そごう川口店は川口駅再開発ビルのキーテナントとして1991年(平成3年)10月16日開店。そごうとして30店目の記念出店だった。そごう本体が経営破綻した時は比較的好調だったが、2020年には売上高が最盛期の半分となり2021年2月28日閉店。売場面積39,149㎡の駅前巨大ビルが空き店舗となり、住みやすさで人気の都市・川口市から百貨店が消失。ビルはそのまま残っている。2015年12月訪問。
2024-07-31
『トキハ別府店』 (別名:ゆのまち百貨店)
駅前再開発ビルの核店舗として1988年(昭和63年)10月8日、売場面積約30,000㎡で開店。10年後の1998年ビル管理会社が経営破綻しトキハが買収。テナント化によって黒字転換を図った。また、ゆのまち百貨店として再構築し来店客も売上げも順調に伸びた矢先、コロナ禍で観光客が激減して大きな影響を受けた。しかし現在も、別府最大の商業施設であり、全国各地へのバスが発着するターミナルデパートでもある。2021年3月訪問。
『別府近鉄百貨店』跡 (1994年8月31日閉店)
JR別府駅からトキハ別府店に向かう駅前通りの一等地が駐車場になっていて、ここが近鉄百貨店別府店の跡地。1958年(昭和33年)に中村百貨店として開店し、1961年7月からは別府近鉄百貨店になるも1983年頃から赤字となる。さらに1988年進出の売場面積3万㎡のトキワ別府店に押されて1994年(平成6年)8月31日閉店。跡地は再開発されて2023年10月からホテルとなっている。2021年3月訪問。
大分『一丸デパート』跡 (県下初の百貨店)
1692年(元禄5年)創業の一丸呉服店が、県下初の百貨店として1934年(昭和9年)10月に大分市竹町に開店させたのが「一丸デパート」。4階建2600㎡でエレベーターを備えた本格的なものだった。トキハとの合併話を断って昭和18年9月に廃業し空襲で建物も焼失。戦後は洋品店として「一丸」の暖簾を守っている。大分市のガレリア竹町アーケードには「いちまる」と「モードスクエア一丸」がかつて百貨店だった雰囲気を漂わせる立派な店構えで現在も営業中。2021年3月訪問。
札幌『丸ヨ池内』 IKEUCHI GATE館の新たなビル完成
初代は近江の出身で1893年(明治26年)6月に池内金物店を創業。1965年(昭和40年)4月10日百貨店となる。1968年から丸井今井と資本提携をしていたが1998年に解消。2011年4月1日から札幌アルタ跡をIKEUCHI ZONEとして運営していたが2022年5月29日閉店。2022年10月15日からは完成した新しいビル・IKEUCHI GATEで営業を始めた。全館テナント化しているがれっきとした協会加盟百貨店。2021年5月訪問。新しいビルは未訪問未撮影のため次回更新予定。
札幌『五番舘』跡 (2009年9月30日閉店)
始まりは1899年(明治32年)札幌興農園として創業。1906年(明治39年)には五番舘として北海道初の百貨店を札幌駅前の電車通りに開業。1997年からは札幌西武となり、2009年(平成21年)9月30日閉店まで多くの道産子の思い出のデパートとして存在していた。現在は再開発前の更地になっていて、一部チャレンジショップに活用されている。早くても2029年頃までにヨドバシカメラが進出予定とのこと。2017年5月訪問。
『札幌松坂屋』跡 (1979年2月1日閉店)
かつて治安の悪かったススキノを買い物やビジネスで来る人たちもいる健全な街にしようと再開発の象徴として誘致して竹中工務店との共同出資で1974年(昭和49年)6月8日開店。“札幌に銀座を持ってくる”というキャッチフレーズもあったほど期待されたが残念ながら業績不振で松坂屋としては1979年2月1日、わずか5年で閉店。その後1979年4月「ヨークマツザカヤ」⇒1994年3月「ロビンソン百貨店札幌」
小樽『ニューギンザ百貨店』跡 (1988年7月3日閉店)
始まりは1917年(大正6年)小樽で創業した河野呉服店。1955年(昭和30年)ニューギンザ百貨店となり、大黒屋、丸井今井に次ぐ3番目の百貨店として互いに競い合って成長。1965年には地域一番店になった。その後、急激に業績不振となり、駅前進出に手を挙げるも長崎屋に敗れ、店舗敷地の再開発を契機に1988年(昭和63年)7月3日閉店廃業した。跡地は再開発され1990年から丸井今井小樽店とホテルになるも、2015年もう一度再開発され現在は高齢者施設と病院になっている。2021年5月訪問。
小樽『大国屋』跡 (1993年4月30日閉店)
ルーツは1853年(嘉永6年)富山県で創業した大國屋。1918年(大正7年)に小樽に呉服店を出店。1934年(昭和9年)小樽最初の百貨店を開業。1975年頃までは小樽3百貨店の1店として競い合いながら成長した。1975年小樽駅前に長崎屋が出店してから売上が減少し始め、途中西武百貨店傘下となるも改善なく1993年(平成5年)4月30日閉店。跡地は現在オーセントホテルになっている。2021年5月訪問。
『丸井今井小樽店』跡 (2005年10月23日閉店)
