全国の百貨店(デパート)を直接訪ね歩き、撮影し記録に残します。そして時々旅の情報も紹介します。

2024-06-30

『山交百貨店(ヨドバシ甲府)』跡 (2019年9月閉店)

1963年国際興業が買収した甲府松菱を駅前に移転開業させたのが山交百貨店(日本百貨店協会非加盟)。1989年に現ビルを竣工。甲府3百貨店(岡島、山交、中込西武)時代の1店になる。

2024-06-29

『松林軒デパート(甲府松菱)』跡 (1963年閉店)

府市に県内初の百貨店として1937年(昭和12年)に開店。地上6階建ての本格的なデパートで、翌年に開店した岡島百貨店とともに甲府のランドマークに。1945年の空襲で全焼し、浜松市の松菱の支援を受けて1954年(昭和29年)に甲府松菱として百貨店を再開。その後国際興業に買収され1963年(昭和38年)に山交百貨店に名称変更、駅前に移転開業。

2024-06-21

『十字屋千葉店』跡 (1986年閉店)

1951年(昭和26年)に出店していた店舗を1967年(昭和42年)百貨店化。その後、千葉の5大百貨店の一つとなる。1986年(昭和61年)閉店し業態転換でディスカウント店、メディア専門店と変わり19968月閉店。

大阪市 『高島屋資料館』 

2020年リニューアルオープンした高島屋資料館を訪ねました。資料館がある高島屋東別館は1923年(大正12年)松坂屋大阪店として建築され、1937年(昭和12年)現在の姿になり、1968年から高島屋東別館となる。アール・デコ調の装飾や11連アーチのアーケードや階段まわりなど、百貨店建築としての魅力が多く、2021年国の重要文化財に指定。

『三越大阪店』跡 (2005年5月5日閉店)

大阪メトロ北浜駅を降りると「ザ・北浜プラザ」に着きます。ここは1691年から三越大阪店があった「船場」と呼ばれた地域。大阪店の開店は1907年(明治40年)。閉店は20055月。実に315年同じ地域に店を構えていたことになります。阪神淡路大震災では建物被害を受けていたようです。

『松坂屋大阪店』跡 (2004年5月5日閉店)

現在は、京阪天満橋駅の京阪シティモール。1966101日、現在高島屋東別館となっている旧店舗から松坂屋が移転して出店、20045月閉店。売場面積32,977㎡。19972月期売上高369.6億円。大阪城や府庁が近く、1999年に一度だけ訪ねたことがある百貨店でした。20242月訪問。 

兵庫県川西市 『川西阪急』 

阪急川西能勢口駅に近い複合型商業施設「アステ川西」の核店舗として19894月に開店。19973月期には214億円を売り上げるまで成長。売場面積15,521㎡。20242月期売上高128億円(決算公開データより)。

『四条河原町阪急』跡 (2010年8月22日閉店)

開店は19761015日。最盛期には171億円あった売上高が、20103月期45.7億円まで減少(百貨店調査年鑑)して2010822日閉店。閉店時の売場面積9,366㎡。現在は京都河原町ガーデンとなっている。20242月訪問撮影。

2024-06-20

『京都高島屋S.C.』 京都市の地域一番店

202310月に新館T8を加えて売場面積約65,000㎡の京都S.C.をオープンさせた高島屋京都店。圧倒的な地域一番店を目指して20242月期売上高972.7億円から次年度1,000億円越えは確実な勢いです。

大阪府守口市 『京阪百貨店守口店』 

京阪電車「守口市駅」に隣接して1985年(昭和60年)1012日開店した郊外型ターミナル百貨店。

20234月に巨大な三井アウトレットパーク大阪門真・ららぽーと門真・コストコが開店して大きな脅威と思われたが、これまでの手堅い地域密着戦略で売上低下を一時的なものに留めて、3年連続で最終黒字を維持。売場面積26,829㎡。20242月訪問撮影。

