全国の百貨店(デパート)を直接訪ね歩き、撮影し記録に残します。そして時々旅の情報も紹介します。

2025-08-19

盛岡『アネックスカワトク』跡 (2025年8月18日閉店)

盛岡駅からバスで20分、新興住宅地「緑が丘」の盛岡ドミニカン修道院があった場所に1989年(平成元年)107日開店。かつては岩手県初のユニクロ出店店舗として大いに賑わった。売場面積9803.29㎡。19972月期売上高74億円。開店から36年を経過、郊外SCとの競争激化で売上高も最盛期の半分以下に減少。2023年から官民ファンドの支援を受けて経営再建中のカワトク本体への資源集中を図るとして2025818日閉店した。カワトクオリジナルのドミニカン修道院ガレットは本店で引き続き購入できる。新法人のもとで大規模リニューアルを進める菜園の本店は若い世代を中心に買い物客が増加傾向にあるとのこと。所在地:盛岡市緑が丘4-1-5020258月19日データ更新。

2025-08-17

Facebook『百貨店訪ね歩き』再開のお知らせ

 20256月にいったん閉鎖したFacebook「百貨店訪ね歩き」は、新しいアカウントで2025731日に再開しました。過去の訪問先データはこちらのBlogger「百貨店訪ね歩きブログ」で閲覧することができます。随時更新していきますので引き続きよろしくお願い申し上げます。なお、同名で復活させたため、検索では閲覧できない過去アカウントが出てしまいます。下記『百貨店訪ね歩き』をクリックしてご覧下さい。

Facebook⇒百貨店訪ね歩き


2024年2月撮影 高島屋資料館


『そごう横浜店』

そごう国内4店舗のなかで売上高トップの横浜店。20252月期売上高1,173億円は全国店舗別ランキングでも14位で常にベスト20を維持してきた。売場面積77,690㎡。横浜駅東口みなとみらい再開発地区の核店舗。横浜駅周辺は相変わらずの大規模開発が続いており、高島屋や他店に対抗しうる「そごうらしさ」が求められている。横浜駅と繋がる地下2階の玄関には現在もイッツ・ア・スールワールドのからくり時計の跡が残っている。そごうの本店機能も有しており、屋上には創業者・十合伊兵衛の銅像と伏見稲荷大明神が祀られている。所在地:横浜市中区高島2-18-120257月訪問。

2025-08-15

『髙島屋横浜店』 

横浜高島屋の歴史は相模鉄道とともにあると言っても過言ではない。相鉄社史によると、西口の砂利置き場を買収した相鉄が百貨店の直営か誘致を検討した結果、野澤屋や三越に出店を持ちかけるも断られ、高島屋が「高島屋ストア」を経て、鳥居菊造相鉄社長のもと出店反対運動に遭いながらも1959年(昭和34年)101日開店。結果は地元にも好影響を与え、今では売場面積56,403㎡の堂々の地域一番店。高島屋を誘致した相模鉄道も大手私鉄の仲間入り。全国百貨店店舗別売上高で常にベスト10入りしているドル箱店。相鉄グループが発表した横浜駅西口大改造構想によれば、高島屋が入居する新相鉄ビルの建て替えも計画されており、更なる変化への対応が求められている。20252月期売上高1421.7億円。所在地:横浜市西区南幸1-6-3120257月訪問。

2025-08-13

『さいか屋藤沢店』

さいか屋が藤沢に出店したのは1965年(昭和40年)428日。19781122日に市の再開発ビルである現店舗へ拡大移転。1965年の開店当初から業績好調で小田急が業態縮小したことで地域唯一のフルライン百貨店となった。しかし、東海道線村岡新駅開業や横浜での大型商業施設オープンなど、ますます厳しくなる競争のなかで直営売り場を大幅に減らして収益改善策に取り組み、結果として20248月の全社決算では売上高は減少するも2期連続黒字を達成した。売場面積14,959㎡。20248月期売上高21.4億円。北口のビッグカメラは1979年までのさいか屋旧店舗。所在地:藤沢市藤沢55520257月訪問。

2025-08-10

『小田急百貨店ふじさわ(藤沢湘南GATE)』

1974年(昭和49年)525日江ノ電百貨店として創業し、1985年(昭和60年)32日小田急百貨店藤沢店となる。さらに2019年(平成31年)3月、業態転換し百貨店部分を縮小、『ODAKYU湘南GATE』としてリニューアルオープン。百貨店直営の売場面積3,214㎡。20252月期売上高58億円。2階には江ノ電藤沢駅、6階には市立図書館や市民ギャラリー、屋上にフットサルコートがあり、地域のコミュニティビルの役割も担っている。20257月訪問。

