全国の百貨店(デパート)を直接訪ね歩き、撮影し記録に残します。そして時々旅の情報も紹介します。

2024-05-28

福井と言えば「おろしそば」・武生のお薦め店

福井はそばの産地で何といっても「おろしそば」が名物で美味しいです。今回は越前市武生の旧市街にある知る人ぞ知る手打ちそばの名店「御清水庵」(おしょうずあん)を紹介します。はぴライン武生駅から南へ徒歩3分。福井県産そば粉と美味しい武生の湧水を使った手打ちそばでできた「おろしそば」は絶品です。写真の見た目と違い食べ応えがあります。

越前市観光協会の下記公式サイトをご参照下さい。

越前市観光協会【御清水庵】

おろしそば800円 絶品でした

武生まちなか案内図

御清水庵全景


大人の休日倶楽部会員限定『北陸フリーきっぷ』

JR東日本の大人の休日倶楽部会員限定きっぷ「北陸フリー切符」で、新しく開通した北陸新幹線と福井・金沢・富山を旅してきました。このフリーきっぷ、なかなか便利です。区域内の第三セクターも含め、新幹線とJR線が4日間乗り放題で、東京からの往復に新幹線指定席が確保できます。会員の方にはお薦めのお得きっぷ、まだ会員でない方もこの切符1枚で年会費分が回収できるほどお得です。新幹線も北陸区間は自由席のあるつるぎ号が頻繁に走っているので使い勝手も抜群です。東京都区内から往復4日間有効で1名24,000円(2024年4月現在)。

今回利用した北陸フリーきっぷ




JR九州『ハロー!自由時間クラブ』がお得

 JR九州に60歳以上を対象にした「ハロー!自由時間クラブ」は入会無料でお得な切符が活用できます。九州までは航空会社のバーゲンセールチケットで行き、九州内は会員限定チケットで回ればお得に旅ができます。北部九州版と全九州版、グリーンネットパスもあります。特急や新幹線指定席も6回まで可能。予約は券売機で。詳細は下記ホームページ参照。  ハロー自由時間クラブ


北部九州版ネットパス

グリーン車に乗れるパスもあります


2024-05-27

経営再建を目指す『山形屋』(鹿児島県鹿児島市)

1751年近江商人のルーツを持つ岩元家が山形庄内で呉服商を興しその後薩摩に入り山形屋という屋号で店を開いたのが始まり。観光バスのガイドさんが「我が郷土の百貨店」と自慢げに紹介する「山形屋(ヤマカタヤ)」本店。老舗百貨店らしい外観も魅力で、特に夜景は美しい。売場面積33,743㎡、20232月期売上362億円。

『宮崎山形屋』

始まりは1936年(昭和11年)12月の支店開業。1956年(昭和31年)5月18日に現在地で百貨店を開店。日南山形屋を除けば、県内唯一の百貨店である。売場面積20,339㎡、20232月期売上108億円(前年比+5.8%)。九州でもトップクラスの売上を誇るイオンモール宮崎と上手く棲み分けることで、中心商店街の核として頑張ってきました。店内に東郷青児の壁画があることでも有名。

『鶴屋』(熊本県熊本市)

2021年には熊本駅に「アミュプラザくまもと」がオープンして、中心市街地や鶴屋にとっては強力な競争相手として少なからず影響があったようです。開店は1952年(昭和27年)。コロナ禍後20232月期に黒字決算に復活。売場面積68,987㎡。水害、熊本地震やコロナ禍を乗り越えて創業72年目を迎えた熊本県唯一の百貨店。2023年訪問撮影。

『トキハ本店』(大分県大分市)

大分市は人口48万人の県都。そこに唯一存在するのがトキハ本店で創業は1936年(昭和11年)4月。売り場面積42,564㎡、20232月期売上高520億円。かつては地方百貨店の雄とまで言われた大型のフルライン都市型デパート。熊本市の古荘本店の関係会社として役員に古荘家が名を連ねています。