今井呉服店が小樽に支店を出したのは1891年(明治24年)10月。1923年(大正7年)百貨店を開業させた。小樽市とともに発展し昭和50年前後までは百貨店3店が競い合うようになった。その後、大型店進出や郊外巨大SCの進出に対抗し1990年(平成2年)9月新店舗へ移転するも2005年(平成17年)10月23日閉店。跡地は2015年から高齢者施設と病院になっている。2021年5月訪問。
旭川『マルカツデパート』跡 (2001年業態転換)
マルカツデパートは1918年(大正7年)松村呉服店として創業。1936年(昭和11年)に丸勝松村百貨店となり、丸井今井とともに旭川を代表する百貨店になった。その後、西武や郊外SCの進出に押され、2001年(平成13年)からは百貨店を廃しテナントビルとして営業していたが空きスペースが埋まらない等で経営が悪化。買物公園通りでも老朽化が進んだマルカツビルは所有者も度々変わり、2022年(令和4年)10月5日電気料金滞納で電力供給が止められ閉店に追い込まれた。2021年5月訪問。
『丸井今井旭川店』跡 (2009年7月20日閉店)
丸井今井が旭川に呉服店の支店を出したのは1897年(明治30年)10月。1923年(大正12年)から旭川を代表する百貨店となり西武が進出するまでは地域一番店だった。さらに郊外SC等の進出で苦戦が続き、本体の民事再生手続き中の2009年(平成21年)7月20日閉店して112年の歴史に幕を降ろした。2011年からは「フィール旭川」として割と使い勝手の良いショッピングビルになっている。グループとしてはイオンモール旭川店2階に「MIプラザ」として再進出しています。2021年訪問。
『西武百貨店旭川店』跡 (2016年7月20日閉店)
西武旭川店は旭川の3百貨店の中で最も遅く1975年(昭和46年)8月8日西友として開店。1979年9月に開店したams緑屋と合併して1981年(昭和56年)9月1日旭川西武、1998年からは西武百貨店旭川店となる。買物公園通りと駅前に面した好立地で地域一番店になる。影響を受けた丸井今井の閉店で、2009年からは旭川唯一で日本最北の協会加盟百貨店となる。売場面積30,043㎡。しかし、郊外SCや旭川駅隣接のイオン旭川などとの競争に敗れ2016年(平成28年)9月30日閉店。北海道第二の都市から百貨店が消滅。
釧路『丸ト北村』跡 (2000年2月29日閉店)
1906年(明治39年)10月丸ト北村呉服店として創業。1967年(昭和42年)百貨店となる。業績順調の中で競争激化に備えて1975年増床するも1978年3月和議申請して倒産。同年4月に営業再開にこぎつけるも2000年(平成12年)2月29日閉店。建物が長く残っていたが2024年助成を受けてようやく解体予定となった。2016年訪問。
『丸井今井釧路店(旧丸三鶴屋)』跡 (2006年8月閉店)
札幌の丸井今井で修業した両角氏が1906年(明治39年)10月3日釧路で丸三越後屋呉服店を創業。1930年(昭和5年)9月25日から百貨店となった老舗。釧路市産業の地盤沈下や大型店競争による業績悪化で1996年(平成8年)8月31日廃業。同年10月4日丸井今井釧路店となるが2006年(平成18年)8月20日閉店。現在も建物が残っている。2016年訪問。
『鶴丸百貨店・苫小牧』跡 (2002年10月31日閉店)
1921年(大正10年)中島呉服店として創業し、1952年(昭和27年)12月7日から地域唯一の百貨店として「苫小牧で最も老舗の百貨店」をキャッチフレーズに繁盛していた。1995年の丸井今井進出に対抗して、2000年6月8日再開発ビル・ビッグジョイの核店舗として移転出店するも売上減少が続き、2002年(平成14年)10月31日閉店。現在最初の店舗跡地はホテルになり、ビッグジョイ跡地は更地になった。今回は現地を訪ねることできず次回へ。
『丸井今井苫小牧店』跡 (2005年10月23日閉店)
1995年9月、苫小牧駅の東側に隣接して開店。丸井今井としては最も新しい出店だったがわずか10年で2005年10月23日に閉店。跡地は社会福祉法人が建てた高齢者複合施設と観光案内所などの事務所棟が建っている。今回は現地未確認のため次回へ。
『丸井今井室蘭店』跡 (2010年1月20日閉店)
製鉄所で有名な室蘭市には1891年(明治24年)11月から今井呉服店が支店を出し、1981年(昭和56年)から東室蘭の中島町に移転、室蘭市唯一の百貨店となり2010年1月20日閉店するまで118年の歴史を刻んだ。製鉄関係の法人客が多く、丸井今井本体の経営悪化時点でも黒字店だった。東室蘭駅近くの跡地はヤマダ電器テックランドになっている。途中下車できず現地訪問は次回へ。
『西條名寄店』
1947年(昭和22年)10月名寄で西條商店として創業。1973年(昭和48年)7月百貨店法に基づく百貨店登録(西條ホームページより)。1982年9月現在地に移転し旧店舗1階はダイソー、2階3階を本部とした。売場面積13,212㎡で最盛期は年商60億円。当初から協会非加盟の総合スーパー(GMS)だが、地域の百貨店機能を持ち西條百貨店と呼ばれてきた。名寄へのイオン出店で大きく影響を受けたが他店舗の業態転換を図るなどで頑張っている。一時西武グループの共同仕入機構に参加していた。2018年6月に名寄へ行きながら訪問できず次回へ。
『ODAKYU湘南GATE(旧小田急百貨店)』
