盛岡駅からバスで20分、新興住宅地「緑が丘」に1989年(平成元年)10月7日開店。売場面積9803.29㎡。1997年2月期売上高74億円。開店から35年を経過、郊外SCとの競争激化で売上高も最盛期の半分以下に減少。2023年から官民ファンドの支援を受けて経営再建中のカワトク本体への資源集中を図るとして、2025年1月31日、同年8月17日閉店を正式発表。
2025-01-31
2025-01-29
秋田市 伝説の百貨店『木内』 (長期休業中)
秋田市にある木内デパートは、かつて「秋田の三越」と言われた地域一番店で、お歳暮お中元では絶対的信頼の包装紙であり修学旅行の見学コースにもなっていたという。現在は、1990年に日本百貨店協会を退会し業務縮小、1階で衣料品のみを取り扱っている。消費税を取らない方針、ピカピカのトイレ、お釣りは全て新札、秋田駅を出発するバスのほとんどが最初に店舗前に停車するなど、現在でも伝説の百貨店だった名残をとどめている。
2025-01-27
『高島屋堺店』 (2026年1月7日閉店予定)
南海高野線堺東駅の百貨店ビルに1964年10月4日、大阪初の郊外型百貨店として開店。当初はなんば高島屋の支店扱いだった。途中、増築や売り場の改編で最大時売場面積26,000㎡まで拡大。近隣で大型店の出店や撤退が続く中、60年以上にわたって頑張ってきた高島屋。2024年2月期売上高103.4億円。売場面積15,831㎡。売上の減少と連続赤字が続き、建物賃貸借契約満了にあわせて2026年1月7日で閉店することを発表。
『JR大阪三越伊勢丹』跡 (2015年4月閉店)
再開発でできた大阪駅ステーションシティ・ノースゲートビルディングに、北浜にあった三越大阪店の後継店舗として、2011年(平成23年)5月4日開店。売場面積47,780㎡。しかし売上げ不振により2015年4月1日閉店。当初三越は現在のヨドバシカメラが入居するビルへの出店を希望していたが実現しなかった。現在跡地は複合型商業施設「ルクアイーレ」として営業している。2025年1月訪問。
2025-01-22
『大丸神戸店』
元町通4丁目から現在地の店舗へ移転したのは1927年(昭和2年)4月5日。周辺の土地を取得して徐々に拡大。戦後の米軍接収、そごうに抜かれて地域2番店への転落、そして阪神淡路大震災による被災を乗り越えて1997年度からふたたび地域一番店に返り咲いた。屈指の美しさと言われる百貨店建築の店舗だけでなく旧居留地に展開する路面店も魅力の一つ。
2025-01-21
元町『十合(そごう)呉服店』跡
現在まで続く百貨店のなかで、神戸・元町通に最初に出店したのが大阪心斎橋を拠点とする十合呉服店。2年前に進出した相生町からの移転で1901年(明治34年)4月3日開店。元町通5丁目海側の店舗で、1933年(昭和8年)10月1日に三宮駅前の阪神電鉄三宮ビルに移転すると同時に「そごう」というひらがな屋号を採用したと記録されている。
元町『大丸呉服店』跡
大丸呉服店が兵庫から移転し神戸・元町通に開店したのは1908年(明治41年)6月15日。小規模ながら木骨コンクリート造2階建てで、呉服以外の商品も扱いショウウィンドウや吹き抜けを備えた兵庫県以西では初の百貨店だった。1927年(昭和2年)4月に現在地に移転するまで元町通の賑わいの中心だった。
2025-01-20
『高島屋和歌山店』跡 (2014年8月31日閉店)
南海電鉄和歌山市駅ビルに2代目の和歌山店として1973年(昭和48年)5月16日開店。競争激化で赤字が続き2014年(平成26年)8月31日閉店。売場面積4,510㎡。2013年2月期売上高21億8,800万円(高島屋広報発表)。その後駅ビルは解体再開発され、現在はホテルやオフィス棟、公立図書館が入る複合型施設「キーノ和歌山」となっている。
『大丸須磨店』
神戸市営地下鉄・名谷(みょうだに)駅の商業施設須磨パティオの核店舗としてダイエーと一緒に1980年(昭和55年)3月15日開店。大丸にとって郊外型SCへの出店は初めてで地域密着型の店作りを目指してきた。2001年に直営化され大丸神戸店の分店となっている。
『そごう西神店』跡 (2020年8月閉店)
神戸市営地下鉄西神山手線・西神中央駅の百貨店ビルにそごう神戸店の分店「西神そごう」として1990年(平成2年)10月10日開店。売場面積17,904㎡。神戸店が阪急へ譲渡されることとなり2017年(平成29年)10月からはそごう西神店として独立するも2020年8月31日閉店。そごう創業の地関西最後の店舗だった。
2025-01-17
『大丸新長田店』跡 (2013年1月閉店)
