全国の百貨店(デパート)を直接訪ね歩き、撮影し記録に残します。そして時々旅の情報も紹介します。

2025-05-30

『オズ大泉西武店』跡(プラッツ大泉) 1999年4月業態転換

東映撮影所跡地の再開発で1983年(昭和58年)423日、東映ショッピングセンタープラッツ大泉の核店舗として開業。売場面積8,108㎡。当初は西友オズ大泉店としていたが、1994年(平成6年)69日、西友の百貨店業態である「オズ大泉西武店」に名称変更。さらに1999424日からは現在の「リヴィン・オズ大泉店」に店名変更し業態転換した。道路を挟んで向かい合う「オズ・スタディオシティ」と対をなすS.C.。所在地:練馬区東大泉2-10-1120255月訪問。

2025-05-28

『ミーツ国分寺』三越伊勢丹グループの地域密着型S.C.

三越伊勢丹グループの不動産部門が初めて手掛けた郊外立地の地元密着型S.C.として国分寺駅北口再開発ビルの商業スペース「cocobunji-WEST」約9,000㎡に201847日オープン。クイーンズ伊勢丹を核店舗に49店が出店。しかしこれまでは店舗の出入りが激しく苦戦中とみられていたが最近ようやく落ち着いてきた。普段使いの店舗として日常の買物で利用して、週末や非日常では新宿や立川の伊勢丹で買物をするファン獲得を目指している。また、国分寺市と連携した行政機能も多く三越伊勢丹グループが手掛ける複合型不動産事業の試金石として今後も注目の施設。商業スペースの多くの店舗で全国百貨店共通商品券が使用できる。所在地:東京都国分寺市本町3-1-120255月訪問。

2025-05-17

『岩田屋本店』 (地方百貨店トップの売上を誇る)

ルーツは1754年(宝暦4年)創業の紅屋。1936年(昭和11年)107日九州初のターミナルデパートとして開店。戦後の天神地区の発展に大いに貢献するも、多店舗化や仕入施策に失敗して2002年から伊勢丹傘下での経営再建をすすめ2004年(平成16年)32日に現店舗の体制となる。現在はグループ傘下の㈱岩田屋三越として福岡三越と一体化した経営である。20252月期売上高990.5億円(前年比+13.1%)でまもなく年商1,000億円超店舗の仲間入りが近い。売場面積50,628㎡。店舗別売上高で全九州と全地方百貨店トップの座を堅持。今回訪問時も平日にもかかわらず開店前に行列ができるのはさすが。所在地:福岡市中央区天神2-5-35。20254月訪問。

『福岡三越』 

開店は1997年(平成9年)101日。2階に西鉄福岡駅、3階に高速バスセンターがあるターミナルデパート。かつては岩田屋とライバル関係にあったが岩田屋の親会社伊勢丹と三越が経営統合したことにより、岩田屋に吸収合併されるかたちで社名を岩田屋三越として岩田屋本店と一体的に経営されている。ターミナルデパートであるがゆえに特に1階は3つのゾーンに分かれた売場構造になっている(フロアガイド参照)。一番北のライオン口は、2頭のライオンが鎮座し観光案内所もあるおしゃれな広場。20252月期売上高296.4億円(前年比+7%)。売場面積38,031㎡。所在地:中央区天神2-1-1。20254月訪問。

『大丸・福岡天神店(博多大丸)』 

開店は1953年(昭和28年)615日。当初の店舗は地下鉄呉服町駅付近にあった。現在地・福岡天神への移転は1975117日。西日本新聞社の再開発にともない東館も新設、パサージュ広場もできた。地域共生活動の「九州探検隊」、地下鉄七隈線の博多駅開通、お得意のデパ地下強化策などで九州圏内の競争に挑戦中。本館と東館の間にある全天候型のパサージュ広場は他の百貨店にない魅力的な空間でイベントや行事の発信が多い。20252月期売上高595.7億円で前年比+14.4%と好調を維持している。売場面積44,192㎡。所在地:中央区天神1-4-1。20254月訪問。