『浜屋』(長崎県長崎市)

地元の実業家たちが出資して1939年(昭和14年)12月15日開店。戦後の増床で42万人の長崎市で最大級の売場を持つ百貨店に成長。長崎駅から路面電車で観光通り電停下車すぐの繁華街にある核店舗。新幹線開通で長崎駅が賑やかになり地域間競争が激化する中で苦戦中。売場面積17,557㎡。ファミリーレストランの長崎ちゃんぽんが安くて美味しくお薦め。屋上からは長崎市街が見渡せます。

『佐賀玉屋』

玉屋のルーツは文化3年(1806年)創業の田中丸商店で、現在も田中丸家の経営。佐賀玉屋は九州で5番目の百貨店として1933年(昭和8年)12月1日に開店。当時の佐賀市は人口49,000人程度。

『そごう徳島店』跡(2020年8月31日閉店)

1983年10月1日、当時は四国最大規模での開店。丸新やつぼみや閉店後は県内唯一の百貨店として郊外S.C.と競争してきたそごう徳島店。さらに丸亀町商店街の再開発で賑わう高松や大阪方面への消費流出、やがてそごう神戸店との連携もできなくなり2020831日閉店。売場面積22,497㎡。最盛期は444億円だった年間売上高が20192月期は128億円まで減少していた。そごう閉店により山形県に次いで百貨店の無い徳島県となった。2019年4月訪問。

『高知大丸』

百貨店の無かった地元の強い要請を受けて1947年(昭和22年)4月1日開店。1955年11月に現在地へ移転。人口減少が続く高知県で、とでん西武が閉店してから唯一の百貨店として、中心市街地の核店舗として頑張っている高知大丸。売場面積15,547㎡。地域密着型百貨店で生き残りを目指している

『いよてつ高島屋』(愛媛県松山市)

四国最大の都市・松山市(人口51万人)の中心にあるのがいよてつ髙島屋。伊予鉄道の路線が5方向から集中する松山市駅に併設されたターミナル百貨店で1階には改札口や市内電車の電停、バスターミナルが隣接。売り場面積39,000㎡は四国最大。

『高松三越』(香川県高松市)

1931年(昭和6年)3月17日に開店した三越でも歴史ある店舗。20143月に高松天満屋が閉店して、再び香川県で唯一の百貨店となった。昭和20年の高松空襲では百十四銀行本店と三越だけが焼け残った。売り場面積26,948㎡、20243月期売上高223.9億円。百貨店が無くなった徳島県にもセレクトショップを開店するなどニーズの取り込みを図り、黒字決算で頑張っている百貨店。2014313日撮影。

『一畑百貨店』(2024年1月14日閉店・島根県松江市)

かつては馴染みの包装紙や紙袋で三越提携だとすぐわかった一畑百貨店。1958年(昭和33年)10月1日県庁近くの殿町で創業、1998年に現在地へ移転。松江店単独売上108億円をピークに20233月期売上は43億円。当期利益も赤字続きで満身創痍の状況のなか閉店を発表。地元テレビニュースでは45階に新テナント誘致に動くも商圏が狭いという理由で断られたとか。そして島根県は、山形県、徳島県に次いで3番目の百貨店空白県になった。

『丸由百貨店』…創業時の店名復活(鳥取県鳥取市)

「鳥取らしく、わたしらしく、OYOUらしく」、「焦らず、まっすぐ、かわります」を合言葉に、日の丸グループとともに地域経済への貢献を目指してコミュニティ施設を備えた複合機能型百貨店として、1937年創業時の店名「丸由百貨店」で再スタート。5階&屋上のユニークな売場「トットリプレイス」や、昨年9月には米子に次いで県内2番目の天満屋フランチャイズ店の「ロフト」を開店。天満屋との連携も視野に入れた地方百貨店の経営モデル構築を目指している。

『福屋』(八丁堀本店、広島駅前店)