JR新長田駅前ビル「ジョイプラザ」に1977年(昭和52年)4月21日核テナントとして開店。売場面積9,091㎡の中型店ながらフルラインに近い品揃えだった。1995年の阪神大震災では被害の大きかった長田地区にありながら震災2日後には大丸が食料品などを供給して地元に貢献(当時の社員の皆さんの行動に敬意)。しかし震災後の人口減少や地域密着型であるが故の競争激化で売上が減少し、2013年1月31日閉店。2010年2月期売上高54.3億円。
2025-01-16
『三越神戸支店』跡 (1984年2月閉店)
神戸駅に近い元町通6丁目で経営破綻した元町デパートを継承して1926年(大正15年)大阪の分店として三越神戸店が開店。1928年6月1日に支店に昇格した。開店当初は神戸の都心に位置していたが、鉄道網の開通や駅の新設などで中心街が現在大丸のある元町東側からそごうが出店した三宮にかけてのエリアに移るなかで、移転計画の断念や建物の老朽化、三越本体の不祥事も重なって1984年(昭和59年)2月29日閉店。この後、
2025-01-13
『つかしん西武』跡 (2004年5月9日閉店)
兵庫県尼崎市のグンゼ塚口工場跡地に、関西進出を画策していた西武百貨店が塚口新町開発プロジェクトの核店舗として1985年(昭和60年)9月27日開店。売場面積28,898㎡(建物総面積59,400㎡、開発総床面積118,396㎡)。地元との対立、俗にいうイトマン事件、競合百貨店のある大阪梅田まで各駅停車でわずか15分という近さ、買い物というよりはレジャーランドのような構造に、西武百貨店が苦戦して開店から一度も黒字化することなく2004年5月9日閉店。閉店前年度の売上高は32億円。
2025-01-12
『近鉄百貨店桔梗が丘店』跡 (2018年3月閉店)
近鉄大阪線の大阪通勤圏として近鉄グループによって1963年(昭和38年)から造成が始まった三重県名張市・桔梗が丘住宅地の駅東口に、1965年近商ストアとして開業。1998年(平成10年)7月8日業態転換して「近鉄百貨店桔梗が丘店」として開店し競合他店との差別化を図った。売場面積11,706㎡。2009年2月期売上高約290億円。しかし、2000年以降の人口減少と高齢化により2012年(平成24年)3月に再び業態転換と売り場縮小をして近鉄プラザ桔梗が丘店となるも、2018年(平成30年)3月31日閉店。2025年1月訪問時点で跡地はそのまま残っていた。
2025-01-03
『日南山形屋』 (2025年2月24日閉店ギフトショップ化)
日南山形屋が開店したのは1961年(昭和36年)6月5日。売場面積4,490㎡の中型店ながら協会加盟百貨店として60年以上の歴史を持つ。小村寿太郎の出身地で有名な飫肥城下町に近く、店舗は広島東洋カープを町ぐるみで応援する油津のアーケード街にも面している。宮崎県南唯一の百貨店として食料品から衣料品やお土産まで幅広く取り扱っている。2020年2月22日訪問。 2025年2月24日に日南山形屋を閉店し、「宮崎山形屋ギフトショップ日南店」に名称変更して1階に出店することを発表。1階の日南山形屋食選館も同日に閉店する。(2024年12月25日発表)
2025-01-01
『そごう千葉店』 千葉市唯一の百貨店
そごう千葉店は2025年も元旦初売り。旧別館ジュンヌ館(約18,000㎡)は、土地建物を取得したヨドバシカメラが今までの3倍の広さで昨年11月に出店しヨドバシHD千葉ビルとなり、双方の人流が増えたようです。そごう千葉店もリニューアルを進め、相互作用に期待して共に成長を目指すそうです。
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札幌駅東側のマンションラッシュ人口増加地帯に一番近いのが東急百貨店。開業は 1973 年(昭和 48 年) 10 月 5 日。札幌駅前の百貨店として生き残り、店内に企業主導型保育園を開設したり、祝祭日も営業する郵便局を誘致。さらに 2023 年に閉店した札幌エスタから、ユニクロ、...
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秋田市にある木内デパートは、かつて「秋田の三越」と言われた地域一番店で、お歳暮お中元では絶対的信頼の包装紙であり修学旅行の見学コースにもなっていたという。現在は、1990年に日本百貨店協会を退会し業務縮小、1階で衣料品のみを取り扱っている。消費税を取らない方針、ピカピカのトイレ...
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創業は 1952 年(昭和 27 年) 6 月 19 日開店のスズラン衣料品店。 1962 年(昭和 37 年) 5 月に地上 8 階建ての本館をオープンさせ百貨店化。前三、前橋西武が次々と閉店し、現在では前橋市唯一の百貨店となっている。中心市街地の再開発と連動し新しい複合型商業...