1974年(昭和49年)5月25日江ノ電百貨店として創業し、1985年(昭和60年)3月2日小田急百貨店藤沢店となる。さらに2019年(平成31年)3月、業態転換し百貨店部分を縮小、『ODAKYU湘南GATE』としてリニューアルオープン。百貨店直営の売場面積3,214㎡。2階には江ノ電藤沢駅、6階には市立図書館や市民ギャラリー、屋上にフットサルコートがあり、地域のコミュニティビルの役割も担っている。2021年6月訪問。
『さいか屋藤沢店』
さいか屋が最初に出店したのは1965年(昭和40年)4月28日。1978年11月22日に市の再開発ビルである現店舗へ拡大移転。1965年の開店当初から業績好調で小田急が業態変更したことで地域唯一の百貨店となった。横須賀店の縮小でさいか屋の実質本店となり、東海道線村岡新駅開業や横浜での大型商業施設オープンなど、これからの環境変化に備えて百貨店らしさの強み強化策に取り組み中。売場面積14,959㎡。同じ北口に建つビッグカメラは1979年までのさいか屋旧店舗。2021年6月訪問。
青森市『松木屋』跡 (2003年4月23日閉店)
松木屋は1921年(大正10年)12月1日青森県で最初の百貨店として開店。空襲で全焼するが戦後1951年に百貨店を復活させ、西武と提携するなど都会の香りを漂わせる高級百貨店として、他店と差別化した戦略で先端ファッションや文化の発信拠点だった。しかし、その後の大型店競争に敗れ2003年(平成15年)4月23日に倒産閉店。跡地は高層マンションになった。画像は青森県立郷土館ニュース参照。2021年6月訪問。
青森市『菊屋百貨店』跡 (1955年7月21日閉店)
銀行頭取で実業家の菊池氏によって1935年(昭和10年)10月1日青森市新町通りに開店。空襲後は最初に営業再開するなど、松木屋とともに新町の核店舗となったが、1955年(昭和30年)7月21日に2階にあった催事場の床が抜け落ちる大事故が発生し多数のけが人を出し、その日をもって閉店した。現在、跡地にはみずほ銀行青森支店が建っています。菊屋画像は青森今昔物語サイトを参照。2021年6月訪問。
『京阪ひらかた店』
1994年(平成6年)10月1日、京阪枚方ステーションモールの核店舗として食料品と無印良品に特化して売場面積3,718㎡で開店。三越、近鉄の両百貨店と競い合いながら生き残った唯一の百貨店ブランド。2021年7月訪問。
『枚方丸物』跡 (2012年2月29日閉店)
丸物最後の新店舗として1975年(昭和50年)4月1日開店。その後丸物から近鉄枚方店となり2012年(平成24年)2月29日閉店。建物は解体再開発され枚方T-SITEとなった。2021年7月訪問。
『三越枚方店』跡 (2005年5月5日閉店)
三越枚方店は1968年(昭和43年)7月13日開店。2005年(平成17年)5月5日三越大阪店と同時に閉店。現在は複合型商業ビルとして使われている。2021年7月訪問。
『プランタン銀座』跡 (2016年12月31日閉店)
かつてダイエーグループの百貨店ブランド「プランタン銀座」が開店したのは1984年(昭和59年)4月27日。複雑な説明を省略すると、ダイエーの経営悪化にともない読売新聞社に売却され2016年(平成28年)12月31日閉店。2017年3月から「マロニエゲート銀座2、3」として営業中。100%株主が読売新聞社グループで、いわば新聞社が経営する百貨店。「銀座1」を除く売場面積33,113㎡。現在は運営会社の違う「銀座1」と一体化して運営しているとのこと。2024年4月訪問。
2024-07-29
『木更津そごう』跡 (2000年7月13日閉店)
1988年(昭和63年)8月、南房総唯一の都市型百貨店として開店した木更津そごう。ルーツは大正2年(1913年)6月創業の地元老舗百貨店サカモト。そごうと合弁し創業者一族の坂本巌氏が副社長となり、当時のライバル十字屋木更津店に対抗し、旧店舗から駅前再開発ビルに木更津そごうとして出店。しかし2000年(平成12年)7月そごう本体の倒産により閉店。売場面積23,148㎡。最盛期は190億円近い売上だった。
『東武船橋店』
開店は1977年(昭和52年)10月7日。当時は南口にあった西武百貨店と競合していた。船橋市は政令指定都市を除くと人口全国トップの64万人で、しかも増加中のため、郊外型SCなどの競合も激しい地域。生き残った東武百貨店はコンパクトで買い回りがしやすいターミナルデパートの便利さが強みで、地元スポーツチームを応援したり農協と組んだり地域密着化を推進、競合する都心百貨店や郊外SCとの差別化を図っている。売場面積36,450㎡。2021年11月訪問。
『十字屋寒河江店』跡 (1994年1月閉店)
寒河江市中心部のショッピングセンターの核店舗として1982年(昭和57年)9月10日開店。途中、ダイエーFCとなり1994年(平成6年)1月16日閉店。十字屋の中型店で売場面積は6,400㎡。現在は美術館も入る寒河江市中心市街地活性化センター「フローラSAGAE」になっている。プレートは十字屋開店当時のままで残っていました。2021年11月訪問。
『錦糸町そごう』跡 (2000年12月25日閉店)