1929年(昭和4年)広島県初の百貨店として開店。八丁堀本店は世界で唯一の被爆建造物。店頭に掲げられている銘板が歴史を物語っている。広島駅前店は南口再開発ビルの南館に1999年(平成11年)4月20日開店。2店体制ながら広島そごうに大差をつけて広島を代表する百貨店である。八丁堀本店の売場面積30,520㎡。広島駅前店の売場面積22,000㎡。広島駅前店とともに更なるラグジュアリー化を進める地域一番店。

『天満屋岡山本店』

1829年(文政12年)西大寺で小間物店を創業。1925年(大正14年)岡山に移って百貨店を開業。岡山県初のエレベーター設置や全国で初めて百貨店併設のバスターミナル開設など 歴史に名を残している老舗。岡山駅から路面電車100円で行ける中心繁華街にある中国四国地方の百貨店の雄。売場面積33,875㎡。倉敷店と津山店を分店化し、合わせた売場面積64,179㎡。2029年の創業200年に向けて、地元酒造会社と共同で限定国産ウィスキーの開発製造を始めた。202011月撮影。

『ヤマトヤシキ姫路店』(2018年2月閉店・兵庫県姫路市)

ヤマトヤシキ百貨店の創業は、1906年(明治39年)4月に洋品店『米田まけん堂』を姫路市内に開店したのが始まり。戦後にヤマトヤシキ洋裁学校をテナント誘致したことから現在の屋号が使われた。そして、1951年にヤマトヤシキ百貨店として開業。姫路の顔として親しまれ1997年には年商220億円を売り上げる地域一番店だったが20182月閉店。そごう店舗を引き継いだ加古川店にその名前を残している。最近50㎡の小型店ながら姫路に再出店を果たし、贈答品等で市民が利用している。画像は2015年10月撮影。

『近鉄百貨店和歌山店』

紀州徳川家の城下町・和歌山には百貨店が4店存在した時代もあったが、今や近鉄百貨店が唯一の生き残り。1960年(昭和35年)4月に開業していた近鉄ストアを1963年4月に業態転換して百貨店化。1987年4月24日に現在のターミナルビルに移転開業して大型化。20242月期売上高60.6億円(新会計基準)。売場の一部を集約化させて売場面積32,400 28,500㎡に減少。和歌山市の中心街回帰の都市計画に連携して活性化の一翼を担うべく「地域共創型百貨店」を目指している。ここには関西唯一となった回転するお菓子売場が現存。20242月訪問。

『近鉄百貨店奈良店』

奈良の都の東大寺には大仏様が、西大寺には近鉄奈良店があるのが奈良盆地。1972年(昭和47年)3月14日開店。県内の近鉄3店の百貨店機能を奈良店に集中させて頑張っている。改装された地下食品売り場は多くの人で賑わっている。売場面積30,290㎡。20242月期売上82.6億円(新会計基準)。イオンと同居しながら地域共創型百貨店を目指す。

『大丸京都店』

現在地に1912年(明治45年)デパート形式で京都大丸を開店。店舗は心斎橋店と同じくヴォーリズ設計で建てられた。以来この地で現在に至る。最近は京都にこだわって地元色を鮮明にした差別化戦略を進める大丸京都店。50年ぶりにリニューアルしたレストラン街も半分以上が京都に縁のある店に。百貨店のファミレスがなくなるのは時代の流れでしょうか。売場面積50,830㎡。20242月期売上高705.3億円(前年比+14.6%)。一番店の高島屋がS.C.をオープンさせたのは脅威であると同時に集客を取り込むチャンスでもあるようです。外観は2019年訪問時撮影。20242月訪問。

『近鉄百貨店草津店』(滋賀県草津市)

近鉄草津店は、滋賀県最大の百貨店として1997年(平成9年)9月5日に開店。駅に隣接したベッドタウンの百貨店として賑わっている。めずらしく地下売り場のない構造で、駅からデッキで続く2階がメインフロア、1階が『デパ地下』の役割をしている。売場面積23,106㎡。20242月期売上高40.8億円(新会計基準・前年比+2.5%)。大津西武閉店後は滋賀県唯一の百貨店。

