創業は1946年(昭和21年)10月開業のカギヤマーケット。その後マーケットの長屋を取り壊し1951年(昭和26年)11月20日に鍵屋デパート開業。地元ではバラの包み紙で有名で、屋上遊園地も備えた北上唯一のデパートとして人気があった。しかし1977年(昭和52年)12月閉店。閉店後しばらくは「サンナードカギヤ」という店舗に業態転換して平成の初期まで営業していたとのこと(北上市観光コンベンション協会で教えていただきました)。現在もさくら野百貨店と道路を挟んで3階建ての建物が残っていて窓越しにエスカレーターを確認できる。1階には1937年創業の松屋呉服店がブティック、学生服や洋服店を出店していたが2026年7月に閉店し破産申請。松屋退去後はビルを解体しツインモールプラザとともに北上市の「にぎわうわうゾーン」プランとしての再開発が期待されている。2024年6月訪問撮影。2026年9月更新。所在地:北上市本通り2丁目1-8。
2026-09-26
2026-09-25
『さくら野百貨店北上店』跡 (2026年8月31日閉店)
2000年(平成12年)3月、市街地再開発ビル「ツインモールプラザ」に当初進出を予定していた川徳の出店辞退により北上ビブレが新規出店。2002年からさくら野百貨店となる。賃料負担を理由に閉店を申し入れたが大家である北上都市開発がフランチャイズ方式で経営を引き継ぎ、2023年8月から「ツインモールさくら野」として再出発。商品券の利用は可能だが百貨店協会非加盟店に。2025年には土地建物の所有が北上市となる。1600台の大型駐車場があり周辺からのアクセスが良く都市中心部ながら郊外型SCとしての機能も備えていて、加えて北上市が県内でも貴重な人口増加都市であることから期待されていたが、百貨店部門を経営していたいわて北上リテールマネジメント社が資金繰りの悪化で2026年8月31日に破産手続き開始を発表。開店から27年目でさくら野百貨店北上店は閉店した。なお、青森本店のさくら野百貨店とは資本関係はなく名称だけを引き継いでいた。2026年9月現在、店舗の出入りはあるが商業施設としてのツインモールプラザは百貨店部分を除いて「クラソ・プレイス北上」として営業を続けている。 2026年9月更新。所在地:岩手県北上市本通り2丁目1-1(東館)。
2026-09-22
知る人ぞ知る広島名菓 『川通り餅』(亀屋)
広島土産と言えば、知る人ぞ知る広島でいちばん美味しい名菓「川通り餅」がお薦め。その由緒は古く室町時代まで遡り、毛利輝元が広島に来た頃から広がったと言われている。求肥にクルミを加え黄粉でまぶした素朴ながら上品な味。一切の添加物を使わないので賞味期限が1週間と短く広島以外ではなかなか手に入らない名菓です。広島市内の百貨店(福屋、広島三越、広島そごう)のほか天満屋福山店、広島駅、広島空港、広島県内のサービスエリアなどで購入できます。
2026-09-21
『徳山サティ』跡 (1999年5月16日閉店)
1971年(昭和46年)11月27日ニチイ徳山ショッピングデパートとして開店。売場面積5,880㎡。途中で「徳山サティ」に商号変更して1999年(平成11年)5月16日閉店。その後建物は解体されて現在は駐車場になっている。2026年9月訪問。所在地:山口県周南市銀座2-30-32。
2026-09-20
『山口井筒屋周南ショップ』(徳山デッキ・Ð2)
近鉄松下百貨店閉店後の2013年(平成25年)6月、徳山市の繁華街・銀南街に出店。2025年6月4日、近鉄松下百貨店跡にできた徳山デッキ1階に売場面積120㎡で移転オープン。婦人服、雑貨、コスメ、食品、ギフトに加えて商店街のフルーツ店を店内誘致し、地域の百貨店ニーズに対応した品揃えを提供している。2026年9月訪問。所在地:山口県周南市銀座1丁目31徳山デッキÐ2・1階。
2026-09-19
周南市 『近鉄松下百貨店』跡 (2013年2月28日閉店)