1997年(平成9年)10月22日開店するも、わずか3年後の2000年(平成12年)12月25日閉店した、そごう最後の新規出店が錦糸町そごうだった。売場面積33,957㎡。2022年3月からは三井ショッピングパークグループ「アルカキット錦糸町」として好調な賑わいを見せている。最近話題の「ワークマン女子」が出店、7階の巨大なダイソーと、5階の巨大なアカチャンホンポの店舗は一見の価値あり。百貨店店舗が負の遺産ではなく活用されているのが何よりです。2021年11月訪問。
『さくら野百貨店石巻店』跡 (2008年4月27日閉店)
百貨店の始まりは、1955年(昭和30年)に開店した丸光石巻店。1996年3月にはダックシティ丸光石巻店、石巻ビブレ、その後さくら野百貨店となるも2004年から赤字が続き、2008年(平成20年)4月27日閉店。2億円の寄付とともに石巻市に無償譲渡され、2010年から延べ床面積33,000㎡の立体駐車場を備えた石巻市役所になった。
2024-07-28
『松山三越』
三越が戦後初の新規出店として1946年(昭和21年)10月に開店。ここ十数年苦戦続きで閉店のうわさも出ていたが75周年目の2021年10月にリニューアルオープン。直営売り場を30%に減らし、地元の飲食店やスーパーを誘致、フィットネスジムやホテルも導入するという大胆なリニューアル。
『髙島屋柏店』 (柏高島屋ステーションモール)
本館、新館、ステーションモール館の3館体制の高島屋柏店。そごう開店から23日後の1973年(昭和48年)11月2日開店。ショッピングセンター全体では50,000㎡を超え、高島屋の売場面積は29,207㎡。そごうや近隣の大型店との激戦を勝ち抜いて、千葉県北部では唯一の生き残り百貨店。条件が折り合わず西口再開発準備組合から離脱するも単独で体質強化策を推進中。都心店に比べ若い世代の来店が多く今後も期待です。2021年12月訪問。
『伊勢丹松戸店』跡 (2018年9月30日閉店)
松戸駅近くの小学校跡地の再開発要請を受けた三菱地所が核店舗に伊勢丹を誘致して1974年(昭和49年)4月19日開店。しかし、都心と再開発が先行していた柏市に挟まれた環境で苦戦。伊勢丹の閉店希望に対し松戸市が家賃補助の支援策を議論するも議会で否決され、2018年(平成30年)3月21日に閉店。伊勢丹撤退後は、「キテミテマツド」の名称で複合商業施設として再出発。松戸駅から現地までの通りは以前と変わらない程度の賑わいを保っているようです。2021年12月訪問。
『そごう柏店』跡 (2016年9月30日閉店)
開店は1973年(昭和48年)10月10日。1969年に成立した都市再開発法に基づく全国初の市街地再開発で核店舗として選ばれ、地方百貨店として最大規模(32,593㎡)で全国から視察団が見学に来た。早期に優良店に急成長しその後のそごう出店の資金源になったと言われている。しかし、激しい競争が始まり1990年代から売り上げが減少。そごうが破綻した2000年時点では優良店として残されたが、徐々に収益が悪化し2016年(平成28年)9月30日に閉店。最近になって柏市が中心となってようやく再開発計画が動き出したようです。2021年12月訪問。
2024-07-24
姫路『山陽百貨店』
1952年(昭和27年)9月に開店した山陽姫路駅隣接のターミナルデパート。2021年には山陽電鉄の完全子会社となり、人材の相互交流で競争力の強化を目指している。売場面積27,972㎡。コロナ禍の影響で2021年3月期売上は前年比2割減の160億円。進行する姫路駅前再開発とともに地域唯一の百貨店としてヤマトヤシキ閉店後の役割を担っている。2022年1月訪問。
『加古川ヤマトヤシキ(旧加古川そごう)』
そごうが開店したのは1989年9月15日。そごう本体の経営破綻により2000年12月25日閉店。そのあとを引き継ぎ、2001年(平成13年)3月30日にヤマトヤシキが開店した。2005年には姫路店を上回る売上を計上。ラオックスグループの傘下となり再建を進めるヤマトヤシキ。産・学・官連携の地方百貨店生き残りビジネスモデルに挑戦中。
『あまがさき阪神』 JR尼崎駅前にある小型店
阪神百貨店ながらJR尼崎駅前にあるのが「あまがさき阪神」。駅前にあったモニュメント「梅川の像」でこの地が近松門左衛門に縁があることを知らせている。開店は2009年(平成21年)10月20日。2016年に売場縮小で1階の2,855㎡のみ。本店の強みである食料品を補完するスーパーのような存在。2022年1月訪問。
『大丸芦屋店』 芦屋駅前にある小型百貨店
JR線芦屋駅ビルにあるのが大丸芦屋店。売場面積約4,300㎡の小型店。開店したのは1980年(昭和55年)3月1日で40年以上の歴史を持つ。関西以外の人から見ると「芦屋婦人」御用達の駅直結で便利な百貨店というイメージか。大丸神戸店の分店扱いとなっている。2022年1月訪問。
『千里阪急』
北大阪急行とモノレールが交差する千里中央駅にあるのが千里阪急。開店は1970年(昭和45年)3月11日。阪急百貨店が初めて郊外に出店した百貨店。今日まで手堅い業績を上げてきた。売場面積13,831㎡。2024年3月期売上は142.4億円で売場面積の大きい川西阪急の上を行く。
『神戸阪急(旧そごう神戸店)』
1933年(昭和8年)10月1日に開店し震災前後まで地域一番店だったそごう神戸店が2019年9月に暖簾を降ろし、入れ代わって阪急が開店したのは2019年(令和元年)10月5日。神戸阪急としては二代目の店舗となる。阪急のノウハウで再構築をして神戸らしさで魅力的な売場作りを進めていく方針。売場面積42,361㎡。2022年1月訪問。