2024-05-26

『西武福井店』(旧だるま屋)

前身の「だるま屋」が開店したのは1928年(昭和3年)で、創業者の坪川信一氏の表情がだるまに似ていたことから屋号が決まったという。福井城百間堀のお堀端にあった県庁跡にデパートができた国内唯一の事例。昭和18年の類焼、昭和20年の空襲、昭和23年の地震と、3度店舗が全焼するという苦難を乗り越え、昭和55年には西武と提携、創業の地で現在も営業中。

北陸と金沢の地域一番店『香林坊大和』

北陸の地域一番店が大和香林坊店。始まりは1923年(大正12年)10月15日、金沢片町に宮市百貨店を創業から。1943年には屋号を大和とし、1986年(昭和61年)9月香林坊アトリオへ移転開業、2023年に創業100周年を迎えた。売場面積29,283㎡。70,000㎡を超えるイオンモール白山と競合するなかで2期連続増収と健闘。地元に支えられて頑張っている百貨店。アトリオ4階までの吹き抜けや店舗周辺には高級ブランドの路面店も増え、香林坊周辺がおしゃれに磨きをかける。

コンパクトシティ富山の中心『富山大和』

1932年(昭和7年)宮市大丸富山店として開店。当時、金沢本店を上回る売上を記録して1934年には新宿伊勢丹をモデルに店舗を増築したのが2007年まで営業していた西町の旧店舗。2007年再開発で誕生した総曲輪フェリオの核店舗として現在地に移転開業。2009年には富山地鉄軌道線の循環線(LRT)が開通して富山駅や周辺からのアクセス利便性が大幅にアップした。

名門百貨店・丸物の系譜を守る『松菱』(三重県津市)

1936年(昭和11年)5月1日、津市大門町に県内初の大型百貨店として大門百貨店を開業。1955年(昭和30年)10月1日から屋号を松菱とし、1963年現在地に移転した。城下町・津の古くからの繁華街であり城の外堀にあたる岩田川と伊勢街道に隣接して建っているので住所も東丸之内。浜松松菱の倒産時には屋号が同じであることで苦戦を強いられた経験を持つ。コロナ禍の影響で大幅な売り上げ減となるも、地域の固定客から愛されて前年比9割程度まで売上を回復。建物は津の老舗紙問屋・ミフジ(安永2年創業)が所有している。

『岐阜高島屋』跡 (2024年7月31日閉店)

当初は西武出店の話もあったなかで、ヤナゲンと高島屋の共同出店で決まり、さらに高島屋単独に変わり1977年開店。今日に至るまで、柳ケ瀬商店街の衰退、半径10キロ圏内に4か所もできた郊外型SCとの競争、近鉄の閉店、2005年の名鉄岐阜市内線(路面電車)廃止によるアクセス悪化、閉店のうわさなど、多くの試練を乗り越えて頑張ってきた岐阜県唯一の百貨店だった。

『名鉄百貨店一宮店』(2024年1月閉店)

「名鉄丸栄」時代から地域で親しまれ、2000年11月3日から現店舗で名鉄百貨店一宮店として営業してきた。売場面積17,573㎡。20223月期売上19億円。1階には名鉄百貨店が発祥の「回転するお菓子の量り売り(スイーツプラザ)」も20241月の閉店により愛知県から消失。すでに石川県金沢市の「金沢エムザ」もグループ外となっており百貨店としては本店のみに。最後の訪問は好天に恵まれ7階きしめん亭で記念の食事。20236月訪問撮影。

浜松『遠鉄百貨店』

政令指定都市・浜松市で唯一の百貨店となった遠鉄百貨店。開店は1988年(昭和63年)11月3日。売場面積35,600㎡。厳しいと言われる地方百貨店の中にあって20232月期売上292億円で増収増益を達成。大河ドラマの影響もあってか地下の土産品コーナーや餃子売場がとても賑わっていました。浜松駅構内の大型売店と比較してもはるかに充実していて観光客にも優しい品揃えです。特に遠鉄オリジナル手作り浜松餃子はお薦め。