ルーツは1887年(明治20年)創業の松下商店。近鉄の協力を得て1962年(昭和37年)4月4日松下百貨店として開店。1965年(昭和40年)には出資も受けて近鉄松下百貨店に店名を変更した。石油コンビナートの繁栄を背景に徳山駅前にあって大いに賑わい定番の屋上遊園地やデパートレストランを備えて人気を集めていた。しかし、1990年代から郊外にできた大型商業施設との競争激化で、中心商店街の客足が戻らず売上高も半減、3年連続赤字決算となり2013年(平成25年)2月28日閉店。2010年2月期売上高51.7億円、売場面積10,112㎡(百貨店調査年鑑より)。跡地は市役所仮庁舎や天満屋ショップなどに活用された後解体され、2024年再開発ビル「徳山デッキ」が開業した。2026年9月訪問。所在地:山口県周南市銀座2丁目14。
2026-09-16
『山口井筒屋宇部店』跡 (2018年12月31日閉店)
宇部市は人口16万(県内3位)の企業城下町。山口大学病院や山口宇部空港があり県内でも有数の基幹都市である。百貨店の始まりは1933年(昭和8年)創業の緑屋百貨店。緑屋が戦災で倒産した跡地に百貨店復活を目指す人々によって1951年4月宇部百貨店を開店させ、1953年には山口市のちまきやの応援を得て百貨店協会加盟店「宇部ちまきや」となり業績を伸ばした。オリンピック後の不景気で業績悪化したちまきやが撤退、代わって井筒屋が出資をして1969年(昭和44年)12月1日「宇部井筒屋」に商号変更。2008年には山口市のちまきやが山口井筒屋になったことで「山口井筒屋宇部店」に改称。長く年商60億を超える黒字店だったが売上高の減少と建物老朽化に対応できず2018年(平成30年)12月31日閉店。売場面積8,053㎡、2014年2月期売上高35.6億円(百貨店調査年鑑より)。跡地は宇部市によって再開発され複合施設「ときわスクエア」となった。井筒屋は2019年3月20日からS.C.「ゆめタウン宇部」に430㎡の小型店を出店している。2026年9月更新。所在地:山口県宇部市常磐町1-6-30。
2026-09-12
『東武宇都宮百貨店大田原店』跡 (2026年8月31日閉店)
人口7万人の城下町、そして県北の商業拠点・大田原市にあった「東武宇都宮百貨店大田原店」は、かつて宇都宮の老舗「上野百貨店」が1999年に開店するも2000年12月に倒産閉店した店舗。メインバンクだった足利銀行からの要請を受けて2002年9月6日に出店。最盛期の2006年2月期には59億円を売り上げ、平日でも広い駐車場は多くの車で埋まる栃木県北部の貴重な百貨店だった。売場面積12,248㎡。2022年には店内改装やニトリ誘致などで黒字となるも2025年2月期売上高37.5億円と徐々に減少。県北唯一の百貨店として茨城県などからも集客していたが、建物の賃貸借契約が2027年2月終了となることに伴い2026年8月31日閉店した。2026年9月更新。所在地:栃木県大田原市美原1-3537-2。
2026-09-11
盛岡 『丸正デパート』跡 (1985年閉店)
1913年(大正2年)4月16日創業。1948年(昭和23年)4月17日百貨店化。盛岡最大の繁華街・大通のほぼ中央に位置し地下1階地上5階建ての東北百貨店協会加盟店だった。売場面積2,615㎡。1977年12月期売上高13.7億円(1978年度百貨店調査年鑑より)。衣料品や呉服を中心に外商に力を入れていたが大型店との競争激化で経営が悪化し1985年(昭和60年)閉店。現在跡地は飲食店ビルになっている。また、大通と映画館通りの北東交差点にあるレインボービルも丸正が所有していたが経営悪化により売却された。2026年9月記録。所在地:盛岡市大通1-9-4。
2026年9月現在未訪問。
2026-09-09
盛岡『パルクアベニューカワトク(川徳)』