『髙島屋横浜店』
横浜高島屋の歴史は相模鉄道とともにあると言っても過言ではない。相鉄社史によると、西口の砂利置き場を買収した相鉄が百貨店の直営か誘致を検討した結果、野澤屋や三越に出店を持ちかけるも断られ、高島屋が「高島屋ストア」を経て、鳥居菊造相鉄社長のもと出店反対運動に遭いながらも1959年(昭和34年)10月1日開店。結果は地元にも好影響を与え、今では売場面積56,403㎡の堂々の地域一番店。相鉄も大手私鉄の仲間入り。全国百貨店店舗別売上高で常にベスト10入りしているドル箱店。2022年2月訪問。
『横浜松坂屋(旧野澤屋)』跡 (2008年10月閉店)
横浜のかつての繁華街「伊勢佐木町」にあった野澤屋は1864年(元治元年)に野澤屋呉服店として創業。1910年(明治43年)11月1日に百貨店を開業。かつては横浜を代表する百貨店だった。1952年(昭和27年)、相模鉄道から横浜駅西口への出店要請を最初に受けながら資金不足を理由に断ってしまう。その結果、松坂屋の支援を受けるも横浜駅周辺の百貨店に客を奪われに経営が悪化、1977年から横浜松坂屋となり2008年(平成20年)10月26日に閉店。
『三越横浜店』跡 (2005年5月5日閉店)
相模鉄道社史によれば、砂利置き場だった横浜駅西口への百貨店誘致で野沢屋に断られ、その次に出店要請した三越にも断られ、結果高島屋に決まったと書かれている。そして西口発展に伴って、ようやく三越も出店したのが1973年11月23日。高島屋から遅れること15年後だった。高島屋、オカダヤに加え東口にそごうが出店して激しい競争のなかで2005年5月5日閉店。現在跡地にはヨドバシカメラが出店している。
『丸井今井札幌本店』
新潟県三条市出身の今井藤七が明治5年(1872年)5月に創成川畔で小間物商・今井商店を創業。廉価で誠実な商いが評判となり成長、1916年(大正5年)札幌で百貨店を開業。北海道の開拓者の日常を支え長く札幌の地域一番店として北海道初のエスカレーター導入や道内に7店舗を持つなど輝かしい歴史を刻んできた。しかし2009年に倒産、そして今は三越伊勢丹グループの傘下で暖簾を繋いでいる。
『札幌三越』
札幌に三越が開店したのは1932年(昭和7年)5月1日。2022年は開店90周年の三越と開店150周年の丸井今井が共同でキャンペーンを展開。地域一番店の大丸札幌店に対峙している。正面玄関の暖簾と創業300年記念で1972年に設置されたライオン像とループ化された札幌市電が玄関前を通過するのが定番の景色。売場面積20,577㎡。開発進む札幌駅前地区に両店がタッグを組んで大通公園地区の魅力発信をしています。2022年4月訪問。
『名鉄百貨店本店』 (名駅再開発延期で営業休止も延期)
阪急の全面的な支援を受けて1954年(昭和29年)12月1日開業。1957年には全館落成、1973年4月28日には巨大なマネキンで有名な「ナナちゃん人形」を設置した。2000年からのJR名古屋タカシマヤとの競争激化に対応すべく名鉄の完全子会社化や伊勢丹との業務提携をすすめた。また、新型コロナ禍の影響で名駅再開発が延期となり当初予定していた2022年営業休止予定を無期延期してしる。売場面積54,974㎡。2022年5月訪問。
2024-07-23
『玉川高島屋S.C.』
本格的郊外型S.Cとして1969年(昭和44年)11月1日オープン。高島屋のまちづくり戦略の成功例が玉川高島屋S.C。本館の百貨店売り場面積は24,165㎡。当初からの屋上緑化が象徴的で、まさに街をデザインする百貨店。平日でも多くの人で賑わっている。屋上には定番の伏見稲荷もあり、持続可能な経営と近江商人の「三方よし」精神がここの高島屋で実践されているのではと感じる大型S.C.。2022年6月訪問。
『西武百貨店鎌倉店』跡 (1973年2月閉店)
鎌倉駅東口に地域唯一の百貨店として1959年(昭和34年)9月開店し、1973年(昭和48年)2月に閉店したのが西武百貨店直営の鎌倉店。1967年発行の神奈川年鑑広告をお借りしました。西武グループが戸建て分譲地として鎌倉湘南地区を開発し始めた時代と連動しての出店か。当時は百貨店も分譲地も大変人気があったが、藤沢駅前に大型店が相次いで出店したことで閉店に追い込まれた。2022年11月訪問。
新発田『ハヤカワ・デパート』跡 (1989年9月閉店)
新潟県新発田市中心商店街の市役所隣にハヤカワの廃墟ビルがある。わかっているのは、新発田で最初にできた百貨店で1973年に開店し1989年9月に閉店したこと。最後はジャスコグループだったこと。趣ある城下町・新発田ですが、商業都市と言われた中心商店街が淋しげでした。地元の方の話では、屋上遊園地やレストラン、エスカレーターがあって、行くのが楽しみなデパートだったそうです。2022年6月訪問。
『丸大柏崎店』跡 (1989年業態変更)
商圏人口は当時で12万人と見られていた柏崎市の駅近くに長岡が本店だった丸大が百貨店として1981年(昭和56年)4月25日に開店させた。売り場面積は約8,300㎡。1989年からはイトーヨーカドー丸大と屋号と業態を変更して営業するも、少しずつ売り場を縮小させて2018年8月19日閉店。2022年6月時点では建物はすでになく更地になっていた。駅前のブルボンビル以外は駅から丸大に通じる商店街もシャッター通り化して静かでした。2022年6月訪問。