2025-05-16

『博多阪急』

福岡市は今や政令指定都市では神戸を抜いて5番目の人口を有しさらに増加を続ける活気ある大都市。玄関口博多駅にはかつて井筒屋があった。そこに駅ビル再開発でライバル候補の高島屋に競り勝って、2011年(平成23年)33日開店して九州初進出をはたした阪急。売場面積41,835㎡。20253月期売上高694.3億円で、地方百貨店店舗別ランキングでそごう千葉店を抜き岩田屋本店、大丸札幌店に次ぐ3位。3年連続2桁の伸びを記録。更なる成長を目指して2025年から42億円をかけた大規模改装に着手した。所在地:博多区博多駅中央街1番1号。20254月訪問。 

2025-05-14

 『福岡松屋(マツヤレディス)』跡(現・ミーナ天神) (2003年10月8日閉店)

福岡松屋百貨店のルーツは1911年(明治44年)創業の松屋モスリン店。1929年(昭和4年)福岡松屋百貨店を開業。岩田屋、玉屋とともに福岡を代表する百貨店となった。1937年には大牟田松屋の開業にも資本参加した。しかし福岡空襲の被害を受けて百貨店は廃業に追い込まれ、1947年から事業を再開するも百貨店としての復活ではなかった。1973年(昭和48年)ダイエーと提携しファッションビル「マツヤレディス」を新築開店。最盛期には80億円近い売上を記録したが競争激化による売上減少、関連会社の大牟田松屋百貨店の倒産で財務状況が悪化、不動産売却をして2003108日、破産宣告を受けて歴史ある福岡松屋の社名も消滅した。建物は「天神ビッグバン」による建て替えを断念し改修によりファーストリテイリングが一括借り上げをして200510月から、九州最大のユニクロ店舗などの商業施設「ミーナ天神」として営業している。所在地:福岡市中央区天神4-3-820254月訪問。

2025-05-11

『日田岩田屋』跡 (2002年8月閉店)

岩田屋の支店第1号として1947年(昭和22年)530日、木造2階建・売場面積330㎡で旧筑後軌道豆田駅跡付近に開店。1967年(昭和42年)47日久大本線日田駅近くに新店舗完成移転。地上4階建て売場面積6,044㎡。大分県西部を代表する人気の商業施設となった。1993年からは久留米岩田屋日田店となる。黒字経営であったが岩田屋本体の経営再建のため、2002年(平成14年)8月閉店。閉店後の中心市街地空洞化を心配した日田市が不動産を取得して大分市のトキハ誘致を図ったが実現せず売却。現在跡地は高層マンションとなっている。所在地:大分県日田市中央1-1-1620254月訪問。

2025-05-08

『大牟田井筒屋』跡 (2000年12月閉店)

当時大牟田市の人口は18万人。松屋百貨店がすでに営業中で賛否ある中、副都心として再開発された西鉄新栄町駅前に、久留米井筒屋大牟田店が1970年(昭和45年)102日開店。19802月期売上高72億円、売場面積8,643㎡(1980年度百貨店調査年鑑)。大牟田松屋とともに2大百貨店として親しまれたが、石炭産業の衰退による大幅な人口減や郊外型店舗との競争などで売上が減少。2000年(平成12年)12月に閉店。新栄町駅の東側に同年開業したゆめタウン大牟田の1階に小型店を出店するも2021131日閉店し大牟田から完全撤退した。駅前の建物は解体されたが2025年現在も空き地のままとなっている。所在地:大牟田市新栄町1120254月訪問。 なお、当時の大牟田井筒屋の画像は「にしてつwebミュージアム」サイトで見ることができる。

大牟田 『松屋』跡 (2004年7月2日閉店)