盛岡城跡公園からほど近い菜園地区にあるのが盛岡市唯一の百貨店『パルクアベニューカワトク』。ルーツは、慶応2年(1866年)川村徳助が盛岡城下鉈屋町に木綿商を創業したのが始まり。明治になって肴町に移転、大正9年(1919年)から川徳呉服店となる。昭和17年から百貨店となり1966年に創業100年を迎えた。1875年(明治8年)以来続いてきた肴町の店舗を青森の中三デパートに譲渡して1980年(昭和55年)10月18日現在の盛岡市菜園に移転。創業160年を迎えた川徳は盛岡には欠かせない唯一の百貨店。郊外S.C.との競争やコロナ禍の影響で苦戦をするなか、2022年からの再建計画が実行された。岩手大学近くの中型店舗「アネックスカワトク(売場面積10,334㎡)」が再建計画の一環で2025年8月18日に閉店したため同年度売上高は減少したが営業損益は計画通り改善を達成。売場面積28,115㎡。2026年2月期売上高148億円。2026年9月更新。所在地:盛岡市菜園1-10-1。
2026-09-05
経営再建を目指す『山形屋(ヤマカタヤ)』(鹿児島市)
1751年近江商人をルーツに持つ岩元家が山形庄内で紅花や呉服を扱う北前船商人となり1772年(宝暦元年)薩摩藩に招かれ鹿児島で山形屋呉服店を創業。城下町の大火や西南の役での被災、路面電車誘致のために敷地を提供するなど逸話が多く、観光バスのガイドさんが「我が郷土の百貨店」と自慢げに紹介する「山形屋(ヤマカタヤ)」本店。老舗百貨店らしい外観も魅力で、特に夜景は美しい。売場面積33,743㎡、2026年2月期総売上高369億円(収益認識基準での決算発表売上高は148億円)。鹿児島中央駅地区や郊外S.C.との激しい競争のなかで、2024年5月、負債360億円を抱えて事業再生ADR(裁判外紛争解決手続き)で5ヶ年の事業再生計画を開始。取引金融機関の事業への理解と支援、地元行政機関も支援を申し出るなど、関係者がスクラムを組んで経営再建が順調に進んでいる。具体的には2026年2月期は9年ぶりの最終損益黒字化を達成。営業利益も3年連続黒字となり経常損益も改善しているとのこと。2026年9月更新。所在地:鹿児島市金生町3番1号。
2026-09-04
『中三盛岡店(旧川徳)』跡 (2011年3月14日閉店)
ここはかつて川徳があった場所。菜園への移転にともない中三が取得して1981年(昭和56年)5月21日中三盛岡店として開店。売場面積18,382㎡1994年8月期売上高121億円。中三4店中トップの売上で全体の3割を占める基幹店だったが、2011年の東日本大震災直後の3月14日もらい事故の爆発事故で休業に追い込まれ、民事再生法を申請し倒産。そのまま再開することなく売却処分された。2012年10月29日からは新しい所有者によって商業施設「Nanak」が開店するも2019年6月2日閉店、建物は解体された。跡地には2024年7月11日に地下1階地上4階建て、15,300㎡の複合商業施設ビル「monaka」が開業した。近隣には新しいバスセンターやオフィスビル建設計画も進み隣接する商店街・肴町アーケードは多くの人で賑わっている。2026年9月更新。所在地:盛岡市中ノ橋通1-6-8。
2026-08-31
『中三秋田店』跡 (2008年10月20日閉店)
かつて秋田出店を目指して中通りに土地まで取得しながら断念した歴史を持つ中三にとっては念願の秋田進出だった。ジャスコ(現在のイオン)と資本提携して2核1モール型郊外S.C.「イオンモール秋田」の核店舗として1997年(平成9年)10月1日開店で実現させた。しかし、地元との協議が難航して食品売り場が出せないなどハンディを持った状態で年商目標55億円でスタート。売場面積13,500㎡。2004年8月期売上高49.9億円。売場の制約を受けたことで百貨店としての差別化が図れず、一度も黒字決算することなく2008年(平成20年)10月20日閉店。中三撤退後は専門店街「ウェストモール」としてリニューアルされて現在に至っている。所在地:秋田市御所野地蔵田1-1-1。
2026年現在未訪問。
2026-08-28
秋田市 伝説の百貨店『木内』 (長期休業中)