2024-07-22
『東武宇都宮百貨店大田原店』 県北唯一の百貨店
人口7万人の城下町、そして県北の商業拠点・大田原市にある「東武宇都宮百貨店大田原店」は、かつて宇都宮の老舗「上野百貨店」が1999年に開店するも翌年倒産閉店した店舗。銀行からの要請を受けて跡地に2002年9月6日に出店。平日でも広い駐車場は多くの車で埋まるのは栃木県北部の貴重な百貨店だからか。売場面積12,248㎡。3階にはニトリを誘致しています。2022年9月訪問。
『東武宇都宮百貨店栃木市役所店』
1990年から2011年まで福田屋百貨店栃木店だった建物が市に無償譲渡され、栃木市役所本庁舎となり、1階の一部に東武宇都宮百貨店が食料品中心の店舗で2014年3月16日に開店。百貨店⇒市役所としては石巻市役所の例と類似した成功事例か。もともと全部が百貨店だったので市街地の中心で駐車場も広く便利。蔵の街観光名所にも歩いて行ける。売場面積2,886㎡。売上は宇都宮本店と合算発表だが年間15~16億円で安定しているとのこと。2022年9月訪問。
宇都宮『ロビンソン百貨店』跡 (2003年9月閉店)
JR宇都宮駅西口再開発ビルに 1990年10月30日開店。それより5年前の1985年、上野百貨店が駅前に移転出店の意向を示していたようで、もし実現していたら宇都宮の老舗百貨店復活の快進撃があったかもしれない。しかし決定したのはイトーヨーカドーグループのロビンソン百貨店だった。1994年10月の福田屋移転で大きく影響を受けたと言われている。出店以来一度も黒字化することなく2003年(平成15年)9月30日閉店。現在はトナリエ宇都宮という複合型商業施設となっている。 2022年9月訪問。
宇都宮『上野百貨店』跡 (2000年12月20日営業停止)
1895年(明治28年)10月創業の油屋呉服店。1929年(昭和4年)北関東で最初の百貨店となる。地元では親しみを込めて「上野さん」と呼ばれ、地域一番店の商標山十マークは信頼の証だった。しかし大型店の進出が激しくなると店舗拡張も地域の反対にあって実現せず1977年東武宇都宮百貨店に地域一番店の座を明け渡す。1985年頃から宇都宮駅西口再開発ビルへの移転を目指すもイトーヨーカドーグループの進出が決まり、新天地での巻き返し構想は実現しなかった。次第に資金繰りが悪化し2000年12月20日営業停止で破産宣告を受ける。現在は新館跡がシティータワー宇都宮、本館跡は表参道スクエアとなっている。2022年9月訪問。
『西武百貨店宇都宮店』跡 (2002年12月25日閉店)
開店は1971年(昭和46年)6月17日。大型店競争に敗れ2002年12月25日閉店。現在跡地は2010年8月からMEGAドン・キホーテになっている。2022年9月訪問。
宇都宮『福田屋百貨店』跡 (1994年10月業態転換し郊外移転)
ルーツは1934年(昭和9年)創業の洋品店。1962年(昭和37年)2月百貨店を開業。1970年には店舗が火災に遭い半年間休業する。1994年業態変更して現在のFKDショッピングプラザ宇都宮に移転開業し業績復活に成功した。現在跡地はNOF宇都宮ビルになっている。2022年9月訪問。
宇都宮『山崎百貨店』跡 (1976年6月26日閉店)
ルーツは1924年(大正13年)創業の山崎呉服店。1959年(昭和34年)10月上野百貨店に次いで百貨店となる。1964年には隣接するキャバレーの火災類焼で店舗が全焼する不運に見舞われた。激しい競争で行政が悪化し1974年6月26日閉店。店舗の営業権をそのまま緑屋に譲渡して不動産業に転換した。現在跡地はオリオンスクエアとなっている。2022年9月訪問。
『十字屋宇都宮店』跡 (1987年業態変更後1999年閉店)
地図の「池上町」表示のあたり。1968年(昭和43年)10月25日開店。6803㎡の中型店。1987年業態変更し1996年8平成8年)閉店。現在はコインパーキングになっている。2022年9月訪問。
『福田屋百貨店鹿沼店』
宇都宮の福田屋本店が馬場通にあった1989年(平成元年)4月出店したのが鹿沼店。自称デパート・モールとして1998年の増床を経て現在に至っている。FKD店舗も含めて協会非加盟ながら、栃木県発祥で唯一当初からの商標を守っていて、現在も法人外商が強いと言われている福田屋グループにあって、唯一丸福マークが生きている鹿沼店。2022年9月訪問。
『西武百貨店沼津店』跡 (2013年1月31日閉店)
かつては御用邸もあった静岡県東部の基幹都市・沼津に1957年6月8開店。西武が地方進出を本格的に始めた第1号店。一時は沼津駅再開発ビルへ新築移転の話もありながら、そごう西武グループの業績不振等が重なって2013年1月末閉店。新館だった沼津RAKUUNが複合ビルとして今も残っている。2022年10月訪問。
『富士急百貨店沼津店』跡 (2019年11月18日閉店)
