらいわき駅前再開発ビル「ラトブ」にある三越いわき店の存在は貴重。合併都市のため中心市街地の整備が遅れ、40年越しでやっと2007年(平成19年)1025日オープンにこぎつけた再開発ビルのキーテナントが三越。ビル内には中央図書館や市民サービスセンターもあり、JRいわき駅やバスターミナルとデッキでつながったことで非常に便利になり賑わっている。

いわき市 『大黒屋』跡 (2001年5月閉店)

創業は1901年(明治34年)101日、馬目勝次郎氏が平3丁目で開業した小間物店。利他の精神で地域とともに歩む大黒屋と言われ戦後に急成長し、1970年(昭和45年)222日「大黒屋総合ショッピングデパート」として開店。売場面積12,303㎡。1994年度売上高192.4億円を記録、いわきを代表する百貨店となった。しかしその後、中心市街地の空洞化と競争の激化で大幅に売上を減らし、ちょうど創業100年目となる2001521日自己破産を申請して倒産した。

『伊勢甚日立店』跡 (2005年5月閉店)

一時は水戸をしのぐ人口を有したこともある企業城下町・日立市にあった丸和百貨店を買収して1967年(昭和42年)伊勢甚が鹿島町に出店。1985年(昭和60年)6月、神峰町1丁目の再開発ビルに移転・核店舗として2代目伊勢甚百貨店日立店を開店。途中小売事業をジャスコに譲渡して「ボンベルタ伊勢甚日立店」と屋号を変更。2005年(平成17年)520日閉店。その後、三越との提携を武器に百貨店再生を目指す動きがあったが断念。

2024-12-12

(旅の情報) 郡山・柏屋の『嘉永餅』

「薄皮饅頭」で有名な柏屋の創業は1852年(嘉永5年)。薄皮饅頭は日本三大まんじゅうのひとつだけに北海道から九州まで多くの百貨店の名店街で購入することができます。しかし、郡山駅前通りにある本店に行ったなら、ANAビジネスクラス機内食でも採用された『嘉永餅』がお薦めです。松の実が入っていてしっとりとした上品な美味しさの和菓子です。

2024-12-11

郡山『うすい百貨店』

うすいは、三井高利が日本橋に越後屋呉服店を開く11年前の1662年(寛文2年・徳川四代将軍家綱の時代)に物産問屋として創業、1938年(昭和13年)百貨店となる。1959年には丸伊デパートを引き継ぎ「第2うすい」として開店。1999113日売場面積31,000㎡の現在の店舗をオープン。2003年には産業再生機構の支援を受けるが2005年に債権処理を完了。2022年は創業360周年(ホームページより)。福島市の中合閉店後は、福島県唯一の百貨店として県内全域で頑張っており、会員制のファンクラブを持つ地域密着型百貨店。20241月期売上128億円。

2024-12-10

郡山『津野デパート』跡 (1980年業態変更)

1856年(安政年間)呉服店として創業、地元の大地主・津野一族が1967年(昭和42年)大町一丁目(駅前通りと旧国道4号線が交差する場所)に津野ビルを建設して百貨店となった。うすい、丸光とともに郡山三大デパートとして特に婦人服や学生服に強く、トンボ学生服や富士ヨット学生服の取扱店だった。その後の競争激化で1980年からは家具専門店に業態変更して営業していたが1986年(昭和61年)3月閉店。

2024-12-09

『丸光郡山店』跡 (1980年1月閉店)

1967年(昭和42年)1214日、駅前2丁目に市内初の都市型百貨店として開店。1975年頃から大手資本の大型店が進出して競争が激化、1980年(昭和55年)115日閉店撤退した。閉店後は朝日生命ビルとなったが解体され、現在はコインパーキングとなっている。駅前通りを挟んで向かい合っていた丸井郡山店跡も現在はホテルとなっている。202411月訪問。

2024-12-08

『郡山西武店』跡 (2000年10月閉店)

当初西友ストアー郡山店として1975年(昭和50年)9月開店。1976116日に郡山西武店として百貨店に業態変更した。売場面積12,859㎡。ピーク時は170億円を超える売上を記録していた。その後の郊外大型店の進出や1999年のうすい新店舗開業の影響を受け大幅に売上を減らし2000年(平成12年)1015日閉店。

2024-12-05

『新潟伊勢丹』

人口77万人の政令指定都市・新潟市(商圏人口は100万超都市圏)にあって県内唯一の百貨店が新潟伊勢丹。開店は1984年(昭和59年)43日。売り場面積24,348㎡。開店40周年を迎える20243月期売上高359.4億円。黒字決算の元気な百貨店。2015年から始めた新潟の銘品を発掘し紹介する「NIIGATA越品」は年商4億円規模となり、県内のサテライトショップも増収で好調。

2024-12-04

『新潟丸大店(イトーヨーカドー丸大)』 (1991年業態転換)

1960年(昭和35年)7月、新潟丸大店として出店、新潟地震から1ヶ月後の19647月に百貨店化。売場面積約17,000㎡。1991年(平成3年)6月、百貨店からイトーヨーカドー丸大に業態転換。これにより丸大全店舗が百貨店から撤退した。2020年からは本社も新潟に移り、創業地である長岡から完全撤退。

2024-12-03

『大和新潟店』跡 (2010年6月閉店)

新潟古町地区にあった4百貨店のなかで一時は地域一番店だったこともある中心的な存在だった。1937年(昭和12年)929日創業の萬代百貨店が始まりで、194312月から大和新潟店となる。

『新潟三越』跡 (2022年3月閉店)

背負いの行商から身を起こした小林與八郎氏が1907年(明治40年)創業した小林呉服店が1937年(昭和12年)に百貨店を開業。新潟古町で柾谷小路(まさやこうじ)の象徴的存在の老舗百貨店だった。競争激化のなか三越の支援を受けて生き残り、1980年(昭和55年)から屋号も新潟三越に変更。

『イチムラ新潟店』跡 (1981年7月閉店)

長岡発祥のイチムラ百貨店が新潟へ出店したのは1970年(昭和45年)10月。売場面積約9,500㎡。長岡市の大手通りで競い合っていた大和や丸大と新潟・古町でも競合することになった。1978年にはニチイの支援を受けて百貨店連合に参加するも業績不振で1981年(昭和56年)7月閉店。

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