秋田市にある木内デパートは、かつて「秋田の三越」と言われた地域一番店だった。お歳暮お中元では絶対的信頼の包装紙であり修学旅行の見学コースにもなっていたという。ルーツは久保田藩藩士だった木内家が明治22年に創業した木内商店。1951年(昭和26年)に百貨店化、秋田市初のエスカレーター導入や屋上遊園地があり家族連れで賑わっていた。売り場面積8,440㎡、売上高132億円(1981年度百貨店調査年鑑より)。1990年に日本百貨店協会を退会し、1991年に売り場を大幅縮小して1階で衣料品のみを取り扱いながらも、消費税は取らない、ピカピカのトイレ、お釣りは全て新札、秋田駅を出発するバスのほとんどが最初に木内前バス停に停車するなど、コロナ禍前までは伝説の百貨店だった名残をとどめていた。2020年3月のコロナ禍以降臨時休業となり、2026年8月時点で長期休業が続いている。ただ、建物のメンテナンスや周囲の雑草取りなどの管理は継続して行われている。秋田市では再開発に向けて木内の経営者に相談を持ち掛けているが今のところ動きは見られない。2026年8月更新。所在地:秋田市中通1-3-1。
2026-08-25
『西武秋田店』
ルーツは1850年(嘉永3年)に本間金之助氏が創業した小間物店「本間屋」。慶応2年に大町二丁目に移転、大正6年には県内初のショウウィンドウを設置。メリヤスの本金などと品質の良さで繁盛した。かつて書店も経営して教科書を発行していた。1960年(昭和35年)10月10日本金デパート開店。地震で屋上の本金タワーが倒壊するなど昭和の経営危機では西武グループと業務提携を結び、1984年(昭和59年)4月27日駅前再開発ビルに移転し「ほんきん西武」となる。2005年から西武百貨店直轄となりそごう・西武グループの「西武秋田店」として現在に至る。秋田市で唯一の百貨店協会加盟百貨店である。人口減少や郊外店との競争で厳しい経営環境にあり今後が気になる。売場面積9,774㎡。2025年度売上高61.7億円。2026年8月更新。所在地:秋田市中通2-6-1。(本金デパート時代:秋田市大町2丁目2-1)
2026-08-21
『中三弘前店』跡 (2024年8月29日閉店)
初めは弘前に1962年(昭和37年)11月衣料品店として出店。1967年11月土手町に新築移転して中三を含む4社合同で百貨店化。1968年(昭和43年)9月、4社が合併して正式に百貨店「中三弘前店」として営業を開始した。土手町商店街の中心として長く存在してきたが東日本大震災後の2011年に本社が経営破綻し2015年に再建手続きが完了。青森店閉店後は唯一の店舗となる。しかしテナントの相次ぐ撤退やコロナ禍以降も業績悪化に歯止めがかからず、親会社の支援が打ち切られ2024年(令和6年)8月29日破産により閉店。売場面積21,422㎡。2023年8月期売上高17.2億円。建物の解体が始まった跡地の今後について具体的な発表はまだない。人気のあったデパ地下名物「中みそ」ラーメンは弘前駅前の商業施設「ヒロロ」4階フードコートで復活している。2026年8月更新。所在地:弘前市土手町49-1。
2026-08-19
『木更津そごう(旧サカモト)』跡 (2000年7月13日閉店)
1913年(大正2年)6月、千葉県市原市で創業した坂本呉服店が1923年(大正12年)木更津に支店を出したのがルーツとされる。1968年(昭和43年)サカモト百貨店に商号変更、1973年(昭和48年)10月西口駅前富士見通りに売場面積10,066㎡の新店舗を建設し移転。千葉県南唯一の本格的百貨店となった。しかし、ダイエーや西友の出店で業績が悪化し千葉そごうと提携して1978年10月1日から「サカモトそごう」に商号変更。1986年度売上83億円まで業績が好転した。さらに1988年(昭和63年)3月17日木更津駅西口再開発ビルの核店舗として売場面積19,300㎡で「木更津そごう」に商号変更して開店。最盛期には190億円近い売上を記録した。しかし2000年(平成12年)7月13日そごうグループの経営破綻とともに閉店。現在は「スパークルシティ木更津」という木更津市の複合施設になっているが現在も館内は百貨店らしい構造を見ることができる。第一駐車場ビルはかつてのライバル十字屋が建っていた場所。2026年8月更新。所在地:サカモトそごう➡木更津市中央1-3-8。木更津そごう➡木更津市富士見1-2-1。
2026-08-17