開店は1967年10月1日。協会非加盟で実態はバスターミナルのある専門店ビルだった。1965年名店会館としてオープン、1967年から富士急百貨店となり西武とともに駅前の賑わいの中心だったが建物老朽化等で2019年11月18日閉店。建物は解体され2023年からプラザ・フォンターナという2階建ての商業施設になっている。2022年10月訪問。
『むつ松木屋』 むつ市に残る老舗百貨店の暖簾
1921年創業の青森市を代表する名門百貨店だった松木屋が、1968年(昭和43年)に出店したむつ松木屋。2003年の松木屋破産時に別会社になっていたため閉店を免れ現在まで続いている。老朽化した建物が、むつまちづくり株式会社によって改修され地元スーパー「さとちょう」とイートインコーナーのある1階のみで営業開始するも2023年10月「さとちょう」倒産で再び空き店舗に。現在は地域交流スペースとして1階が開放され、取り壊されたバスターミナルの代わりの待合所になったり高校生の自習風景などがみられるそうです。しかし、昔からの商店街の再生は前途多難のようです。正面に掲げられている銘板からかつての栄華が偲ばれます。2022年11月訪問。
むつ『マエダ百貨店』 (1999年10月スーパーに業態転換)
大湊駅から車で5分、国道338号線沿いのマエダ本店(旧マエダ百貨店)は1951年(昭和26年)に雑穀店として創業し1978年3月にマエダ百貨店を開業、1999年8月31日商号をマエダ本店と変更、業態もスーパー化させて青森県内に36店を持つまでに成長した(2000年3月末までは全国百貨店共通商品券が使えていた)。
『松木屋十和田店』跡 (1999年8月31日閉店)
十和田市中心部の稲生町に1973年(昭和48年)開店。三本木大通りと官庁街通りの交差点に位置し、当時東北最長と言われた全長1㎞のアーケードが建設されるほど活気のあった街で、松木屋開店時には大行列ができた。昭和50年代半ばに6,000㎡以上の増床計画を発表するも地元商店街が一斉閉店ストライキをするという反対運動に遭い断念、中途半端な売場面積で営業せざるを得なくなり、他店との競争に敗れ1999年(平成11年)8月31日閉店。
『長野そごう(旧長野丸光)』跡 (2000年7月12日閉店)
長野市百貨店の発祥地・新田町交差点は、1893年(明治26年)城下町松代で創業した丸忠みのや呉服店が、1957年(昭和32年)11月長野県初の百貨店として「丸光」を開店し地域一番店となった場所。しかし、現みずほ銀行の場所に後発出店した丸善デパート(現在のながの東急百貨店)が移転した長野駅前に人の流れが徐々に移り、売上減少と経営悪化に対しそごうの出資を受けて1987年(昭和62年)には屋号も長野そごうに変更。交差点向かいにできたダイエーとも競合し、2000年7月12日、そごう本体の経営破綻により閉店。現在は信越放送のTOiGO SBCビルになっています。2022年11月訪問。
『ながの東急百貨店』 長野市唯一の百貨店
始まりは1958年(昭和33年)11月10日、新田町交差点に創業した「ながの丸善」デパート。現在跡地にはみずほ銀行長野支店が建っている。道路向かいにあった「ながの丸光」(のちの長野そごう)との激しい競争に負け、東急の支援を受けて1966年(昭和41年)11月26日に現在地の長野駅前に移転、1970年(昭和45年)には社名をながの東急百貨店に変更。そして1973年には地域一番店に成長。長野そごうの閉店で長野市唯一の百貨店として生き残るも、郊外SCとの競争などこれから試練が続きます。売場面積22,166㎡。2022年11月訪問。
『高崎ビブレ』跡 (2014年3月31日閉店)
当初はニチイ高崎店として1976年(昭和51年)3月26日開店。その後、高崎サティ、高崎ビブレと屋号を変えて営業していたが、建物老朽化と高崎駅前再開発計画が重なって、2014年(平成26年)3月31日閉店。跡地は駅前再開発によってできたビルに、イオングループの都市型ファッションビル「高崎オーパ」が2017年10月13日から営業中。2024年7月訪問。
2024-07-19
『高崎高島屋』
開店は1977年10月1日。いったん直営となるが再び分社化で単独法人化。2024年スズラン百貨店の売り場縮小によって高崎では唯一のフルライン百貨店となった。市街地中心部は高層マンションの建設ラッシュで人口が増えているが東京が近いことでストロー現象も気になるところ。2024年2月期売上高は163.5億円で増収増益を確保。売場面積19885㎡。2024年7月訪問。
『スズラン高崎店』 (2024年2月縮小移転)
開店は1968年(昭和43年)11月15日。郊外S.C.との競争で閉店する地方百貨店がある中で生き残りをかけて、2024年2月29日、新しいスズラン高崎店がオープン。早速訪ねてみました。売場面積は今までの3分の1(約7,000㎡)に縮小ですが、さやモール商店街との協業を目指しているようです。しかも付近はマンションの建設ラッシュで人口が増えているので日々の買い物ニーズが増えそうです。
前橋『前三百貨店』跡 (1985年12月30日閉店)