2024-05-25

唯一 村にある百貨店『井上アイシティ21』(長野県)

2000年、JR松本駅から南西に10㎞、車で25分、東筑摩郡山形村に郊外型SCの核テナントとして開店。日本で唯一、村にある百貨店協会加盟店。フロアガイドの鳥瞰図を見ると、2000台収容の広い駐車場にはヘリポートも完備、3階建部分の百貨店と2階建の専門店街を中央の吹き抜けモールでつないでいる構造がわかる。店内は贅沢に空間を使って広々としている。また、駐車場まで屋根付の点字ブロック完備や全館禁煙など、当初からハートビル法適用SCとして人にやさしく作られているのも特徴。百貨店部分の売場面積13,100㎡。

『そごう横浜店』

1985年9月30日開店のそごう横浜店。全国百貨店店舗別ランキングでは常にベスト20に名を連ねる。みなとみらい21の開発を追い風に頑張るもグループ自体が売却され今後が不透明。売場面積85,836㎡。男性用化粧品売り場が広いことで有名。20223月訪問撮影。

日本を代表する百貨店『三越日本橋本店』

1673年に創業350年を超えた三越日本橋本店。訪問時には記念の買い物をしてから屋上に出て三囲(みめぐり)神社参拝。許可を得て室町口に設置してある看板や本館中央ホールの天女像を撮影。2023年が350周年だったので、日本の百貨店の嚆矢である本館をじっくり見学。売場面積62,318㎡。20233月期売上高1384億円(前年比+20.9%)。202391日訪問撮影。

『丸広百貨店川越本店』(埼玉県川越市)

かつては西のトキハ、東の丸広と言われた地方百貨店の東の雄「丸広百貨店」の本店。現在地での開店は1964年(昭和31年)10月8日。当時から広い駐車場を完備した百貨店だった。地方百貨店苦難の時代に遭遇して売上減少で営業改革を断行。さらに激しい競争とコロナ禍に遭遇しながらも20232月期は2年連続で黒字化達成。今回訪問時も耐震化工事で売場が3割減少するなかで、別館にできた新しいレストラン街の好調などで来店客も増加。着々と進む耐震工事後の全館リモデルオープンが楽しみ。

『東武宇都宮百貨店宇都宮本店』


1959年(昭和34年)11月28日。東武鉄道のステーションデパートとして開店。都宮市唯一の百貨店として生き残った。売場面積32,633㎡。20222月期売上は前年比+8.8%、215.4億円。追い風となるのは宇都宮市が進めるLRT計画。2023年には芳賀町からJR宇都宮駅東口までの15キロが開通して予想を超える利用者で活況。さらに2030年代には西口から県教育会館まで延伸が決まり、東武のある中心市街地への回遊性が大いに期待できます。売上には栃木市役所店を含む。

2024-05-24

茨城県唯一の百貨店『京成』

ルーツは1908年(明治41年)5月に常陸太田で創業した志満津呉服店。1949年には水戸に志満津百貨店を開業。1975年からは水戸京成百貨店に屋号を変更。2006年から現店舗に移転し、今では県内唯一の百貨店である。コロナ禍後も前年を上回る売上を計上、銀座のアンテナショップも継続運営を確保。

福島市『中合』(2020年8月31日閉店)

福島市で唯一の百貨店として生き残っていた中合。ルーツは三方よしの近江商人が1874年(明治7年)に創業した中村呉服店。1938年(昭和13年)に百貨店化。1973年には駅前移転して新築開店。しかし業績不調になり1978年にダイエーグループ傘下となるも、グループ店を次々と整理して最後に残った福島店も2020年8月31日閉店。福島市は百貨店の無い県庁所在地都市となりました。

山形市の老舗『大沼百貨店』跡 (2020年1月閉店)