京都市 『藤井大丸』 

創業は1870年(明治3年)。1935年(昭和10年)に百貨店化。1972年(昭和47年)マクドナルド関西1号店が1階にオープンしたことで有名です。

高島屋、大丸という巨人が隣接している環境でも独特の経営戦略で存在感を持っています。高級ブランドはないけれど他店と違うハイセンスで感性豊かな若者に人気のセレクトショップが数多く出店しています。コロナ禍で大きな減収を強いられるも2期黒字を堅持。路面店の御旅店を持つ。売場面積16,367㎡。20242月訪問撮影。

2024-06-19

【旅の情報】各地の神社に残る百貨店の名前

全国各地を旅するときは、現地を訪ねることができた感謝の気持ちと旅の安全を願って、その地域の一ノ宮や由緒ある神社に参拝しています。参拝が済んだら是非境内や周囲をじっくり歩いてみましょう。多くの百貨店の屋上に神社が祀られているように、神社の寄付者銘板や石造り玉垣などに地元の百貨店の名前が刻まれていることがあります。そこには懐かしい名前があったりして、百貨店がその街の中心的役割を担っていたことがわかります。

千葉市『田畑百貨店』跡 (1976年百貨店閉店)

1947年創業の古着屋田畑商店が19634月百貨店化させて開店。奈良屋、扇屋とともに地元の三大百貨店に成長。しかし、19715月に発生した火災で店舗が全焼し社長が犠牲者となり経営悪化、西武傘下となるも回復せず1976年百貨店を閉店して千葉パルコとなる。

千葉市『奈良屋』跡 (1972年10月百貨店閉店)

1743年(寛保3年)京都で創業した奈良屋が1930年(昭和5年)百貨店としての奈良屋を千葉で開業。1965年(昭和40年)には地域一番店として繁盛。1972年千葉そごうの駅前進出に対抗して既存店を閉じて三越と合弁でニューナラヤをそごう隣に開店させました。1984年からは名称を三越に改称、2017320日閉店。

跡地は現在再開発ビル建設中。奈良屋は三越に営業権を譲渡したことで百貨店業を廃業するもその後も地元の実業家として活躍しました。20246月訪問。 創業家杉本家は現在も京都で本家を管理しており本ブログの番外編記事参照。

『千葉扇屋百貨店』跡 (1976年百貨店閉店)

ルーツは、1933年(昭和8年)創業の扇屋モスリン店(洋服店)。1959年(昭和34年)百貨店を開店。ライバルの奈良屋とは通りを挟んで激しい競争を繰り広げていました。昭和47年には店頭にマクドナルド千葉市1号店がオープン。昭和51年合併により扇屋ジャスコとなり百貨店から業態変更、1992年(平成4年)にはこの店舗を閉鎖。扇屋は現在のイオングループに発展しています。建物は再開発され、現在は千葉市の複合ビル『きぼーる』になっています。古い写真は千葉三越で購入したポストカードより昭和35年の扇屋本店。20246月訪問撮影。

2024-06-12

『JR京都伊勢丹』

19979月開店、京都では最も後発の百貨店ながら地域3番店。売場面積47,883㎡。20243月期売上高695.5億円(旧会計基準)。観光客の利用も多く、平日5万人、土休日10万人とテーマパーク並みの入店客数を誇る便利なターミナルデパート。店内の長―いエスカレーターは有名です。20242月訪問撮影。

『近鉄百貨店京都店』跡 (2007年2月28日閉店)

ルーツは1920年(大正9年)京都物産館として開業。1931年(昭和6年)「丸物」に商号変更。長く丸物本店として存在してきた。1977年(昭和52年)京都近鉄百貨店に商号変更。2000年には百貨店を閉じて複合施設「近鉄プラッツ」に業態変更するも20072月末をもって閉店。建物も解体新築され、2010年からヨドバシカメラ・マルチメディア京都店となる。

和歌山市『丸正百貨店』跡 (2001年2月26日閉店)

1891年創業、1932年(昭和7年)からは和歌山を代表する老舗百貨店だった丸正。通りには路面電車の電停があり近くのぶらくり丁商店街とともに大変な賑わいだったようです。売場面積18,776㎡、店舗拡大した1987年の売上高144億円(百貨店調査年鑑より)。尾崎、高野口、岩出に支店があったそうです。残念ながら20012月に倒産閉店。

『大丸和歌山店』跡(1998年12月閉店)