2025-08-08

『十字屋藤沢店(湘南藤沢OPA)』跡 (1986年2月閉店)

十字屋が百貨店として移転拡張する形で1973年(昭和48年)928日開店。売場面積10,494㎡。197712月期売上高70億円(百貨店調査年鑑より)。1986年(昭和61年)211日閉店。複合商業ビルCOSTAに業態転換したのち、19963月から藤沢OPAとなった。2019年からは「湘南藤沢OPA」と改名して現在に至っている。所在地:藤沢市南藤沢22-320257月訪問。

2025-08-07

『藤沢西武店』跡 (1997年1月閉店)

西武百貨店と資本提携していた地方百貨店「志澤」を買収して、西友の百貨店業態「藤沢西武店」として1978年(昭和53年)915日開店。売場面積10,394㎡。最盛期には122億円を超える売上を誇ったがバブル崩壊の影響を受けて減少。西友が経営する百貨店業態を『LIVIN』に改称・業態転換する前の1997年(平成9年)131日閉店。ビルは解体・再開発されてマンション併設の複合店舗になっている。所在地:藤沢市南藤沢3-120257月訪問。

2025-08-06

『松本パルコ(旧はやしや百貨店)』跡 (2025年2月閉店)

ルーツは林屋呉服店として1917年創業。1956年(昭和31年)に長野県第1号の百貨店として開業。1963年に現在の店舗を新築。しかしその時の投資が経営悪化を招き、1974年(昭和49年)出資を受け入れて信州ジャスコに業態転換。ジャスコが郊外へ移転したあと、1984823日からは松本パルコとして営業。かつては【六九の井上、伊勢町のはやしや】と言われた松本の二大百貨店のひとつだった。ちなみにパルコを手掛けた増田通二は父親が松本出身の日本画家で堤家はそのパトロンだった。しかし松本パルコは2025228日閉店。跡地の再開発について報道では、開発業者が現在のビルを活用した劇場型ショッピングセンター開設を目指しているが先行き不透明な状態とのこと。所在地:松本市中央1-10-3020257月訪問。

2025-08-04

『ながの東急百貨店』  長野市唯一の百貨店

始まりは1958年(昭和33年)1110日、新田町交差点に創業した「ながの丸善」デパート。現在跡地にはみずほ銀行長野支店が建っている。道路向かいにあった「ながの丸光」(のちの長野そごう)との激しい競争に負け、東急の支援を受けて1966年(昭和41年)1126日に現在地の長野駅前に移転、1970年(昭和45年)には社名をながの東急百貨店に変更。そして1973年には地域一番店に成長。長野そごうの閉店で長野市唯一の百貨店として生き残るも、郊外SCとの競争など試練が続き、2025331には100%子会社の「ながの東急ライフ」(売場面積5,488㎡)を閉店させた。決算発表による20251月期売上高125.7億円。売場面積19,379㎡。所在地:長野市南千歳1-1-120257月訪問。

2025-08-03

松本市『井上本店』跡 (2025年3月31日閉店)

信州・松本を地盤とする老舗百貨店。1885年(明治18年)井上与作氏が呉服店として創業。1956年(昭和31年)県内初のエスカレーターを設置した百貨店を開業。1979年(昭和54年)419日、六九商店街の店舗から駅前に新築移転。新館との2館体制になる。1997年版百貨店調査年鑑によれば、売場面積11,483㎡、19948月期売上高202.2億円。2000年(平成12年)1026日には東筑摩郡山形村に郊外型SC「アイシティ21」をオープン。中心市街地の空洞化が進み売上が低下して2010年には新館閉鎖。売場面積8,000㎡。20248月期売上高64億円(アイシティ21と合算)。経営資源をアイシティ21に集中させるため、2025331日閉店した。所在地:松本市深志2-3-120257月訪問。

『井上松本ショップ』

閉店した旧本店跡と道路を挟んだ向かいにある松本ノーサンパーキングビル1階に、2025412日売場面積500㎡で「松本サテライトプラス」を開店。衣類中心に5つのショップで構成。所在地:松本市深志2-1-1020257月訪問。

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