1700年創業の日本屈指の老舗百貨店だった大沼。大型店激戦地で競争を勝ち抜きながら、20201月に倒産閉店して山形県から百貨店が無くなってしまいました。あれから4年、建物は現存するも取り壊しを待っている状態。少し前まで大勢の買い物客で賑わった玄関の壁面には再開発プロジェクトの完成予想図が描かれていました。かつては置賜地区の米沢店から庄内地区の酒田店まで山形県を網羅していた大沼百貨店320年の歴史に思いをはせながら20243月訪問。

『仙台三越』

 開店は1933年(昭和8年)。空襲での全焼や東日本大震災で被災しながらも市民への商品供給をいち早く復活させ、仙台の繁華街一番町通りの核として藤崎とともに存在。売場面積31,059㎡、2023年3月期売上高270億円。

盛岡市唯一の百貨店『川徳』

 盛岡城跡公園からほど近い繁華街にあるのが盛岡市唯一の百貨店『川徳』。大型S.C.のイオンモールやコロナ禍の影響を受け苦戦。岩手大学近くの中型店舗「アネックスカワトク(売場面積10,334㎡)」とともに再建計画をスタート。敷地内には、西宮神社から分社してきた恵比寿神社があり川徳のこれからを見守っています。売場面積28,115㎡、20232月期売上高169億円。

『さくら野百貨店青森本店』

県都青森市で最も老舗なのが旧名『カネ長武田百貨店』である現さくら野百貨店。青森市の地域一番店として、最大の繁華街新町通りの核となっています。写真をよく見ると現在も立て看板の一番上に、カネ長武田の商号『カネ長』のマークをつけてあります。売場面積17,249㎡。

北海道の地域一番店『大丸札幌店』

2003年(平成15年)3月6日札幌駅JRタワーに開店。売場面積45,000㎡。2010年からは三越丸井今井を抜いて地域一番店となった。2023年2月期売上高620億円。今や札幌を代表する大丸札幌店。

2024-05-23

今も現役・デパ地下の回るお菓子売り場

 かつてどこのデパートにもあったお菓子の量り売り。子供の頃、回る回転台を見ながら好きなお菓子を選ぶのが楽しくてワクワクしました。都会のデパートではすっかり無くなるも、地方百貨店に行くとときどき出会うことがあります。

日本百貨店協会加盟のスーパー『タカヤナギ』(秋田県大仙市)

 秋田県大仙市(旧大曲市)にある地域密着のスーパーのような百貨店がタカヤナギ。れっきとした日本百貨店協会加盟店で百貨店共通商品券も使える。外商部もあり、基幹店の「イーストモール」は百貨店方式の対面販売をしていた。ホームページを見ると創業は明治43年。2010年には創業100年を迎えた。1978年に大曲駅前に5階建延床面積5,000㎡の規模の本格的百貨店を開業していた経緯がある。2018年6月訪問。

大館 日本最古の歴史を持つ『正札竹村』(2001年7月閉店)

大館市にあった百貨店「正札竹村」は、確認できる記録上日本最古の歴史をもつ老舗で信長の時代前後から行商をしていた近江商人の竹村家が始まりと言われている。江戸時代初期に大館城下に住み着き1853年(嘉永6年)竹村呉服店を創業。1968年(昭和43年)6月1日株式会社化して百貨店を開業。その後周辺の大型店競争が激しくなり業績が悪化。2001年(平成13年)7月2日閉店倒産。事実はどうであれ、そのロマンあふれる歴史の正札竹村は今は無く、かろうじて建物が残っていたので写真に収めることができました。

『西武秋田店』

木内が日本百貨店協会を退会したため、秋田市で唯一の百貨店となった西武秋田店。ルーツは嘉永3年(1850年)に本間氏が創業した小間物店「本間屋」。1956年から秋田市大町に本金デパート開業。1984年駅前に移転し「ほんきん西武」となる。2005年から西武百貨店直轄となり現在に至る。そごう・西武グループのM&Aで投資ファンド所有となり今後が気になります。

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