大丸心斎橋店の分店として1971年10月、ぶらくり丁の東側に開店。売場面積4,571㎡、閉店前の1997年2月期売上高30.8億円。1998年12月閉店。現在跡地のビルにはドン・キホーテ和歌山店が営業しています。2024年2月訪問。

2024-06-11

【収益認識に関する旧会計基準と新会計基準】

百貨店などの小売業の委託仕入や消化仕入における仕入価格が50万円の商品を100万円で販売した場合、今までの基準では、100万円がそのまま売上高となるが、「収益認識による会計基準」を適用すると、100万円-50万円=50万円が百貨店売上高となる(専門家ブログより)。2021年から世界基準に合わせて新会計基準で会計や決算を行うようになると発表されていますが、実際に2024年2月~3月期の決算発表を見てみると、各社新旧会計基準が混在しているため、情報公開等で発表していて確認できるデータのみを記録しています。 (管理人より)

高島屋東京店資料室展示品(撮影許可作品)


『そごう東京店(有楽町そごう)』跡(2000年9月閉店)

在はビックカメラとなっている読売開館はかつてそごう首都圏進出1号店。上階にはよみうりホールがあり、イベント開催で訪ねた思い出ある場所。会館への出店が縁で閉店までは巨人の優勝セールもそごうが開催していました。コマーシャルソング「有楽町で逢いましょう」の歌碑は有楽町マリオン前にあります。

『阪急MEN’S東京』数寄屋橋阪急からの系譜

有楽町マリオン本館に1984年有楽町阪急として開店。2011年からは阪急MEN’S東京としてリニューアルオープン。開店が正午からという珍しい営業時間を採用しています。

『三越銀座店』(東京都中央区)

百貨店定番の化粧品売り場が地下にある三越銀座店。1930年(昭和5年)開店。売場面積36,626㎡。20243月期売上高は1,047億円(前年比+274億円)と好調。日本橋三越との差別化で目指すは「ちょっと大きなセレクトショップ」。

『千徳百貨店』熊本初の百貨店跡(熊本市・1955年閉店)

熊本県で最初にできた百貨店「千徳百貨店」の跡地(国道3号線と安政町通りが交わる交差点)を訪ねました。安政橋通りは現在の安政町通り、安政橋は現在の安巳橋。あわせて昭和29年時点の熊本4百貨店の場所を地図に置いてみました。Facebookから看板の写真と説明をシェアさせていただきましたので説明文をご参照下さい。2023年6月訪問。

『熊本COCOSA』(熊本市中央区。旧大洋デパート跡地)

下通アーケード街に面して建つ「COCOSA」は2017年に開設した新しい複合型商業施設。この場所で1976年まで営業していたのが1973年(昭和48年)のデパート大火災までは鶴屋をしのぐ地域一番店だった大洋デパート。建物は2014年に取り壊されるまでダイエー店舗だったそうです。

『サクラマチ・クマモト』(熊本市中央区・旧県民百貨店跡地)

こはかつての熊本県庁跡に、1969年、日本最大のバスターミナルを開設した場所。1973年、この一角に進出したのが岩田屋伊勢丹ショッピングセンター。反対運動のため百貨店化したのは翌年。しかし思うように売上が伸びず、まず伊勢丹が撤退。単独となった岩田屋も撤退し2003年「くまもと阪神」となります。その後、2011年「県民百貨店」と名称変更して営業を続けるも再開発に伴い2015年閉店。

2024-06-10

『佐世保玉屋』1806年創業の老舗

人口25万の佐世保市唯一の百貨店・佐世保玉屋は1806年(文化3年)創業の田中丸商店本家をルーツとする老舗です。分家筋に佐賀玉屋があります。1920年(大正9年)には百貨店を開店させました。大食堂や屋上遊園地もある昭和を感じるデパートでしたが、改正耐震改修促進法に基づいて現店舗は建替え再開発のため取り壊すとの方針で2024年現在少しずつ売り場を整理縮小させています。2018512日訪問撮影。

2024-06-08

大丸店主・下村家の館『大丸ヴィラ』(京都市上京区)