1964年9月18日、麻屋百貨店の閉店と入れ替わるように、県都に群馬県初の本格的百貨店として開店したのが前三百貨店。開業の経緯には、前橋市や地元商工会議所が中心となって出資を仰いだと記されている。売場面積8,000㎡規模で、百貨店経営の経験者がいないことから三越に支援を要請して人材とノウハウの提供を受けた。しかし競争の激化やオイルショックの影響を受けて、1985年(昭和60年)12月30日閉店した。4年後に建物は取り壊され、多目的施設「前橋テルサ」が建てられたが、2024年時点で全ての業務を終了して休館中。隣接の立体駐車場とともに再開発される可能性が高いと思われます。2024年7月訪問。
『スズラン前橋店』 再開発にともなう移転が決定
創業は1952年(昭和27年)6月19日開店のスズラン衣料品店。1962年(昭和37年)5月に地上8階建ての本館をオープンさせ百貨店化。前三、前橋西武が次々と閉店し、現在では前橋市唯一の百貨店となっている。中心市街地の再開発と連動し新しい複合型商業ビルへの移転入居が決定しており、跡地には学校やマンションの進出が決まっている。いよいよ地方百貨店の再生モデル構築への挑戦が始まり将来が楽しみです。2024年7月訪問。
前橋『麻屋デパート』跡 (1964年閉店)
1934年(昭和9年)前橋市初の鉄筋コンクリート3階建て・アールデコ様式のおしゃれな百貨店として開店。戦災の被害も免れたが、1964年(昭和39年)閉店。建物はアーケード街に残り2007年には国の登録有形文化財に指定された。公的に建物保存の要望書が出されるも前橋市は取り壊し前提での土地購入方針を変えず、2011年取り壊され、現在は市営中央駐車場になっています。
『前橋西武』跡 (2004年1月12日閉店)
1975年(昭和50年)6月20日西友ストアーが百貨店業態の大型店として開店。1976年から9月から「前橋西武」と名称変更。さらに2000年9月から「リヴィン前橋店」に名称変更、2004年(平成16年)1月12日閉店。建物は改修され現在は「前橋プラザ」としてそのまま使われています。2024年7月訪問。
福島市『ツタヤ百貨店』跡 (1974年5月業態転換)
ルーツは1882年(明治6年)10月1日に郡山で創業の呉服店。1958年(昭和33年)12月3日福島に進出してツタヤ百貨店を開業。売場面積5,750㎡と他店に比べて小さいことから1974年(昭和49年)5月24日テナントビルに業態転換して「コルニエツタヤ」に名称変更。2002年(平成14年)11月19日閉店倒産。現在跡地には、2021年4月から福島県立医科大学が建っています。2024年6月訪問。
『さくら野百貨店福島店(福島ビブレ)』跡 (2005年3月21日閉店)
ルーツは1930年(昭和5年)創業の山田呉服店。1948年(昭和23年)山田百貨店を開業。1973年からニチイ傘下となり駅前の平和ビルへ進出。その後、ダックシティ山田ビブレ→福島ビブレと屋号が変遷し1998年(平成10年)3月曾根田ショッピングセンターの新店舗に移転。2002年からはさくら野百貨店福島店となり、2005年(平成17年)3月21日閉店。跡地は現在MAX福島大型ショッピングセンターとなり、3階には福島県唯一となった百貨店うすいの出張所があります。2024年6月訪問。
『仙台十字屋』跡 (2005年11月30日閉店)
開店は1972年(昭和47年)4月20日。増床を繰り返し1997年時点で売場面積16,807㎡、売上高157億円と十字屋最大の規模をもつ代表的店舗だった。閉店は2005年(平成17年)11月30日。現在はヤマダ電器LAVI仙台が核店舗として利用しているが空白スペースも存在。店内を歩くと、ところどころに十字屋時代の面影を見ることができます。2024年6月訪問。
『ams西武仙台店』跡 (2003年8月10日閉店)
開店は1982年(昭和57年)4月15日。月賦販売の緑屋が新店舗移転と同時に西武百貨店に運営委託して開業した。閉店は2003年(平成15年)8月10日。同年10月から仙台ロフトとして現在も営業中。2024年6月訪問。
『仙台さくら野百貨店』跡 (2017年2月27日閉店)
ルーツは1946年6月1日創業の丸光雑貨店。1953年(昭和28年)10月百貨店を開業。仙台駅前の核店舗として一番町の藤崎や三越と肩を並べる百貨店に成長。その後、丸光→ダックシティ丸光→仙台ビブレ→さくら野百貨店と屋号が変遷、2005年(平成17年)会社分割により仙台店のみがエマルシェ傘下となる。そして、親会社の経営破綻により2017年(平成29年)2月27日閉店。2024年時点で建物はそのまま残っているが、ドン・キホーテを運営する会社が中心となり高層の複合型施設の建設を2027年度完成目標で計画している。2024年6月訪問。
2024-07-18
『高崎伊勢丹(旧藤五)』跡 (1985年8月4日閉店)
ルーツは1951年8昭和26年)創業の藤五商店。店主・野口貞一氏の優れた商才により急成長、前三百貨店開店から1か月後の1964年10月に高崎で藤五百貨店を開業。1年後には前三の2倍以上の売上高となり群馬県で一番店となる。その後は激しい競争に巻き込まれ伊勢丹傘下となり、1973年に藤五伊勢丹、1982年には高崎伊勢丹と屋号を変えるも1985年8昭和60年)8月4日閉店した。地元では「彗星のごとく現れ彗星のごとく消え去った」と言われています。現在跡地は高層マンションになっています。詳細は高崎新聞サイト記事も参照。2024年6月再訪問。
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