市内の商工業者から市民百貨店構想が出て、ツシロ呉服店を中心に福岡松屋と提携して1937年(昭和12年)1010日、商号も松屋として開店。戦後、空襲の被害を受けるも三池炭鉱の活況により1970年に進出した井筒屋とともに大牟田を代表する百貨店となった。1979年売上高91.4億円、売場面積10,123㎡(1980年度百貨店調査年鑑)。しかし炭鉱の合理化や閉山による人口減少や不況の影響、郊外型SCの進出で20021月民事再生法の適用を申請。大手企業の支援はなく市民株主運動などで再建を図るも、2004年(平成16年)72日閉店し破産。建物は2009年に解体されたが、2025年現在も一部駐車場を除き更地のままとなっている。20254月訪問。所在地:大牟田市本町1-6-4

2025-05-05

『久留米井筒屋』跡(2009年2月28日閉店)

昭和10年頃から小倉で井筒屋が、福岡で岩田屋が設立されたことに対抗して、商都・久留米の財界でも百貨店作りが決議され1937年(昭和12年)930日中心街・六ツ門町に旭屋デパートが開店した。久留米が生んだ偉人・日比翁助の縁なのか定かではないが開店に際し三越から幹部人材6名の派遣を受けた。戦後は久留米空襲の戦災を免れ復興の象徴的存在となる。昭和35年に井筒屋に業務提携を申し入れ1962年(昭和37年)31日久留米井筒屋が誕生した。

その後、西鉄久留米駅に進出した岩田屋とともに多くの買い物客を集めて発展。19892月期売上高222.2億円、売場面積27,027㎡(1989年度百貨店調査年鑑)。しかし、郊外型店舗との競争激化や福岡との都市間競争で売上減少。専門店化などの工夫をするも業績回復せず2009年(平成21年)228日閉店し72年の歴史を閉じた。建物は解体され、跡地には2016年から複合型公共施設「久留米六ツ門シティプラザ」が建っている。所在地:久留米市六ツ門町8-1220254月訪問。

『岩田屋久留米店』 

有馬家21万石の城下町・久留米市はで人口30万を有する福岡県第三の都市。その西鉄久留米駅のターミナルデパートとして1972年(昭和47年)526日開店。19972月期売上336.9億円、売場面積23,997㎡(1997年度百貨店調査年鑑)。子会社久留米岩田屋としての出店だったが現在は本社に統合され岩田屋久留米店となっている。天神から西鉄特急で30分と近い福岡市との都市間競争や、ゆめタウン久留米S.C.との競争にさらされ2019321日には1983年に増床した新館を閉鎖した。さらに直営売り場を本館地下1階から5階までに縮小してスリム化を図っている。2025年2月期売上高42.2億円・売場面積6,808㎡。20254月訪問。

2025-05-01

『小倉そごう』跡 (➡玉屋➡伊勢丹➡コレット➡セントシティ) 

小倉駅南口に立つ地上14階建て・延床面積114,455㎡の巨大ビル。市街地再開発事業でできたビルに、すでに一部土地を買収していたそごうが核テナントとして1993年(平成5年)1010日九州最大の売場面積で開店。その後の詳細はウィキペディアや地元財界誌に書いてある通り、めまぐるしく変遷して現在は複合型ビル「セントシティ」となっている。 百貨店の出店閉店は以下の通り。

19931010日~20001225日・小倉そごう(売場面積43,774㎡)。

2002310日~20021225日・小倉玉屋(売場面積13,000㎡)。

2004210日~2008325日・小倉伊勢丹(売場面積30,000㎡)。

200841日~2019228日・井筒屋コレット(売場面積30,000㎡)。

20214月~複合型商業施設「セントシティ」。

北九州市も福岡・天神と同水準の規制緩和による再開発促進事業「北九州ビッグバン」に着手しており、ここはその中心的存在になれるか。所在地:北九州市小倉北区京町3-1-1。2025年4月訪問。(そごう、玉屋時代の掲載可能写真なし)

過去30日間で閲覧数の多い投稿