地下鉄の丸太町駅を北へ上がると、イギリス風の洋館があります。駅の出入口もその塀のデザインと合わせています。この洋館は大丸店主の下村家が居宅として昭和7年にヴォーリズ建築事務所の設計、清水組の施工によって建てられました。

千葉・奈良屋のルーツ『杉本家』(京都市下京区)

今はなき千葉市の老舗百貨店・奈良屋のルーツを京都に訪ねました。京都市下京区綾小路通新町西入ル矢田町に1767年から店を構えた杉本家は、他国店持京商人として当初は千葉県佐原に出店したと記録にあります。

『三井越後屋京本店(キョウホンダナ)記念庭園』(京都市中京区)

京都市中京区室町通二条上ル冷泉町に、昭和58年まで三越京都支店だった三井越後屋京本店記念庭園を訪ねました。庭園は非公開ですが門と石碑を見学することができます。三井高利が商人の理想である「江戸店持京商人」(えどたなもちきょうあきんど)を実現させた三井京都発祥の地として保存されています。世界で初めて現金安売り掛値なしでアウトレット商法を発明し、庶民の味方として大躍進してきた三越の歴史に想いをはせるひと時でした。201911月訪問撮影。

『松屋浅草』関東初のターミナルデパート

ビル内に東武鉄道浅草駅がある関東初のターミナルデパートです。1931年(昭和6年)111日開店。2010年から売場面積を減らしてB11F3F3フロアのみで営業中(売場面積19,106㎡から7,404㎡に縮小)。20242月期売上高62.75億円(前年比+17.2%、データは松屋HPより)。20241月28日訪問。

『松屋銀座』東京銀座の老舗百貨店

地下鉄銀座駅から店舗に通じる地下通路には松屋のおしゃれなショウウィンドウが並んでいます。ルーツは1869年横浜で創業した鶴屋呉服店。銀座店の開店は1925年(大正14年)51日。売場面積32,182㎡。20242月期売上高1017.94億円で前年比+35.5%と好調(松屋HPより)。

『西武百貨店富山店』跡(2006年3月31日閉店)

1976年(昭和51年)西友ストア富山店として開店。1981年に西武百貨店に移管され西武富山店となる。売場面積12,470㎡。1993年2月期売上高175億円が2005年2月期67億円まで減少。2006年3月閉店。かつては市内随一の繁華街・西町で大和富山店と競い合った百貨店でした。現在は低層階が商業施設、高層階がマンションとなっています。2024年4月12日訪問。

2024-06-06

『沖縄三越』跡(2014年9月21日閉店)

1957年(昭和32年)大越百貨店として開店。1970年から沖縄三越となり20149月21日閉店。建物は再利用され現在は飲食店街になっています。2009年には、売場面積12,425㎡、売上高80.1億円。閉店直前の20142月期売上高76.7億円。沖縄県公文書館の利用できる画像や過去訪問時の写真を掲載して在りし日の三越を偲びました。バス停は「三越前」が「てんぷす前」に変わり、空港売店はリウボウが引き継いでいます。20231212日訪問撮影。

『沖縄山形屋』跡(1999年8月31日閉店)

山形屋は沖縄県最初の百貨店として1930年(昭和5年)那覇市東町で開店。1955年に国際通りに移転し三越、リウボウとともに沖縄を代表する百貨店の一つでした。閉店は1999831日。現在跡地はホテルJALシティ那覇。国際通りの高台にあったので屋上からの眺望が良かったそうです。19972月期の記録では、売場面積10,575㎡、売上高78.2億円。19769月から何度も買い物で訪問した思い出のデパートです。20231212日訪問撮影。 

『丸山号百貨店』跡…沖縄で2番目にできた百貨店

那覇市歴史博物館の那覇市内史跡・旧跡案内で、国道58号線を一本入った那覇市東町6-20に現地看板が建っています。説明文を要約すると、『当時の沖縄一のメインストリート「大門前通り」に面して、193510月鉄筋コンクリート3階建て(一部4階)の丸山号百貨店が新築開店。百貨店としては山形屋に次ぐ出店で、屋上からの展望と、おしゃれで真新しい百貨店に那覇市民の人気が集まったが、194410.10空襲で半壊した。1950年に琉球軍政官府、さらに立法院が置かれるなど行政庁舎ビルとして使用された。1966年に取り壊され、その後ホテルが建てられた』。現在、博物館が設置した説明看板の前はホテルになっています。20231211日訪問撮影。