『さくら野百貨店弘前店』(旧カネ長武田弘前店)
カネ長武田が弘前市土手町32番地に出店したのは1971年(昭和46年)3月6日。売場面積8,550㎡。1987年2月期売上高25.4億円。経営母体の変遷で「ダックシティカネ長武田百貨店」となり、さらに1993年(平成5年)10月1日に土手町から城東地区に郊外型店舗「弘前ビブレ」として移転。2002年からはさくら野百貨店弘前店として現在に至る。土手町の中三弘前店が閉店し、さくら野弘前店が津軽地方唯一の協会加盟百貨店となった。売場面積21,285㎡。グループ3店のなかで売上高一番店の貴重な収益店舗(2025年度全店の売上高は約124億円)。4階には全国でも珍しい百貨店内の天然温泉施設があり露天風呂からは岩木山が眺められる。弘前駅からの150円バス利用者も多く(土休増便あり)、別館ラフォルテも含めて週末を中心に賑わっている。なお、土手町の旧店舗跡は建物が解体され1999年から駐車場中心のスカイパークビルになった。2026年8月更新。所在地:弘前市城東北3-10-1。
2026-08-13
『いよてつ高島屋』(愛媛県松山市)
始まりは伊予鉄道とそごうが業務提携をしてそごうグループ5番目の店舗として1971年(昭和46年)に開店した『いよてつそごう』。そごう破たん時にも業績がよかったがそごうブランドのイメージ低下で売上が減少、2001年6月に業務提携を解消して『伊予鉄百貨店』となり、2002年3月1日から髙島屋と資本提携して『いよてつ高島屋』となる。四国最大の都市・松山市(人口51万人)の中心、伊予鉄道の路線が5方向から集中する松山市駅に併設されたターミナル百貨店で1階には改札口や市内電車の電停、バスターミナルが隣接、2026年には歩行者優先の駅前広場整備事業も完成した。売場面積43,000㎡は四国最大。2026年2月期売上高317億円(前年比+3.7%)。2026年8月更新。所在地:愛媛県松山市湊町5-1-1。
2026-08-09
五所川原 『丸友』跡 (1995年4月15日閉店)
五所川原の米穀商の名家・三国谷一族により「横のデパート」と言われたアーケード街の中心に1953年12月テナント型の「ショッピングデパート丸友」を開店。1973年に百貨店規模に拡大した。地上7階地下1階建ての売場面積8,125㎡。年間30億円程度の売上を維持していたが郊外に大型店が出店するなど環境の変化に対応できず売上の減少で資金繰が悪化、1994年1月に1か月弱の休業を経て再開するも1995年4月15日閉店廃業した。現在跡地は公共文化施設「立佞武多の館」になっている。2018年6月訪問。2026年8月記録。所在地:青森県五所川原市大町22番地。
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秋田市にある木内デパートは、かつて「秋田の三越」と言われた地域一番店だった。お歳暮お中元では絶対的信頼の包装紙であり修学旅行の見学コースにもなっていたという。ルーツは久保田藩藩士だった木内家が明治 22 年に創業した木内商店。 1951 年(昭和 26 年)に百貨店化、秋田市初の...
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1751 年近江商人をルーツに持つ岩元家が山形庄内で紅花や呉服を扱う北前船商人となり 1772 年(宝暦元年)薩摩藩に招かれ鹿児島で山形屋呉服店を創業。城下町の大火や西南の役での被災、路面電車誘致のために敷地を提供するなど逸話が多く、観光バスのガイドさんが「我が郷土の百貨店」と自...
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初代は滋賀県日野町出身で 1893 年(明治 26 年) 6 月に札幌で池内金物店を創業。 1965 年(昭和 40 年) 4 月 10 日小売部門を百貨店化して日本百貨店協会加盟店となるが百貨店経営に苦戦し 1968 年から丸井今井傘下に入る。しかし丸井今井の業績悪化で 199...