函館『棒二森屋』跡(2019年1月閉店)

館駅に降り立つと、正面でいつも迎えてくれたデパート・棒二森屋。7階のレストランは何を食べても美味しい穴場でした。2019131日閉店。

『オーレンス・シティ(Åhlens City)』Stockholm, Swedenにあるデパート

 ストックホルム地下鉄中央駅そばにあるのが、地元に人気のデパート「オーレンス・シティ」。スウェーデン最大のデパートチェーンでノルウェーにも20店舗以上のチェーン店があり、創業は1899年で125年の歴史があります。4階には無印良品の旗艦店があり便利なうえに、スウェーデンらしくキッズスペースやお洒落なカフェが一緒になっていてFIKA(フィーカ・喫茶タイムのこと)ができます。地下には広い食料品売り場もあり、ホテルの食事に飽きたら買い出しに便利。1回目は現地の知人の案内で、2回目は初めて一人でホテルから地下鉄に乗って買い物体験した思い出のデパートです。電車は地下鉄ブルーラインです。(20145月出張時訪問撮影)

2014年5月撮影

2014年5月撮影

最寄駅の地下鉄ブルーライン


『井筒屋山口店』…山口県初の百貨店『ちまきや』を引き継ぐ

井筒屋山口店のルーツは1855年創業の八木呉服店。以前の名称『ちまきや』の商号は、毛利の殿さまから与えられた由緒ある名前でした。昭和5年には山口県で最初のデパートとなりました。残念ながら2008年(平成20年)8月に閉店し、現在の井筒屋に引き継ぎました。

2024-06-05

『大井百貨店』跡(昭和19年頃 呉服洋装店化・福井県越前市)

1931年(昭和6年)福井県で2番目の百貨店として旧武生町蓬莱町に大井呉服店によって開店。鉄筋コンクリート3階建てのルネサンス建築を基本にした「近世復興式」と呼ばれる欧風建築で、当時としては群を抜く耐震性も備えた地方都市では大変貴重な建物。建設にあたり日本橋三越をモデルにしたと言われている。

『金沢エムザ』(金沢丸越百貨店)

2021年からディスカウントスーパー・ヒーロー傘下で再出発した武蔵が辻の百貨店が金沢エムザ。専門店導入等で大和香林坊店との棲み分けを意識している。店内には2014年オープンの金沢土産のセレクトショップ「黒門小路」があり観光客に人気。20223月期売上94.1億円で直近のデータは不明。

番外編『平和堂・アルプラザ敦賀』(福井県敦賀市)

平和堂は百貨店との縁が深く、創業時は彦根市のマルビシ百貨店のテナントから出発。近年は大垣にあった百貨店「ヤナゲン」を傘下にしている。

『大和富山店・高岡サテライトショップ』(大和高岡店は2019年8月25日閉店)

前身は1937年(昭和12年)鉄筋コンクリート4階建ての本格的百貨店として開店した丸越高岡店。1943年合併により大和高岡店となる。1994年中心市街地再開発でできた複合型施設「御旅屋セリオ」の核店舗として移転オープン。売場面積16,000㎡、最盛期は131億円を売り上げる黒字店でしたが20192月期売上高38億円まで減少、3期連続赤字となり20198月閉店。

2024-06-04

『新宿高島屋』(東京都新宿区)

1996年(平成8年)10月4日開店。コロナ禍でも店舗の改装を進めてきた新宿高島屋。百貨店の閉店が続いた渋谷や立川からの顧客獲得や日本橋店との差別化を図る攻めの戦略なのでしょうか。例えば、ゴルフ売場は関東の百貨店では最大級の規模になったそうです。

2024-06-03

『松坂屋豊田店』(2021年9月30日閉店)

 1988年名鉄豊田市駅前に、豊田そごうが「世界の豊田に世界の百貨店」、というキャッチフレーズで開店するも2000年閉店。豊田市の誘致でツインビルの片方に2001年松坂屋が出店。売場面積18,220㎡。20172月期売上は約80億円。週末の訪問でしたが来店客が少なく静かでした。

『まるいいとう』跡(1986年閉店・北見市)

北見市はオホーツク地区の中心都市で人口約10万。最初に出来たのが「まるいいとう百貨店」。創業は大正3年で札幌の丸井今井から独立して開業。百貨店となったのは1956年(昭和31年)で翌年には日本百貨店協会にも加盟していました。しかし、きたみ東急が進出して業績が悪化、1986年閉店。現在跡地は北見信用金庫本店になっています。駅前から中央大通りを挟んで向かい側(現在ルートイン系ホテル)には金市舘北見店もあったそうです。2019106日訪問。 

『きたみ東急百貨店』跡(2007年10月閉店)

 きたみ東急百貨店は1982年開店、200710月閉店。最盛期には売上高145億円を記録。現在は第三セクター運営の「コミュニティプラザ・パラボ」として親しまれています。ここは、地域が一丸となって百貨店閉店後の再構築に成功した希少な事例。2021年からは市役所新庁舎とスカイウォークでつながっています。駅・バスターミナル・商業ビル・市役所がワンストップで利用できる便利さがここでは実現しています。2019106日訪問。

2024-06-02

函館唯一の百貨店『函館丸井今井』

いよいよ再開発の動きが始まった函館丸井今井。協会非加盟のテーオーデパートが2023年閉店し函館では唯一の百貨店となりました。再開発後の出店がどうなるかは今のところ未発表。長く札幌本店より数字が良かった理由は、地元のニーズに的確に対応してきた成果。地域のためにも、例えば甲府の岡島のような規模であっても再開発ビルで存在し続けて欲しいものです。

『宇部井筒屋』(2018年12月31日閉店・山口県宇部市)

宇部井筒屋は、もとは「ちまきや」宇部店で1933年開店と歴史も古く黒字経営ながら建物老朽化を理由に20181231日閉店。売場面積7,683㎡。2017年3月12日訪問撮影。

2024-06-01

ストックホルム『NKデパート』(スウェーデン)

出張で訪ねたスウェーデン。休日に地下鉄に乗ってストックホルム中央駅から徒歩10分、王立公園の近くにある『NK』デパートを訪ねました。現地では『エヌコー』と呼び、日本でいう三越や髙島屋に匹敵する北欧最大の老舗百貨店。設立はヨーテボリ店が1864年、ストックホルム店は1902年と古く、百貨店として120年以上の歴史を持つ。スウェーデン王室御用達で、とてもおしゃれでハイセンスな商品が数多く、見ているだけでも楽しい店内です。日本では見られない珍しいフロアガイド看板を見てここは北欧なんだ!と再認識しました。屋上の「NK」看板も回転することで大変有名です。いったん廃止された路面電車が復活されデパートの前を頻繁に運転していました。朝早く行くと、北欧各国の国旗掲揚を始めるシーンを見ることができます。そしてストックホルムに行ったら、センスの良いお土産探しなら是非ここを訪ねることをお薦めします。2回目の訪問でしたが、大好きなダイム(菓子)を買いました。201454日訪問撮影。

Standing in the heart of the Swedish capital. it brings together the best the world has to offer. It is in the sum of all of these parts that explains why NK was and continues to be "The great Department Store" for generations of Stockholmers(including members of the Royal Family).

2014年5月4日撮影

2014年5月4日撮影

一度廃止されたトラムが復活。大変混雑してました。


NKデパートにも由緒ある銘板がありました。
「ノーディスカ・コンパニー」という社名がわかります。




北欧らしいフロアガイド表示です。
1階は0階(GROUND FLOOR)
2階は1階(FIRST FLOOR)
地下1階はー1階(LOWER GROUND FLOOR)





中央には大きな吹き抜け

吹き抜けを最上階から撮影

とてもお洒落な店内ディスプレイ

商品のデザインも北欧風

NKのショッピングバッグ

マルカンビル大食堂…旧『マルカン百貨店』(岩手県花巻市)

マルカン百貨店時代の訪問は間に合いませんでしたが、念願かなってマルカンビル大食堂で、最高に美味いマルカンラーメンと巨大ソフトクリームを食すことができました。

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